■ダイヤモンド(その15)
ニュートンは1666年,光の分散という大発見,すなわち,太陽光線がガラスのプリズムを通ると屈折率の差によって赤から紫に至るたくさんの成分に分けられることを発見した.太陽光線は一見白色であるが,異なった光の混合物であるということは小学校の理科の教科書にも取り上げられている.ニュートン以前には白色光こそが基本的なものと考えられていたから,そういう意味で,ニュートンの発見は従来の仮説を根底から覆す画期的なものであったと思われる.
ところが,虹には7色あるというニュートンの主張は光学的判断に基づくもの(実験によって客観的に決定されたもの)ではなく,音階理論との間の連想から導かれたもの,すなわち,スペクトルを7つの光帯にわけたのは,ドレミファソラシの7音階に対応するようにということであって,5つの主要な色にあとから藍色と橙色を加えてつじつまを合わせたのである.こうすれば,7つの音に7色の色,これは本当にうまく調和しているように見える.「7色の虹」と呼ばれるが,実際には,5色くらいに見えるという人が多いのではなかろうか?
しかし,ニュートンによるスペクトルの発見当時の科学水準はどうであっただろうかという点を考慮すると,ニュートンの考え(神秘思想)を非科学的なこじつけということはけっして的を射ていないように思われる.ニュートンの時代,科学と神学の分離は完全ではなかったのだが,いかに天才といえども,自分が生きた時代や社会から完全に自由になることなどできるはずがないからである.
現代を基準にするのではなく,彼の生きた時代に視点を置いてその業績を捉えてみると,ニュートンは17世紀のピタゴラス・プラトン主義者といってもよく,世界は数学的なハーモニーに従っていると確信していたケプラー同様,ニュートンもこの世の調和の研究に生涯を捧げたのである.
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