■代数学の基本定理とiの1/2乗とガロア理論(その29)
【1】パウリ行列
(その26)で述べたことにより,行列を使うと因数分解ができるようになる可能性が開けてきます.円に相当するx^2+y^2ができたわけですから,球に相当するx^2+y^2+z^2も分解してみたい・・・.そして実際に,
x^2+y^2+z^2
の因数分解を可能にするのが「パウリ行列」です.
パウリ行列は
σx=[0,1] σy=[0,−i] σz=[1, 0]
[1,0] [i, 0] [0,−1]
の3組の2×2行列で与えられるのですが,いずれも2乗すると単位行列になります.
σx^2=E,σy^2=E,σz^2=E
また,行列のかけ算は非可換なのですが,パウリ行列では,
σxσy=iσz,σyσx=−iσz
のように符号が逆となり,
σxσy+σyσx=O(ゼロ行列)
σxσy−σyσx=2iσz
のような関係が成立します.
ここで,行列
xσx+yσy+zσz=[ z,x−yi]
[x+yi, −z]
を考え,この行列を2乗してみます.すると,
(xσx+yσy+zσz)^2=[x^2+y^2+z^2,0]
[0,x^2+y^2+z^2]
=(x^2+y^2+z^2)E
結局,(x^2+y^2+z^2)Eという行列は,(xσx+yσy+zσz)^2に分解できたことになります.4元数を使わないとできなかった因数分解が,行列を利用すると分解できるトリックは,行列の成分として虚数単位を含んでいるうえに,行列自体にも虚数の働きがあり,普通の数にはない機能を2重に使っているからと考えられます.
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【2】ディラック行列
パウリの行列において
x^2+y^2+z^2=r^2
は3次元空間での球に相当するわけですが,歴史的にはパウリが基本粒子のスピンを数学的に表現するために考案したものです.この考えがヒントになって,ディラックが4次元時空における時間の項を加えた
x^2+y^2+z^2+t^2
を因数分解するために「ディラック行列」を使いました.
αx=[0,0,0,1] αy=[0, 0,0,−i]
[0,0,1,0] [0, 0,i, 0]
[0,1,0,0] [0,−i,0, 0]
[1,0,0,0] [i, 0,0, 0]
αz=[0, 0,1, 0] β=[1,0, 0, 0]
[0, 0,0,−1] [0,1, 0, 0]
[1, 0,0, 0] [0,0,−1, 0]
[0,−1,0, 0] [0,0, 0,−1]
これらの4組の2×2行列をディラック行列と呼ぶのですが,前項と同様に,
xαx+yαy+zαz+tβ
=[ t, 0, z, x−yi]
[ 0, t, x+yi,−z ]
[ z, x−yi,−t, 0 ]
[x+yi,−z ,0, −t ]
(xαx+yαy+zαz+tβ)^2
=[x^2+y^2+z^2+t^2,0,0,0]
[0,x^2+y^2+z^2+t^2,0,0]
[0,0,x^2+y^2+z^2+t^2,0]
[0,0,0,x^2+y^2+z^2+t^2]
=(x^2+y^2+z^2+t^2)E
という関係が確かめられます.これで,(x^2+y^2+z^2+t^2)Eという行列は,(xαx+yαy+zαz+tβ)^2に分解できることがわかりました.
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ちなみに,ディラック行列をパウリ行列で表現すると,
αx=[0,σx] αy=[0,σy] αz=[0,σz]
[σx,0] [σy,0] [σz,0]
β=[E, 0]
[0,−E]
xαx+yαy+zαz+tβ=[tE, xσx+yσy+zσz]
[xσx+yσy+zσz,−tE]
と表すことができます.
このことから
αx^2=E,αy^2=E,αz^2=E,β^2=E
αxαy+αyαx=O(ゼロ行列)
αxαy−αyαx=2i[σz,0]
[0,σz]
αxβ+βαx=O(ゼロ行列)
αxβ−βαx=2[0,−σx]
[σx, 0]
と計算されます.ディラック行列がパウリ行列に一工夫加えた様子を窺い知ることができるでしょう.
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【3】4元数と行列
積の交換法則が成り立たない代数として「行列」があります.
E=[1,0] J=[0,−1] J^2=−E
[0,1] [1, 0]
とおけば,
A=[a1,−a2]
[a2, a1]
は
A=a1E+a2J
と表されます.
A=a1E+a2J,B=b1E+b2J
の形の行列全体は加法および乗法に関して閉じています.
A+B=(a1+b1)E+(a2+b2)J
AB=(a1b1−a2b2)E+(a1b2+a2b1)J
乗法の可換性は成立しません.すなわち,【1】節では行列による表現を利用して複素数を導入したわけですが,類似の方法で4元数を行列の中に実現させる方法もあります.
E=[1,0,0,0]
[0,1,0,0]
[0,0,1,0]
[0,0,0,1]
i=[0,−1,0, 0] j=[0, 0,−1,0]
[1, 0,0, 0] [0, 0, 0,1]
[0, 0,0,−1] [1, 0, 0,0]
[0, 0,1, 0] [0,−1, 0,0]
k=[0,0, 0,−1] A=[a1,−a2,−a3,−a4]
[0,0,−1, 0] [a2, a1,−a4, a3]
[0,1, 0, 0] [a3, a4, a1,−a2]
[1,0, 0, 0] [a4,−a3, a2, a1]
とおけば
A=a1E+a2i+a3j+a4k
と書くことができます.
この体系では,4元数同様,
i^2=−E,j^2=−E,k^2=−E,
ij=k,jk=i,ki=j,
ji=−k,kj=−i,ik=−j
なる性質をもっていて,加法および乗法に関して閉じています.また,乗法の可換性は成立しません.
この体系を用いると,
(x^2+y^2+z^2)E=−(xi+yj+zk)^2
(x^2+y^2+z^2+w^2)E=(x+yi+zj+wk)(x−yi−zj−wk)
のように,虚数単位iを陽に用いることなしに2つの行列の積に分解できますが,それでは4元数そのままであって,虚数単位iを使ったパウリ行列やディラック行列よりも面白味に欠けるかもしれません.
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行列jを変更して
i=[0,−1,0, 0] j=[0,0,−1, 0]
[1, 0,0, 0] [0,0, 0,−1]
[0, 0,0,−1] [1,0, 0, 0]
[0, 0,1, 0] [0,1, 0, 0]
k=[0,0, 0,−1] A=[a1,−a2,−a3,−a4]
[0,0,−1, 0] [a2, a1,−a4,−a3]
[0,1, 0, 0] [a3, a4, a1,−a2]
[1,0, 0, 0] [a4, a3, a2, a1]
とおくと,Aの上三角部分,下三角部分が歪対称(gij=−gji)になるので,形がスッキリすると思われます.
ところが,実際にやってみると
j^2=−1
は成り立つものの
ij=k,jk=i,ki=j,
ji=−k,kj=−i,ik=−j
が成立しません.なかなかうまくはいかないものです.
なお,8元数:
i^2=j^2=k^2=l^2=m^2=n^2=o^2=−1,
i=jk=lm=on=−kj=−ml=−no,
j=ki=ln=mo=−ik=−nl=−om,
k=ij=lo=nm=−ji=−ol=−mn,
l=mi=nj=ok=−im=−jn=−ko,
m=il=oj=kn=−li=−jo=−nk,
n=jl=io=mk=−lj=−oi=−km,
o=ni=jm=kl=−in=−mj=−lk
では,乗法の結合法則も破れていて(a(bc)≠(ab)c),積の交換法則も結合法則も成り立ちませんが,それでも分配法則は成り立っています.行列は結合法則を満たすので,8元数は行列の一部とはみなせないのです.なお,結合法則が成り立たない数の体系(非結合的な体)としては,8元数,リー代数,ジョルダン代数の3つが代表的です.
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