■地球の測量(その31)

 1710年にはじまるニュートンとライプニッツの微積分の発見の先取権をめぐるプライオリティー論争は,自分の先行性を主張するのみならず相手のひょう窃をも立証する目的で行われた感情的でなりふり構わぬ論争として悪名高きものです.

 また,ニュートンの光の粒子説はフックやホイエンスといった当時の名だたる研究者達によって難点が指摘され,光の干渉,回折,偏光等の現象を説明できないことから,ニュートン自身,自説に対して不安を抱きはじめ,光は波動の1種かもしれないと思うようになりました.粒子説にはあまりにも批判が多く,内心では波動説に傾きながらも粒子説を擁護するためにいつ終わるともしれない論争に陥る羽目となったのです.

 この論争を契機に,彼は次第にこの問題から手を引き,メタフィジックス(錬金術と神学など)の研究を密かに再開したと伝えられています.このように有名な科学者には悪評がつきものです.今回のコラムではニュートンの関わったもう一つの論争を紹介します.

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【2】天文学者カッシーニ

 円環曲線はギリシャ人によって知られていたのですが,17世紀に再発見されました.カッシーニ(1625-1712)は偉大な天文学者で,土星にはホイヘンスの発見した衛星タイタンのそばにさらに4個の衛星があること,土星の輪には隙間があり,2個の輪からなっていることを発見しました.この隙間はカッシーニの空隙と呼ばれています.

 カッシーニはまた木星と土星が自転していることを証明したり,地球と太陽の距離を正確に測定しました.しかし,ニュートンの重力理論には反対の立場をとり,ケプラーの楕円軌道論に反対して凸卵形を提案しました.カッシーニの凸卵形はこのとき提案された4次曲線なのです.

 また,ニュートンは地球の回転の影響から地球の形は自らの遠心力で赤道でいくらか膨らんでいると主張しましたが,反ニュートン派のカッシーニはこれに反対し,地球の自転もエーテルの動きによって引き起こされ,エーテルの外圧によって地球の形が極方向に伸びた紡錘形であると主張しました.現在からみるとニュートンの考えは自然に思えますし,当時でもその現象は木星と土星ではっきり観察できたようです.

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【3】地球を測った男たち

 1735年,両説の真偽に決着をつけるため,地球の形状を測定する探検隊がアイスランドとエクアドルに派遣されました.北極での緯度1度と南極でのの長さを測定して比較しようと試みたのです.アイスランド探検隊の測定はすんなりいきましたが,エクアドル探検隊は波乱と困難の連続になったようです.大きな危険を冒しながら,エーテル(宇宙のゆりかご)は存在しないという新しい世界観を獲得することができたのです.

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