■地球の測量(その7)

【1】エラトステネス

 エラトステネスは地球の直径を求めた人として知られている.彼の方法はアレクサンドリアの南のシエネ(現在のアスワン)では夏至の比にに太陽が真上にきて,井戸の底まで光が差し込むことが知られていて,ちょうどその時刻にでの入射角を観測すると7.2°(360°の1/50)であるから,アレクサンドリア・シエネ間の距離の」50倍が地球の円周であるという非常に簡単な原理であった.

 また,エラトステネスは素数を組織的に拾い出すふるいを考えた数学者として知られている.

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【2】天文学者カッシーニ

 ニュートンは地球の回転の影響から地球の形は自らの遠心力で赤道でいくらか膨らんでいると主張しましたが,カッシーニはニュートンの重力理論には反対の立場をとり,ケプラーの楕円軌道論に反対して凸卵形を提案しました.カッシーニの凸卵形はこのとき提案された4次曲線なのです.

 反ニュートン派のカッシーニはパリ付近の子午線1°の測量結果から,地球の自転もエーテルの動きによって引き起こされ,エーテルの外圧によって地球の形が極方向に伸びた紡錘形であると主張しました.デカルトの宇宙渦論が影響していたのです.現在からみるとニュートンの考えは自然に思えますし,当時でもその現象は木星と土星ではっきり観察できたようです.

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【3】地球を測った男たち

 1735年,両説の真偽に決着をつけるため,地球の形状を測定する探検隊がアイスランド(モーペルテュイ隊)とエクアドル(ブーゲー隊)に派遣されました.北極での緯度1度と南極での長さを測定して比較しようと試みたのです.アイスランド探検隊の測定はすんなりいきましたが,エクアドル探検隊は波乱と困難の連続になったようです.

 大きな危険を冒しながら,論争はニュートン説に軍配が上がりました.これにより,エーテル(宇宙のゆりかご)は存在しないという新しい世界観を獲得することができたのです.

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【4】伊能忠敬

 伊能忠敬は50才で隠居し,第2の人生は自分の夢であった天文学・星学を生涯を通して学習します.井上ひさしは「4千万歩の男」のなかで,彼の人生を「一身にて二生を経る」と表現したそうです.

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