■地球の測量(その6)

 伊能忠敬は50才で隠居し,第2の人生は自分の夢であった天文学・星学を生涯を通して学習します.井上ひさしは「4千万歩の男」のなかで,彼の人生を「一身にて二生を経る」と表現したそうです.今回はコラムではコラム「ニュートンの論争」を書き直してみることにしました.

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【1】カッシーニ曲線

 2定点(−a,0),(a,0)からの距離の和が一定となる点の軌跡は楕円,差が一定の点の軌跡は双曲線です.また,商が一定の点は円(アポロニウスの円)を描きます.それでは積が一定の点はどのよう軌跡を描くでしょうか.

(答)はカッシーニ曲線.

  {(x+a)^2+y^2}{(x−a)^2+y^2}=c^2

  (x^2+y^2)^2−2a^2(x^2−y^2)=c^2−a^4

  r^4−2a^2r^2cos2θ+a^4=c^2

 2次の多項式f(x,y)=0すなわち楕円,放物線,双曲線が円錐を平面で切断したときの切り口として現れたように,カッシーニ曲線(4次の多項式)はトーラス(ドーナツ)の平面による切断面として現れることが知られています.cの変化に応じて曲線は4種類に移り変わるのですが,4種類とは凸卵形,つぶれた卵形(変曲点をもつ繭形),8の字型,2つに分かれたペアの卵形です.

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【2】天文学者カッシーニ

 円環曲線はギリシャ人によって知られていたのですが,17世紀に再発見されました.カッシーニ(1625-1712)は偉大な天文学者で,土星にはホイヘンスの発見した衛星タイタンのそばにさらに4個の衛星があること,土星の輪には隙間があり,2個の輪からなっていることを発見しました.この隙間はカッシーニの空隙と呼ばれています.

 カッシーニはまた木星と土星が自転していることを証明したり,地球と太陽の距離を正確に測定しました.1672年,カッシーニは火星の視差を観測し地球と太陽の距離を求めるために,リシューをフランス領ギアナに派遣します.その際,パリから持参した振り子時計の狂いから地球は球体でないことが予想されました.

 ニュートンは地球の回転の影響から地球の形は自らの遠心力で赤道でいくらか膨らんでいると主張しましたが,カッシーニはニュートンの重力理論には反対の立場をとり,ケプラーの楕円軌道論に反対して凸卵形を提案しました.カッシーニの凸卵形はこのとき提案された4次曲線なのです.

 反ニュートン派のカッシーニはパリ付近の子午線1°の測量結果から,地球の自転もエーテルの動きによって引き起こされ,エーテルの外圧によって地球の形が極方向に伸びた紡錘形であると主張しました.デカルトの宇宙渦論が影響していたのです.現在からみるとニュートンの考えは自然に思えますし,当時でもその現象は木星と土星ではっきり観察できたようです.

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【3】地球を測った男たち

 1735年,両説の真偽に決着をつけるため,地球の形状を測定する探検隊がアイスランド(モーペルテュイ隊)とエクアドル(ブーゲー隊)に派遣されました.北極での緯度1度と南極での長さを測定して比較しようと試みたのです.アイスランド探検隊の測定はすんなりいきましたが,エクアドル探検隊は波乱と困難の連続になったようです.

 大きな危険を冒しながら,論争はニュートン説に軍配が上がりました.これにより,エーテル(宇宙のゆりかご)は存在しないという新しい世界観を獲得することができたのです.

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