■研究者の責任(その11)
話のついでにお知らせします. (学兄I)
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[1]メチル水銀(広く言うならばアルキル水銀)中毒の症状に対してハンターラッセル症候群という言葉があります.
1959年に熊本大学医学部水俣病研究班(以下 研究班)が世界最古のメチル水銀中毒症例報告とし
Hunter, Bomford, Russel Quart J Med1940;33:193-213
を挙げ,そこに述べられている主要症状をまとめてハンタ−ラッセル症候群としたと言うのが一般的理解です.
[2]しかし,これには多くの疑問があります.
@この論文に準拠したのならば,ハンターボンフォードラッセル症候群となるはず.
Aハンター等は自分たちの症例が世界最初とは一言もいっていない.それどころか1864年に英国でおきたメチル水銀中毒の症例報告
Edwards . St Bartholomew7s Hospital Report 1865;1:141-150
を詳細に引用している.
つまり,ハンター等(1940)の論文を紹介した人は,肝心の論文をよく読んでいない事になります.
[3]この1959の研究班発表では,水俣病の病因物質として有機水銀が始めてあげられています.この有機水銀説の根拠となった論文は,
Hunter, Russel. J Neurol Neurosurg Psychiat 1954;17:235-241
です.この論文は1940で述べた症例の内の死亡例の病理解剖の報告です.大脳と小脳の萎縮(顆粒球層の神経細胞の消失とグリア細胞の増殖)という所見を認めています.この論文を見つけた熊大の病理の教授が,1958年に出版された
Handbuch der speziellen pathologischen Anatomie und Histologie のNervensystemの中でIntoxicationという章で,Pentschewがこの病理組織所見を取り上げ,動物実験結果などと比較し,この所見はアルキル水銀中毒に特有な所見であると判断,Russelと協議の上,この所見をHunter Russelsches Syndrom(ハンターラッセル症候群)と定義しています.Pentschewの論文の中で,求心性視野狭窄と失調という症状を取り上げ,これらの症状はこの大脳と小脳の組織所見から説明できると述べています.ほかの症状についても触れている部分がありますが,それはアルキル水銀中毒がどの様な物かを説明する導入部であって,病理組織について部分で論じているのは視野狭窄と失調だけです.
[4]ここでも,ハンター等の論文(1954)に目を通した大先生が,Pentschew (1958)をしり,これぞと思われたのでしょう.内容をよく確かめないで,病理組織所見について定義されていたハンターラッセル症候群という言葉に飛びついたのでしょう.
即ち,病理解剖の所見,つまり死後について定義されたハンターラッセル症候群という言葉を,症状に(つまり生前に)用いるのはやってはいけない事です.従って,現在のハンターラッセル証拠群についての辞典の解説はみな間違っています.なんでこんな間違いがまかり通ってきたのか,不思議です.原因の一つには,「文献を真剣に読んでいない」事があると思います.
[5]この様な内容の一文を日本衛生学雑誌と某外国誌に投稿しています.外国誌については,日本国内の事情は省きました.メチル水銀(アルキル水銀)中毒の症状を現す言葉としては,最初のメチル水銀中毒が発生した施設に因んで「聖パーソロミュウ症候群」とするか,報告者に因んで「Edwards症候群」が適当と考えます.
[6]蛇足ですが,何故英国でメチル水銀中毒が起きたかについては,1800年代の後半は化学分野では英国は先頭集団のなかにおり,原子値を決めるのにメチル水銀が役に立ったからと言われています.周期律表の作成はロシアのメンデレーフとなっていますが,英国の化学者が重要な働きをしているのだそうです.
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