■研究者の責任(その9)

 学兄Iより,アセチレンからアセトアルデヒドを合成する件について,前掲載文の説明は舌足らずだったとのことで,補足を加えた記事が送られてきた.

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[1]アセチレンを無機水銀を溶かした硫酸溶液(高温)とアセトアルデヒドが生成されることをロシアのKutsheroff(クチェロフ)が1881年に発見しました.但し,彼は反応機構についての検討は行っていません.1900年にHoffman とSandがこの反応を解析し,有機水銀化合物が生成される可能性を指摘しています(Ueber das Verhalten von Mercurisalzen gegen Olefine. Ber deuts chem. Gesellschaft 1900;33:1340-1353).Hoffman は後日(1905年)にこの有機水銀化合物は爆発性であると報告しています.これらの報告をNieuwlandが発展させ,無機水銀を触媒にしてアセチレンを合成する際に,真の触媒として作用するのは副生された有機水銀であるとの結論を得ています

(Reactions of Acetylene with Acidified Solutions of Mercury and Silver Salts, JACS

1906;28:1025-1031).なお,Nieuwland は同じ内容で The Chemistry of Acetyleneという単行本を出しています.この本は「アセチレンの化学」という表題で邦訳が1956年5月1日(水俣病発生公式確認の日)以前に出版されています.この本については,チッソ内部でも検討されたようです.前述のBerch deuts chem. Gesell.やJACSの当該号は,1937年(チッソがアセトアルデヒド生産を開始した年)には,国内の多くの大学図書館(熊本大学図書館も含む)で収蔵されています.

[2]現在のアセトアルデヒド製造は,二酸化パラジウムと二酸化銅を触媒にしたエチレン酸化法で行われており,水銀は使用されていません.尚,このエチレン酸化法を1957年にドイツのWacker-Chemie社が考案し実用化していますが,この会社はアセチレンを原料とした方法を大々的に発展させた企業です.

[3]とにかく,水俣病の歴史をみると,検索できたはずの情報の無視の連続,また後日その情報に接しても無視するという恐るべき状態の連続です.1956年ころから御用学者が大きな顔をし,官僚の走り使いをしています.

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