■巨人の肩に乗って(その9)
科学上の発見については、時が熟してあるアイデアが異なる場所で同時に(ほぼ時を同じくして)独立に出現することはよくあることです。ニュートンとライプニッツがほぼ同じ時期に微分積分学を各々独立に創設したという偶然の一致には、どのような時代的・社会的背景があったのか興味深く感じられます。「微分は微かに分かる。積分は分かった積もり。」という言葉もあるほどで、微分積分によってずいぶん悩ませられた人も多いかと思いますが、今でも科学技術の発展に大きな役割を果たしています。
ところが、1710年にはじまるニュートンとライプニッツの微積分の発見の先取権をめぐるプライオリティー論争は、自分の先行性を主張するのみならず相手のひょう窃をも立証する目的で行われた感情的でなりふり構わぬ論争として悪名高きものです。このように有名な科学者には悪評がつきものです。
一方、ニュートンの言葉「私が遠くを満つことができたというなら、それは巨人の肩の上に立っていたからだ」は偉大な人物も謙虚であったという教訓として知られている。実際の彼は謙虚というにはなかなかやっかいな人物であったやっかいな人物であったと語られている。
ニュートンの天才性は時代を超えて図抜けているが、学問の世界は広く、自然はさらに深く広く、いかに多くの先人による蓄積を土台にしているのは当然のことであるが、ときにそのことは忘れ去られてしまうのであろう。
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科学は多くの人達の積み重ねという半面とガウスやオイラー、ニュートンといった図抜けた巨人のバトンリレーという半面があるが、有名な人たちばかりに限らず、無名な者たちも含めすべてによって成し遂げられるのである。
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