■巨人の肩に乗って(その8)

 光とは一体なんだろうか・物質か波か・波ならば縦波か横波か・媒質は何か・どのようにして空間を伝わるのか?...など光の本質に関する研究は、紀元前数世紀から19世紀末までの長期にわたって続けられ、古来、種々の学説がたてられては改変を余儀なくされてきました。多くの学者が論争を展開したのですが、なかでも、ニュートンはいろいろな問題を提起した中心人物です。

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 1642年、ガリレオ・ガリレイが死んだ数カ月後、イギリスに生を受けたニュートンは1666年当時まだ24才の青年でした。この年、彼は<光の分散>という大発見、すなわち、太陽光線がガラスのプリズムを通ると屈折率の差によって赤から紫に至るたくさんの成分に分けられることを発見したのです。太陽光線は一見白色ですが、異なった光の混合物であるということは小学校の理科の教科書にも取り上げられていて、現在一般に広く認められていますが、この知識の源泉はニュートンに拠っているのです。

 とくに目立った色だけあげて虹の7色:赤(red),橙(orange),黄(yellow),緑(green),青(blue),藍(indigo),紫(purple):といいますが、これらの色には相互にはっきりしたしきりがあるのではなく、連続的に変化する無数の異なった色からなっています。このようにして生じた美しい光の帯にニュートンはスペクトルという名称を与えました。

 この結果に基づいて、ニュートンは光と色についての新しい見解を主張しました。光は多くの種類の微粒子からできているといういわゆる<光の微粒子説>を唱えたのです。すなわち、光線は物体から放射される粒子の流れであり、屈折でスペクトルが生じるのは粒子の大きさや強さが様々であるからと説明されます。また、音波の振動数が音の高さを決めるのと同じように、色は光の粒子が感覚器官と衝突したときの振動によって引き起こされると想定しました。この仮説によれば、光の粒子はその大きさや強さに応じて網膜や視神経に様々な振動を作りだし、白が最も高い振動数をもち、黒くなるに従って振動数が低くなり、振動が感覚器官を通じて脳に伝えられたものが色という知覚を生ずるというのです。

 ところが、この「光と色の新理論」はフックやホイエンスといった当時の名だたる研究者達によって難点が指摘され、光の干渉、回折、偏光等の現象を説明できないことから、ニュートン自身、自説に対して不安を抱きはじめ、光は波動の1種かもしれないと思うようになりました。粒子説にはあまりにも批判が多く、内心では波動説に傾きながらも粒子説を擁護するためにいつ終わるともしれない論争に陥る羽目となったのです。この論争を契機に、彼は次第にこの問題から手を引き、メタフィジックス(錬金術と神学など)の研究を密かに再開したと伝えられています。

 ニュートンの微粒子説は今日では単なる歴史的興味に過ぎませんが、そこにはおもしろい史実が秘められています。実は、虹には7色あるというニュートンの主張は光学的判断に基づくもの(実験によって客観的に決定されたもの)ではなく、音階理論との間の連想から導かれたものなのです。ニュートン自らは音楽を実践するということはなかったようですが、音楽理論には熱心な興味をもっていたようで、スペクトルを7つの光帯にわけたのは、ドレミファソラシの7音階に対応するようにということであって、5つの主要な色にあとから藍色と橙色を加えてつじつまを合わせたのです。こうすれば、7つの音に7色の色、これは本当にうまく調和しているように見えます。その意味で、ニュートンは17世紀のピタゴラス・プラトン主義者といってもよく、世界は数学的なハーモニーに従っていると確信していたケプラー同様、ニュートンもこの世の調和の研究に生涯を捧げたのです。

 話は20世紀に飛んで、1936年、サザビーズのオークションにかけられたニュートンの秘密のノートブックには、数学・力学・天文学・光学などのフィジックスに留まらず、歴史・錬金術・化学・音楽理論・神学など、多くの分野についての研究の跡が残されているそうです。なかでも圧巻は65万語にもおよぶ錬金術のノートですが、その中に見えかくれするものは、近代科学を築いた理性的な科学者ニュートンの姿ではなく、中世の影を引きずる魔術師ニュートンの姿であり、このノートはのちのニュートン研究に大きな転換をもたらしたことでよく知られています。

しかし、ニュートンによるスペクトルの発見当時の科学水準はどうであっただろうかという点を考慮すると、ニュートンの考え(神秘思想)を非科学的なこじつけということはけっして的を射ていないように思われます。科学の歴史を振り返ると多分に神秘的な思想から導かれた関係が後の大発見の端緒となった例は少なくありませんし、また、いかに天才といえども、自分が生きた時代や社会から完全に自由になることなどできるはずがないからです。現代を基準にするのではなく、彼の生きた時代に視点を置いてその業績を捉えたいと思います。

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