■ケプラーと正多面体(その9)

 太陽系の構造を5種類の凸型正多面体で説明することに失敗した後、天文学者ケプラーは、ティコ・ブラーエが資料として残してくれた20年にわたる膨大で精確無比な天文観測記録を試行錯誤的に数値計算し、25年も費やして火星の軌道を執拗に模索しました。ケプラーは後年、この苦心談を「マルス(火星)との悪戦苦闘」と表現しています。

 しかし、その結果は、「惑星の軌道は太陽を中心とする円軌道である」とするコペルニクスの地動説に反するものでした。そこで、彼は円軌道という前提に疑問をいだき、これに合う理論を求めてケプラーの法則に到達します(1609年)。

<第1法則>惑星は太陽を焦点のひとつとする楕円軌道上を動く。

<第2法則>面積速度は一定である(角運動量保存則)。

<第3法則>公転周期の2乗は平均距離の3乗に比例する。

すなわち、惑星の軌道は完全無欠な円ではなく楕円であり、太陽はその一つの焦点の位置にあるとすることによって矛盾が解決されることを導き出したのです。

 ケプラーの法則の発見には、火星の公転周期と地球の公転周期の最小公倍数の年数の観測が必要になり、それがティコ・ブラーエの行なった約20年分の観測データに当たります。ティコ・ブラーエの観測結果を手に入れられたこと自体が幸運だったのですが、観測の対象として火星を選んだことが、まことに幸運な選択でした。楕円がどのくらいひしゃげているかを表す指標が離心率です。離心率が増すにつれて楕円はより押しつぶされた形になり、極端な楕円を描く惑星が水星(離心率:0.206)と冥王星(離心率:0.249)です。水星は0.206でかなり大きいのですが、あまりにも太陽に近いために太陽の光にさえぎられてなかなか観測が難しく、また、天王星、海王星、冥王星はケプラーの時代からずっとあとに発見されました。金星と地球の離心率はそれぞれ0.00678,0.0167で、0つまり円に近いわけです。ところが、火星の離心率は0.093で、地球よりだいぶ大きく、地球の外側にあるので観測しやすい惑星でもありました。

 ケプラーは、最初、火星の軌道は中心が偏った円軌道(偏心円)であるという仮定から出発したのですが、偏心円軌道では惑星間の距離が自分の理論に合わないことに気がつき、その後、軌道は円ではなく、ある種の卵形ではないかと思うようになり、観測結果から惑星は太陽を一つの焦点とする楕円軌道上を動くという仮説をたてざるを得ないと考えるようになったのです。楕円軌道ではその形を決める離心率が小さい場合、中心が偏った円軌道(偏心円)とのあいだにごくわずかな差しか見られないのですが、火星は偏心円軌道からのずれをはっきり示し、惑星の軌道は偏心円ではなく楕円であるという結論を得ることができたのは火星の小さいが重要なずれのおかげです。軌道が円に近い他の惑星だったら気がつかなかったのではないかと思われるのですが、ちなみに当時発見されていた他の惑星の離心率をみてみると木星は0.048、土星は0.056です。火星の軌道は円とはかけ離れていることが幸いしたといってよいでしょう。

 コペルニクスの地動説(heliocentric theory:太陽中心体系)はそれまで宇宙の中心と信じられてきた地球(geocentric theory)を一つの惑星と考え、地球中心のモデルを捨て去り太陽中心体系を確立することによって、地球を自己中心的な位置から解放しました。そして、ケプラーが円の呪縛すなわち完全な等速円運動に固執するコペルニクス・ドグマを断ち切ったのです。

 惑星の軌道は完全な円ではなく離心率のごく小さな楕円を描き(不等速楕円運動)、太陽はその楕円の1つの焦点の位置にあるわけですが、偏心率の大きな楕円を描く惑星が火星だったというわけです。

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