■形の学校・和と洋の対比(その4)

和算は17〜18世紀の江戸時代,関孝和や建部賢弘によって発展した日本独自の数学である.日本では江戸期のほとんどを鎖国政策をとったため,この長い鎖国の間に西洋数学とは異なる数学が生まれたのである.和算は、問題を自分が解くと神社仏閣に算額とよばれる一種の絵馬を奉納する形で継承され特異な発展を遂げました。現在まで数多くの算額が発見され、調査されています。

西洋的な数学者が連立1次程式(あるいは電卓)に例えられるのに対し、和算家はつるかめ算(あるいは暗算・そろばん)に例えられる。この比較は少し乱暴かもしれませんが、年代的には西洋よりも古いものもある.和算の到達点のそれなりの高さは少なくとも数学に関心をもつ人達によって高く評価されている.たとえば・・・ニュートンとほとんど同じ頃,和算の大家で算聖あるいは和算中興の祖とうたわれる関孝和が生れています(1642年).ライプニッツが行列式の元祖ということになっているのですが,世界で最初に行列式に気がついたのは関孝和で,連立方程式の変数の消去法として行列式の展開を正しく行っています(1683年).

ヨーロッパではライプニッツが連立一次方程式の解法に関連して行列式の計算を行っているのですが,それは10年後の1693年のことで,孝和自身はライプニッツに先んじて行列式を導入していました.したがって,孝和を行列式の祖とする言は,手前味噌でも贔屓の引き倒しでもありませんし,また,関孝和はベルヌーイ数{Bn}をベルヌーイが見いだす前に見つけていたのです.さらに,和算家の久留島義太もラプラス以前に行列式のラプラス展開を見いだしています. p>

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