■中国剰余定理と惑星の合(その9)

 極座標(r,θ)を用いて

  r=r(θ)=a/(1+εcosθ)   (a>0,0<ε<1)

で表される曲線は原点を1つの焦点とする楕円で,εはその離心率となる.なぜなら,分母を払ってr+rεcosθ=a.また,r^2=x^2+y^2,rcosθ=xであるから

  x^2+y^2=a^2−2εax+ε^2x^2

  (1−ε^2)(x+εa/(1−ε^2))^2+y^2=a^2/(1−ε^2)

これは楕円の方程式である.

 2次曲線は円(e=0)として生まれ,楕円に育ち,放物線(e=1)で相転移して双曲線になる.漸近線のなす角度は最初鋭角だがだんだん大きくなり,180°になった時点(e=∞)で虚領域に入る.そして再び円に生まれ変わる.楕円の面積は有限,放物線の面積は∞,この考え方を延長すると双曲線の面積は虚数ということになる・・・というのがケプラーの原理である.射影平面上では,円錐曲線はただ1種類しかなく,双曲線・放物線・楕円などの区別はなく,どれも同種の曲線となる.

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【1】ケプラーの法則

 16世紀前半,コペルニクスは地動説を提案しました.この地動説に基づき,天文学者ケプラーは,ティコ・ブラーエが資料として残してくれた20年にわたる膨大で精確無比な天文観測記録を試行錯誤的に数値計算し,25年も費やして火星の軌道を執拗に模索しました.ケプラーは後年,この苦心談を「マルス(火星)との悪戦苦闘」と表現していますが,とてつもない忍耐力と信念に支えられた偉大な業績です.

 しかし,その結果は「惑星の軌道は太陽を中心とする円軌道である」とするコペルニクスの地動説に反するものでした.そこで,彼は円軌道という前提に疑問をいだき,これに合う理論を求めてケプラーの法則に到達します.

<第1法則>惑星は太陽を焦点のひとつとする楕円軌道上を動く(1609年).

<第2法則>面積速度は一定である(角運動量保存則)(1609年).

<第3法則>公転周期の2乗は平均距離の3乗に比例する(1619年).

すなわち,惑星の軌道は完全無欠な円ではなく楕円であり,太陽はその一つの焦点の位置にあるとすることによって矛盾が解決されることを導き出したのです.日本ではまだ江戸時代が始まったばかりの時代です.

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