■シャボン玉の科学(その2)

【2】積層膜と二分子膜

 

 19世紀の終わり頃,イギリスのレイリーは,生き物のように水面を走り回るショウノウ・ボートが微量の油にふれるともはや動かなくなることから,水面上には油の単分子膜が存在すること,油の分子の直径は約1nmであることを推察している.

 

 その後,薄膜の光学的測定法が進歩し,1917年のラングミュアの研究から石けん分子の大きさは1nmではなく,2nmであることが明らかになったが,19世紀の終わり頃,分子はまだ仮説的な存在であって,いわんや,分子の構造や大きさなどを実験的に測定することは不可能であったから,大変な慧眼であったというわけである.

 

 1914年,ブラウン運動に関する研究で名高いフランスのペランは,次のような実験を行った.レイリーによって導かれた光学の理論によると,もし,光が膜面に垂直に投射された場合,薄膜からの反射光の強さIは,

  I=I0・4(n−1)^2/(n+1)^2sin^2(2πnd/λ)

すなわち,膜厚dが0から波長λの1/4まで増大し,そこで極大となり,さらに厚さが増して波長の1/2までは減少し,そこで極小になる.そこで,単色光を光源として用いると,色の相違はすべて明るさの相違として観察されるので,その間,膜厚が不連続に変化すれば,明るさも不連続に変わるはずである.

 

 このようにして,ペランは石けん膜は多数の厚さを異にした薄膜が重なってできている積層膜で,その最も薄い膜(黒膜)は厚さ4.5nmであることを明らかにした.また,もうこれ以上薄くなれないような膜=黒膜の存在は分子の実在の証拠でもあった.

 

 さらに,1917年,アメリカのラングミュアは黒膜の厚さが石けん分子の長さの約2倍であることから2分子膜と推定した.生物の細胞膜は石けん膜に似たものである.簡単にいえば水の中のシャボン玉のことといってもよい.石けん膜は水面上では単分子膜として存在できるが,生体膜(7〜10nm)は水中に存在するから2分子膜なのである.

 

 また,葉緑体は細胞膜が層状に重なったものに葉緑素が埋め込まれたものであるが,半導体に似た作用で太陽エネルギーをキャッチし,大気中の二酸化炭素から炭水化物を合成し,酸素を放出する.これが光合成であるが,光合成の機構を参考にして有機化学反応を起こさせることは,化学者が永年抱いている夢である.

 

 そこで,単分子膜を幾層も固体表面に重ねて,植物のクロロフィルや視細胞のレチナールのような機能性薄膜を人工的に創ろうという発想が芽生えるのは自然な成りゆきであろう.太陽電池は機能性薄膜の1例である.

 

 英国の首相だった鉄の女,マーガレット・サッチャーが機能性薄膜の研究者であったことはあまり知られていないと思われるが,並みいる野党の論客を論破したサッチャーさんがどんな顔をして単分子膜の積層実験をしていたのかを想像すると,思わず顔面の筋肉がゆるんでしまうのは私ばかりではあるまい.

 

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