■鉄砲伝来

 種子島に鉄砲が伝来した1543年は,西欧では大航海時代,日本では戦国時代,織田信長の治世前であるから,各地で戦乱が起こっていた頃である.

 

 日本人はすぐにまねをして独自に鉄砲(種子島銃)を作るようになったが,教える人もなかったのに,自分で工夫をして火縄銃を作る,すなわち,できたものを示されれば直ちにまねをして作り出せる日本人の才能は,このときも遺憾なく発揮された.鉄砲の普及はめざましく,この軍需産業はあっという間に日本全土を席巻したのである.

 

 伝来の10年後には鉄砲の大量生産を成し遂げ,32年後の長篠の合戦では,織田信長が3000名の射撃兵を配備するほどだったという.鉄砲によって戦争のやり方は大きく変化し,信長,秀吉,家康は鉄砲を活用して天下統一を成し遂げた.大航海時代であったにもかかわらず,日本が西欧の国々に征服されずにすんだのも,その頃の日本の火力が西欧とそれほど違わなかったためという説がある.

 

 何をいいたいのかというと,このときも,日本は西欧から多くの技術を輸入し,やがて日本人の手でそれに似たものを作り出す特技のおかげで,国土は守られたのである.日本では無から有を生ずるような発見は少ないが,それに対して,欧米人の特技はできそうもないものを作り上げることだろう.

 

 ともあれ,銃の渡来という偶然と,銃を製造する日本人の才能がなかったら,桃山時代・徳川時代はあり得なかったかもしれないし,欧米よりも立派で安価なものを作り上げてきた戦後の日本技術の進展を思うと,もし鉄砲伝来後に鎖国がなかったら,日本は当時,銃器の輸出大国となって経済摩擦を引き起こしていたかもしれないのである.

 

 しかし,幕末の頃ともなれば,西欧の火力が鎖国状態にあった日本を圧倒し,日本は開国しなければならなくなった.以後,日本は西欧技術を積極的に採り入れ,富国強兵へと邁進することになる・・・

 

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