小生の本職は病理医ですが、本職とはほとんど関係ない数理科学をなりわいにしています。その意味では極めて病理学的な病理医であろうかと思います。浮き世離れした学問を勉強し、コンピュータを用いる科学計算の研究に携わってきて、ここ10年の間に開発したプログラムは多数におよびます。
いまでもしばしばプログラマの過酷な労働が話題にのぼりますが、実際、プログラミングは孤独な状況に置かれ、夜も徹して行われることもしばしばですから、好きというよりもマニアックじゃないとやってゆけません。しかも、ミスが許されない作業では極限の心理状態に追い込まれます。これらはプログラミングという作業自体の特性なのです。もっともプログラミングは個人の能力やセンスに負う部分が多い作業で、このあたりの苦労は今も昔もそしてこれからも変わらないでしょう。
応用ソフトウェアの開発自体重労働なのですが、それ以上にものを書くことは大変な技術と努力を要する作業です。手紙1枚書くにも腕組みにねじり鉢巻きでうなるような私にとって、ものを書く作業は昔から苦痛の種でした。それでもこつこつと書き続けて、先日とうとうこの分野で5冊目の単行本「最小2乗法:その理論と実際」を上梓することができました。私にとって最小2乗法云々は飯の種でもなんでもありませんが、けっして余技として遊び半分に研究しているわけではなく、このような本を書くのはその有用性やおもしろさを多くの人に教えたいからという動機からにほかなりません。優れた学者は、私がしているような論文以外の雑文を書くなどという堕落は決してしないものなのでしょうが、私にとっては自分のイマジネーションとインスピレーションを作品化し記念碑化することで科学者としてのアイデンティティーを確かめ、自立再生を果たしてきたのです。
石の上にも十年の覚悟で、地道な基礎研究を続けてきたのですが、そのきっかけは、科学の最先端の理論のひとかけらでも垣間みることができたらという想いからでした。小生はもともと数理や論理的な思考が好きなこともあり、いつの頃からか、コンピュータに興味をもつようになりましたが、「データを入れればたちどころに整理され、見やすいグラフに処理される。見やすく処理されることで次のステップへ考えを進めやすくなる。」を実感体験したため、パソコンを研究に活用するようになりました。30才の手習いでコンピュータを学び始めたのですが、私にとってプログラミングの経験は、よくわからないまま過ごすことが多い抽象的な知識を具体的にかつ系統的に把握する論理的思考力の訓練・養成にずいぶん役立ったと思います。
しかし、実際問題として数学的知識が不十分だとプログラムは作れないというわけで、私は35才にして数学を再認識し、長い間絶縁状態にあった数学に再入門を果たしました。近頃では履歴書の趣味の欄にも「スポーツ」とか「読書」と書く替わりに趣味「数学」と記入することにしています。そのため、この人の頭は確かなのか?とか、あぶない人間といぶかられているかもしれませんが、この紙面を拝借して「老後は数学を学べ」を推奨したいと思います。ボケ防止には適度に指や体を動かせばいいなどといわれますが、それなら直接頭を使う方が有効に違いありません。老後は盆栽やゲートボールを楽しむのも悪くはないでしょうが、数学はボケ防止に最適ですし、残りの人生にさらなる広がりと深さをもたらしてくれるものと信じています。頭を使うべき時期にそれを省いてしまったツケで、数学再入門はだれにとってもつらいのですが、それならばめんどくさい計算とか憶えなければならない公式とかは一切なしにして、趣味の数学(数学の世界を楽しむというプロセスを主にした数学)に徹すればよいのです。数学もまんざら捨てたものではありません。
ともあれ、自分の刻印を作品に残すことは一種のアートであり、今となっては楽しみのひとつでもあります。しかし、芸術作品みたいに美学に陶酔しながら大変な時間没頭して作った作品であったとしても、プログラムの場合は常に作り変えられていくので、作品というよりは消耗品といったほうがよく、そのため作品自体が後世に残ることはありません。プログラムの宿命といってしまえばそれまでですが、これまでに開発してきたプログラムが、将来、より充実した数理的方法論を生むための捨て石になり、少しでも多くの人に刺激を与え、多くの方々のお役に立てれば幸甚です。