■2001年・巖頭の感

 
 2001年,借金大国・日本の迷走がまた始まろうとしている.25年前,私は大学生であったが,そのころすでに赤字国債は亡国病と云われていた.にもかかわらず借金はかさむ一方で,四半世紀の間,なんの対策もしてこなかったのだ.藤村操氏の巖頭の感ではないが,曰く不可解.
 
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 さて,20世紀の最後の15年で立ち上がったゲノム解析やタンパク質の構造のデータベース化は,生命科学の研究手法を根底から変えるものになりました.いままでは生物学というと試験管を使って実験するというのが基本的なスタイルでしたが,いまはある実験をしたらコンピュータ上でデータを検索し,それと照らし合わせながら実験データを細かく分析するというスタイルに変わりつつあります.なにぶん大量のデータベースですから,コンピュータが使えるというレベルではなく,情報処理技術を使いこなせないと,これからは自分の知りたいことすら見いだせなくなるでしょう.これからの生物学はまさにバイオインフォマティクス(生物情報科学)が軸になっていくと思われます.
 
 若い頃から「ノーベル賞をもらう」が口癖であったドクターGは,自分の知識や考えをもとに,分子動力学のソフトをつかいこなし,ヘモグロビンの酸素運搬機構や細菌毒素の細胞傷害機構についての既成概念に対して,真っ向から異を唱える論文を投稿しようとしています.ドクターGのやらんとしていることは,広い意味でタンパク質の構造のもつ意味論ですが,ノーベル賞の受賞者は決して最初に事実を発見した人とは限りません.多くの場合,価値を発見した人なのです.
 
 すなわち,大事なことは事実の発見ではなく,価値の発見です.そして,価値を発見するためには知性だけでなく,どのようなものが本質的なものかを見破る感性も必要です.ドクターGはパスツールの「幸運は用意された心に宿る」という言葉をよく引用しますが,いろいろな感性を前もって作っておく.そこにいつの日にか研究結果がピタッとはまる.この言葉は,まさに至言だと思われます.
 
 もちろん,ドクターGの論文が採択されるかどうかは不確定ですし,棄却される可能性も高いのですが,本当にいい仕事というのは定説を覆すようなものですから,意外と一流誌には載らないのです.セル,ネイチャー,サイエンスに蹴られたときにこそ,本当にいい仕事だとドクターGの研究を評価してあげたいと考えています.
 
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 現在,私自身は研究らしい研究をしていませんし,論文らしい論文も書いていません.われわれの世界では論文は重要です.論文の数が研究者の活力の指標の1つですから,私は研究者としては明らかに失格です.
 
 私は研究者として失格ですが,学術の進歩に貢献するという信念と責任感は人一倍もっているつもりです.また,エルデシュの言葉を借りると「私の頭はいつでも営業中」です.それではなぜ論文を書かずに雑文ばかり書いているのか,自己評価したうえで明確にしておく必要があります.実をいうと,大学とか研究所とかには,私のような研究者まがいの人は少なくありません.ある人にとっては,自分自身の駄作・自己満足のために世の中に無駄な紙を残すこと,他人の大切な時間を奪うことなどに罪悪を感じたことが原因の一つとなっています.しかし,私の場合はそうではありません.
 
 私は研究上のアイデアを徹底的に追及したい方なのですが,現在の研究者の世界は研究成果によって研究者を評価しますから,長い年月をかける,あるいは,失敗するかもしれないようなことにチャレンジすることは無謀とみなされ,評価の対象から外れてしまいます.そして,多くの研究者は短期的に成果の期待できる研究テーマを設定し,次々とこなして論文数を誇るような傾向があります.また,有名な雑誌に載るのがいい仕事だと考える傾向もみられます.
 
 すなわち,出来高制評価であって,いまや多くの人が評価を気にして生産性や量的なことで競争しています.創造性とは何かというと質的なことです.創造性の評価は,日本だけでなく世界的にも難しいのですが,きちんとした評価をするシステムはありません.特に日本の場合,建設的かつ批判的な評価がまだまだ定着しておらず,クリティカルに評価するという習慣がないせいか,評価システムがうまくないのです.まったく気に入りません.
 
 そこで私は論文は書かなくても創造性で評価される研究者,たとえば,新しい局面をひらくとか,他の人がやっていないこと,あるいは定説に反するようなこととか,研究者としてやる以上は,そういうことをねらうべきだと覚悟を決めました.そして,他人が見つけたことを後追いするようなことはしない.自分の見つけたことを大事にして,最終的にはひとつの新しい学問体系を構築することをめざしています.私にとっては,ナンバーワンよりオンリーワンであることのほうが重要なのです.
 
 なぜそう決意したかというと,私の場合,自分の知的好奇心を刺激するものでないと長続きしないことがわかっているからです.それがあってこそ,イマジネーションが湧いてくるし,新しいものを見つけようとするエネルギーも湧いてきます.自分の心を打つ,エキサイトするものは何かそれを常に意識することが大事で,知的好奇心,それが私にとって研究の根源です.また,そう決めた以上,出世とか名声とかそういった見返りも一切期待しないことにしました.
 
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 私は地方の研究所に勤務する一介の研究員にすぎませんが,自分の仕事をよく見せるための宣伝や派手なパフォーマンスなどとはおよそ無縁の人間ですから,学会発表などで自分をアピールすることがステータスになるなどという発想は私には似合わないし,しばしば戦闘的で政治的な能力がないとすまされない大学生活よりも,象牙の塔でのんびりと科学研究をやるほうが似合っています.また,大学人は同僚との激しい競争の中で成長しますが,それは森の中の木のようなもので,細いままで上に伸びていくしかありません.私の場合,あらゆる方向に十分枝を伸ばしながら研究しようということで,現在,研究所に在勤しています.
 
 地方研究所とはいっても,研究業績の査定はなされるので,論文を書かないで評価されるはずはありません.私の独善にすぎないのです.しかし,「下手な鉄砲,数撃ちゃ当たる」方式で論文を数多く書いたとしても,すぐに評価され,認められるものではありません.1つのことを世界に認めさせようとすると10年,場合によっては20年かかることもあるのです.その苦労を克服していく忍耐力があるか,それは自分がいかに学問が好きか,研究が好きかということにかかっています.私は「自分は一生,好きな研究をやりました」と胸を張っていえれば,たとえ成功しなくともそれはそれで充実した人生だと思うのです.
 
 私の独善や自己満足に過ぎないとお叱りを受けるかもしれませんが,私のやってきたことは少しずつ実を結びつつあります.ともあれ,私が蒔いた一粒の麦がやがて発芽し,土壌にも恵まれて次代のための種を残すこと,そして,私のごとき時代に竿をさした風変わりな人間が存在して,地道にデータ解析法の研究に携わっていることを了とされんことを願っています.
 
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