■膜の研究者たち
前回のコラムで,石けん膜(長鎖脂肪酸ナトリウム膜)について,物理の大御所レイリー卿から化学の大御所ラングミュアまでをつなぐ糸をたどってみた際,彼らの研究が生の自然現象や産業上の現実問題を出発点とする科学研究のみごとな実例であることを知った.
研究の原動力となるのは,科学的好奇心であるとともに,社会的有用性,経済価値の追求にあるのだが,彼らはナチュラリストの一面を備えていた科学者だったというわけである.
また,興味深いことに,このジャンルは女性研究者との関わりが深い分野であることを知った.歴史の表には大きくはでてこないものの,真に科学研究を楽しんだ3人の女性:ポッケルス,ブロジェット,サッチャーの名前が浮かんでくるが,今回のコラムでは,これらの膜研究者たちにスポットをあててみたい.
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【1】レイリー卿
イギリスのレイリー卿(本名:ウィリアム・ストラット)はアルゴンの発見により,1904年にはノーベル物理学賞を受けていますが,非常に多彩な研究経歴の持ち主で,音響学,光学,弾性論,流体力学,電磁気学など物理学の多くの領域で才能をふるったことで知られています.
黒体輻射におけるレイリー・ジーンズの式は,熱放射のエネルギーの式を物体の温度と放射される電磁波の波長の関数として分布式を計算したものですが,1871年,有名なλ^(-4)法則,すなわち,十分に小さい粒子による光の散乱で波長変化が伴わない場合には,散乱強度は波長の4乗に逆比例するという法則を導き出しています.この法則のとおり,太陽の光の中で波長の短い青は空気分子によって波長の長い赤よりずっと強く散乱されるため,空が青く見えるのです.
1890年,レイリーは,生き物のように水面を走り回るショウノウ・ボートが微量の油にふれるともはや動かなくなることから,水面上には油の単分子膜が存在すること,油の分子の直径は約1nmであることを推察しています.おそらくこれが水面上の単分子膜に関する世界で最初の実験です.
その後,薄膜の光学的測定法が進歩し,1917年のラングミュアの研究から石けん分子の大きさは1nmではなく,2nmであることが明らかになったのですが,19世紀の終わり頃,分子はまだ仮説的な存在であって,いわんや,分子の構造や大きさなどを実験的に測定することは不可能でしたから,大変な慧眼であったというわけです.
なお,レイリー分布と呼ばれる統計分布には2つの顔があり,ひとつには形状母数2のワイブル分布(最近接距離分布)で,もうひとつには標的問題の解であるχ分布において自由度2としたものでもあります.すなわち,レイリー分布は,特別な性格をもっている統計分布なのです.
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【2】ポッケルス
レイリーの樟脳ダンスの実験以前に,ドイツではポッケルス嬢が水盆と仕切り板を使って,単分子膜の性質を調べる巧妙な実験法を考え出していました.
立花太郎「シャボン玉−その黒い膜の秘密−」中公新書によると,レイリーの樟脳ダンスの論文は1890年に発表されたものですが,翌年の1月レイリーはドイツからきた1通の手紙を受け取りました.差し出し人は未知の女性ポッケルス,内容は物理の大御所レイリーも気がつかなかった水面上の薄膜についての巧妙な実験と興味ある結果で,それはレイリーを大変驚かせるものでした.
驚くべきことに,この発明は病気がちな父母の看病と一家の生計に追われながら,なんと台所の片隅で有り合わせの道具を用いて,そして普段は専ら家事をしている女性によってなされたものです.
そのとき,レイリーはすこぶる面倒な方法をとっていたのですが,油膜の厚さを自由に調節できる彼女の実験をすぐに追試し,そして彼女の手紙を英訳して,ネイチャー誌の編集長に紹介,それは表面張力というタイトルで1891年同誌に掲載されました.
レイリー卿の助けで世に出された実験は,その手紙に先立つこと10年前に行われたもので,そのとき彼女はまだ20歳になるかならぬくらいの年齢でしたし,生来の理科好きではあっても専門の科学者でない彼女は,その結果を雑誌に発表することはありませんでした.
約10年が経過した後,物理を専門にしていた弟の勧めによって,彼女はレイリーに手紙を書いたのですが,界面化学で重要であり,現在も単分子膜の実験で必ず使われる表面膜用水槽天秤の原型は,ポッケルスによって,彼女が20歳のとき考案されたものなのです.
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【3】ラングミュア
アメリカのラングミュアも多方面にわたる研究で知られる人です.レセプターに結合する物質(神経伝達物質,ホルモン,薬物など)を一般にリガンド(ligand)と呼びますが,化学ではラングミュア・プロットと呼ばれるリガンドのレセプター結合曲線があり,1932年にはノーベル化学賞をもらっています.そのため,私は化学の出身と思っていたのですが,元々は金属工学専攻だったそうです.
1909年,大学で化学を教えていたラングミュアは,ゼネラルエレクトリック社(GE)の研究所で一夏を過ごすことになりました.1909年というと,エジソンが白熱電球を発明してから30年後,タングステン・フィラメントが使われるようになって5年目のことです.
当時,GE研究所の最大の問題はタングステン電球の寿命をのばすことであったのですが,GEは当時としては抜群の真空技術をもっていて,真空にすればするほど寿命が延びるという考えであったらしい.
ところが,電球中を理想的な真空にしてもガラス管球の内壁が黒くなってしまうことを完全に防ぐことはできないと予想したラングミュアは,逆に電球にいろいろな気体を入れることを考え,アルゴンの中では,フィラメントのタングステンの蒸発が妨げられ黒化を防ぐとともに,フィラメントを長い間融点に近い高温に保っておいても大丈夫であることを発見しました.これがガス入り電球です.
また,タングステン・フィラメントの表面にトリウムやセシウムを吸着させると多量の電子を放出するようになるという発見は,真空管工業に大きな進歩をもたらしました.ラングミュアはこれですっかり面白くなり,大学を辞めてGE研究所に転職しました.GEは大変な拾い物をしたというわけです.
もうこれ以上薄くなれないような膜=黒膜の存在は分子の実在の証拠でもあるのですが,1917年,ラングミュアは黒膜の厚さが石けん分子の長さの約2倍であることから2分子膜と推定しました.
生物の細胞膜は石けん膜に似たものであって,簡単にいえば水の中のシャボン玉のことといってもよいのですが,石けん膜は水面上では単分子膜として存在できるものの,生体膜(7〜10nm)は水中に存在するから2分子膜なのです.こうして,1932年,ラングミュアは単分子膜の研究でノーベル賞に輝いています.
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【4】ブロジェット
葉緑体は細胞膜が層状に重なったものに葉緑素が埋め込まれたものですが,半導体に似た作用で太陽エネルギーをキャッチし,大気中の二酸化炭素から炭水化物を合成し,酸素を放出します.これが光合成ですが,光合成の機構を参考にして有機化学反応を起こさせることは,化学者が永年抱いている夢なのです.
そこで,単分子膜を幾層も固体表面に重ねて,植物のクロロフィルや視細胞のレチナールのような機能性薄膜を人工的に創ろうという発想が芽生えるのは自然な発想でしょう.太陽電池も機能性薄膜の1例です.
単分子膜を幾層も固体表面上に重ねて移し取ったのがLB膜(ラングミュア・ブロジェット膜)ですが,単分子膜から累積膜を作ることができることを最初に報告したのが,ラングミュアとGE研究所の同じ研究室で単分子膜を研究していたブロジェットです(1934年).
彼女がステアリン酸カルシウムの単分子膜をガラス面上に移しとって,LB膜の名が生まれたわけですが,LB膜は数年前まで学会の花形でした.今は研究の手詰まりから原点に返って出直しの感があるのですが,やがて風穴があけられいったん勢いがつくと,進歩の道を一気に駆け上がるに違いありません.
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【5】サッチャー
英国の首相だったマーガレット・サッチャーが機能性薄膜の研究者であったことはあまり知られていないと思われますが,結婚前の26歳のとき「単分子膜層状態におけるαモノステアリンの鹸化反応」なる研究報告を提出しています(1951年).
その後,化学から政治に転じ,首相として行政にも携わりました.私は政治上の批評をする立場にはないのですが,化学者として,あるいは,政治家として2つの理想を達しようとする人は少ないでしょうし,達しうる人はなお少ないと思いますので,素直に彼女のことを賞賛したいと思います.
鉄の女と呼ばれ,並みいる野党の論客を論破したサッチャーさんがどんな顔をして単分子膜の積層実験をしていたのかを想像すると,思わず顔面の筋肉がゆるんでしまうのは私ばかりではないでしょう.
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【6】ドクターG
このコラムに度々登場するドクターGこと後藤邦彦博士(シカゴ・ノースウェスト大学教授)も大学院時代,生体膜の研究の没頭していたので,この場を借りて紹介したいと存じます.
彼はこわれやすくて,到底作れそうにもないと思われていた二分子膜からなる直径1ミリメートルほどの小胞(リポソーム)を作り,それが水溶液中でいかに安定に存在しうるかを実証しました.
このシャボン玉は水中で24時間以上も保たれたのですが,この長寿命のシャボン玉が彼に水中における疎水結合の威力を確信させることとなり,その後の彼の研究テーマの選び方に大きな影響を与えることになりました.
ドクターGの研究の原点はこのシャボン玉にあるといえるのですが,さらに彼はその膜にタンパク質を埋め込み,小胞中にDNAを封じ込める方法を開発して,いわば生命の原型といえるものまで作っています.なお,現在,リポソームにはさまざまな薬剤が封入され,医学・薬学方面で実用化されています.
ドクターGは常識にとらわれない,柔軟な考え方と研究姿勢の持ち主ですが,研究者が「非常識」といわれて引き下がってしまうようでは新しい研究はできません.今後とも「超常識」に挑戦し続けていって欲しいと願っています.
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