■ヘモグロビン(Hb)とミオグロビン(Mb)

 酸素濃度(酸素分圧PO2 )と酸素化ヘモグロビンの割合(SO2 )を表わす曲線(酸素飽和・解離曲線)は特徴的なS字状の曲線を描きます。これは高校の生物の教科書にも取り上げられていて、その生物学的性質はよく知られています。今回は、単純な双曲線ではなくシグモイド曲線が得られる理由(アロステリズム)について考えてみることにします。

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 筋肉中にあるミオグロビン(Mb)は血液中にあるヘモグロビン(Hb)によく似た性質をもっており、いずれも酸素を結合し運搬する蛋白です。クジラが哺乳類であるにもかかわらず長時間潜水可能なのは、クジラではミオグロビンがよく発達しているからですが、ミオグロビンと酸素との結合平衡は次式によって表わされます。

       K

 Mb+O2  →  MbO2   (K=[MbO2 ]/[Mb][O2 ])

 いま、ミオグロビンの酸素飽和度をsとすると

s=[MbO2 ]/([MbO2 ]+[Mb])

全ミオグロビン濃度は

[Mb0 ]=[MbO2 ]+[Mb]

ですから

[MbO2 ]=s[Mb0 ]

[Mb]=(1−s)[Mb0 ]

K=s[Mb0 ]/((1−s)[Mb0 ][O2 ])

より

s=K[O2 ]/(1+K[O2 ])

すなわち、ミハエリス−メンテン型酵素反応(定常状態における酵素反応速度式)と同様に双曲線の酸素解離曲線を示すことがわかります。

 ところが、ヘモグロビンの場合は酸素解離曲線は双曲線とはならずにS字状になり、ミオグロビンと酸素の間に成立する関係式は成り立ちません。

 Hbの酸素飽和・解離曲線

・・・・・・・・・・・・・・・・・

・ 酸素分圧 ・ 酸素飽和度  ・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

・  10  ・  13.5  ・

・  20  ・  35.0  ・

・  30  ・  57.0  ・

・  40  ・  75.0  ・

・  50  ・  83.5  ・

・  60  ・  89.0  ・

・  70  ・  92.7  ・

・  80  ・  94.5  ・

・  90  ・  96.5  ・

・ 100  ・  97.4  ・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そこで、ヒル(Hill)は、ヘモグロビン1分子あたりn分子の酸素が結合すると仮定して次の仮想モデル式を立てました(1910年)。

       K

 Hb+nO2 → HbO2n  (K=[HbO2n]/[Hb][O2 ]n )

したがって、

s=K[O2 ]n /(1+K[O2 ]n )

が得られます。この式をロジット変換すると

log(s/(1−s))=logK+nlog[O2 ]

となりますから、横軸に酸素分圧の対数、縦軸にlog(s/(1−s))をとると、その回帰直線の勾配がnとなることを利用してnの値を求めることができます。

 ヒルの式は、妥当なモデル式から導かれたものというよりも、データを処理するための経験的な便法と考えたほうがよいのですが、n=2.4とおいたときに実際の酸素解離曲線を満足し、原点を通過し変曲点に対して非対称なS字状曲線が得られます(n=1ならばMbの場合の式に一致する)。

 実際、Mb分子が単量体で存在するのに対し、成人Hb分子(HbA)は4次構造をとり、4つのサブユニットα2β2から構成されていて、各々1個、Hb分子全体で4個の酸素結合部位をもっていることが実証されています。

 Hbが酸素と結合するとき、4個のサブユニットが全く独立に酸素と反応するならばn=1となるはずですが、nの値が2.4のように大きな値をとることは、Hbのサブユニットがお互い相互作用を及ぼしあうアロステリックな蛋白質であることを示しています。すなわち、酸素があるサブユニットに結合したとき、ほかのサブユニットの酸素結合部位も高次構造(コンフォメーション)の変化を受けることによって酸素親和性の増大が引き起こされるためです(アロステリック変移)。もしも、サブユニット間の相互作用がもっと強い正の協同作用を示し、4個が完全に同じ飽和・解離行動をとるならばn=4になるはずです。

 ヒルの方法は、結局、協同性の有無を推定する方法になっていて、n=1のとき協同性はなし、n>1のとき正の協同性あり、n<1のとき負の正の協同性ありと判定されます。このプロットをヒルプロット、nの値をヒル係数と呼びます。協同性は複数個のサブユニットから構成されている酵素にしばしばみられる現象であって、アロステリック効果として知られています。

 Hb分子のあるサブユニットに酸素が結合すると、残りのサブユニットに酸素が結合しやすくなり、逆に、1か所で酸素が放出されるとほかの酸素も放出されやすくなる−−−ヒル係数の解析により、Hbではこのように酸素を速やかに運べる巧妙な機構になっていることがわかりました。一方、Mb分子は酸素結合部位が1か所で、筋肉内では酸素をたくわえて必要に応じて徐々に放出するという目的に適った機構であることを示しています。つまり、Hbは酸素分圧の高低に応じて酸素の結合・解離を行う制御機構を示していますが、Mbは酸素に対する親和性が高く、低酸素分圧下でも十分に酸素を捕獲できますが制御機構はありません。

 人体内では2種類の酸素運搬蛋白が存在し、酸素分圧の低いところで作用するMbが双曲線様の酸素解離曲線、酸素分圧の高いところで働くHbがS字状の酸素解離曲線を示すことは生理的にいってはなはだ合目的的な現象と考えることができます。一方、胎児Hb(HbF:α2γ2)は成人Hb(HbA:α2β2)に比べて酸素親和性が高く、酸素濃度の低い胎内で機能するのによく適応しています。本当によくできているなあと感心させられます。ライフサイエンスの不可思議を感じて頂けたでしょうか。

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【補】ミハエリス−メンテン型酵素反応

 化学反応速度論によると、化学反応は質量作用の法則(反応速度は反応物質の活性濃度に比例する)に支配される。

        k1

    A+B →  C (k1 ,k2 :反応速度定数)

        ←

        k2

 A,B,Cの濃度をそれぞれ[A],[B],[C]とすると、質量作用の法則から反応速度vは、                        v=−d[A]/dt=−d[B]/dt=d[C]/dt

と定義され、Cの生成速度は、

d[C]/dt=k1 [A][B]−k2 [C]

となる。生体中で起こる化学反応の多くは、酵素が触媒の役割を果していることはすでにご存じのことと思われるが、以上のことを基礎知識として酵素反応を解析してみることにしよう。

 ある酵素(Enzyme: Eと略す)が基質(Substrate:Sと略す)に作用して、反応産物(Product:Pと略す)が生成されたとする。触媒反応であるから、反応の途中に酵素−基質複合体(ES)が作られ、それがEとPに解離するものとする。ミハエリス(Michaelis) と メンテン(Menten) は反応中間体としてESを想定することによって、酵素反応をよく知られている次の式で表わした。すなわち、

          k1     k2

      E+S →  ES  →  E+P

          ←

          k-1

と書けるから

d[P]/dt=k2 [ES]

d[ES]/dt=k1 [E][S]−k-1[ES]−k2 [ES]

        =k1 [E][S]−(k-1+k2 )[ES]

を導くことができる。

 この式では、反応速度(=Pの生成速度=Sの消失速度)はESの活性濃度により律速されることになり、ES → E+Pが全反応の律速段階になっている。反応直後と反応後期を除いた定常状態ではd[ES]/dt=0、すなわち、ESの濃度は一定と考えることができるから、

k1 [E][S]=(k-1+k2 )[ES]

[E]=(k-1+k2 )/k1 ・[ES]/[S]

が得られる。ここで、全酵素濃度を[E0 ]とすると

[E0 ]=[E]+[ES]

になるから、この式に代入して[ES]について解くと

[ES]=[E0 ][S]/([S]+Km )

 ただし、Km =(k-1+k2 )/k1となる。

 したがって、反応速度は

v=d[P]/dt=k2 [E0 ][S]/([S]+Km )

k2 [E0 ]はこの系の最大反応速度であるから、これをVm とすると

v=Vm [S]/([S]+Km )

が得られることになる。この式がミハエリス−メンテンの式(Michaelis-Menten equation )で、Km ,Vm は定数であるから反応速度vと基質濃度[S]の関係は双曲線関係となる。Km は酵素特性を示す定数でミハエリス定数とも呼ばれ、順反応と逆反応の速さが等しいとき、すなわち、平衡状態の際の各物質の量的関係を決める重要な指標であり、最大反応速度の半分の反応速度が得られる基質濃度に相当している。

 ミハエリス−メンテンの式において[E]と[S]の関係は非線形の型をとっている。非線形解析すべきところを線形解析で代用すると理論と現実のデータがいかにもあやしげな食い違いをみせ、いわくいいがたしという経験をお持ちの方は少なくないであろう。生体では線形現象より非線形現象が多いが、案外、その基本はここにあるのかもしれない。

 ミハエリス−メンテンの式を変形すると、

a)1/v=1/Vm −Km /Vm ・1/[S] (Lineweaver-Burk)

b)[S]/v=Km /Vm +1/Vm ・[S] (Hanes-Woolf)

c)v=Vm −Km ・v/[S]        (Edee-Hofstee)

が得られ、傾きと両軸切片からKm とVm の値が容易に求められる。たとえば、ラインウェーバー・バーク(Lineweaver-Burk )の式では、1/vと1/[S]が直線関係になることを示していて、両逆数プロットによって酵素特性を求めることができることを意味している。

【問題】このように線形化したモデルによって、最大代謝速度Vm とミハエリス定数Km を推定すると、変数変換の仕方によってパラメータの推定値にかなりの違いを生じる。ミハエリス−メンテン・モデルに合うの酵素反応では[S]とvをそのまま用いる非線形回帰がもっとも信頼性が高く、皮肉なことに酵素反応の解析に頻用されているラインウェーバー・バークのプロットがもっとも信頼性が低いことになる。この理由を説明せよ。

(ヒント)酵素反応では、[S]の誤差は無視できるのに対し、vは通常5〜10%の誤差を含んでおりその真の値に対する割合は[S]の小さいほうが大きくなる。

 上記の3種の直線プロットと少し性格の違う面白いプロットが、

d)Vm /v−Km /[S]=1   (Eisenthal Cornish-Bowden )

である。このプロットでは[S]とvをそのまま用いるので、direct linear plot法と呼ばれ、統計的にも合理的で確かに簡便な方法ではあるが、作図の仕方によっては直線の交点がみにくい場合がある。

従来、b),c),d)のプロットはラインウェーバー・バークプロットに比べ、あくまで二義的な扱いしか受けていないような印象をうけるが、非線形推定がもっとも精密で合理的な統計的モデル適合法であることはいうまでもない。

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【補】非定常状態の酵素反応

 ミハエリス−メンテンの式が成り立つ条件は定常状態d[ES]/dt=0の範囲内に限られてしまう。そこで、この節では非定常状態において時間tに対する[S],[P]の量的変化のタイムコースを求めてみることにする。

d[E]/dt=(k-1+k2 )[ES]−k1 [E][S]

       =(k-1+k2 )([E0 ]−[E])−k1 [E][S]

d[S]/dt=k-1[ES]−k1 [E][S]

       =k-1([E0 ]−[E])−k1 [E][S]

=k-1([S0 ]−[S]−[P])

+k1 [S]([S0 ]−[S]−[P]−[E0 ])

d[P]/dt=k2 [ES]

=k2 ([E0 ]−[E])

=k2 ([S0 ]−[S]−[P])

d[ES]/dt=k1 [E][S]−k-1[ES]−k2 [ES]

        =k1 [E][S]−(k-1+k2 )[ES]

[E0 ]=[E]+[ES],[ES]=[E0 ]−[E]

[P]=[S0 ]−[S]−([E0 ]−[E])

 [S],[P]をそれぞれy1 ,y2 とおいてtに対する方程式をたてると

dy1 /dt=k-1([S0 ]−y1 −y2)

+k1 y1([S0 ]−y1−y2−[E0 ])

dy2 /dt=k2 ([S0 ]−y1−y2)

になる。したがって、連立常微分方程式を初期条件および[E0 ](反応液に添加した酵素濃度)、[S0 ](初期基質濃度)のもとに解くとy1 ,y2 の過渡的現象のタイムコースが得られることになる。

 この微分方程式中には非線形項が含まれ、もはや解析的に解くことはできない。そこで、微分方程式を数値的に解く、すなわち、常微分方程式の初期値問題のパラメータを計算する部分に数値積分法であるRunge-Kutta-Gill法(RKG法)などを組み込み、数値的にモデル・パラメータの計算を行なうことが必要になる。

 前述の定常状態の速度論は、特別の装置を必要とせず、低濃度の酵素溶液ですむのに対して、遷移相における速度論を観察するためには高い酵素濃度とストップフロー法などの高速反応の測定技術が必要になる。しかし、より直接的に酵素反応の素過程を観察でき、反応機構に関してはるかに詳細な知見を得ることができるようになる。近年、測定技術の進歩と装置の普及に伴い、酵素反応の速度論的研究は古典的な定常状態の速度論から遷移相の速度論へと移りつつある。