最近のちょっと気になる話題に、「非線形」「カオス」「フラクタル」があります。従来、非線形信号はノイズあるいは再現性の悪いものとして見落とされ見逃されてきたのですが、見方を変えるとそこにある種の秩序があり、カオスやフラクタルの形でいろいろな情報を含んでいることが知られるようになってきました。これまで原因不明のノイズとして見捨てられていたものも、それをカオスと考えることによって隠れた法則性を発見する手がかりとなるのです。 「カオス」は、ポアンカレから始まった力学系の研究に端を発し、「非線形」や「フラクタル」と密接に絡んでいます。時間経過は相前後しますが、理解しやすいように並べ替えてから、順次解説することにいたします。
1.ロジスティックモデル(カオスのモデル)
1976年、アメリカの物理学者ファイゲンバウムは、奇妙ではあるが魅力的な考えを、反復関数
x,f(x),f(f(x)),f(f(f(x))),・・・
に基づいて発展させ、f(x)が2次式になると、漸化式
xn+1 =f(xn )
の挙動は極めて複雑になることを指摘しました。たとえば、
f(x)=kx(1−x) (0<k≦4)
の形の漸化式はkの値によって漸近挙動が全く異なったものになり、カオスと呼ばれる現象を引き起こします。
xn+1 =f(xn )=kxn (1−xn )
xn が0と1の間の値をもつものと考えると、この式は人口増加のロジスティックモデルとなります。すなわち、xは人口増加、(1−x)はそれに歯止めをかける傾向を反映する因子です。ここで、
a)0≦k≦1なら、xn の値は初期値x0 にかかわらず0に近づく。
b)1<k≦3なら、xn の値は初期値x0 にかかわらず固定点(k−1)/kに近づく。
c)3<k≦3.56995ならば2n 個の極限値の間を振動する。
i)3<k<3.44(=1+浮U)ならば2つの極限値の間を振動する(周期2のサイクル)。
ii)3.44<k<3.54ならば4つの極限値の間を振動する(周期4のサイクル)。
iii)3.54<k<3.564ならば8つの極限値の間を振動する(周期8のサイクル)。
iv)3.564<k<3.566ならば16の極限値の間を振動する(周期16のサイクル)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4)k>3.56995(ファイゲンバウム点)のときには挙動はひどく複雑になり、周期的なのか、周期的とすればその周期はいくつかなどはわからないほどでたらめに荒々しく揺れ動くようになります。このような状態がカオスですが、カオスでは最終の人口増加が全く予測できないだけでなく、初期値の選び方に非常に大きく依存します。ところが、kの値の所々で単純な周期変動が現れ、たとえば、k=1+2浮Qのとき周期が3、すなわち3つの極限値の間を振動します。リーとヨークは周期長3が観測されることはすべての可能な周期が現れることを示しています。
以上のことは、パソコンでも簡単に確認できます(→【補】)。ロジスティックモデルでは、時間を不連続にした体系(力学系)に限って取り扱いましたが、連続にしてもわずかだけつけ加えればこと足ります。
「カオス」という語は日常に使う意味とは対照的に、自然科学の中では特定の意味「無秩序の中に存在する秩序」をもっています。すなわち、カオスの本質は
a)完全に非周期性でかつ完全に決定論的であること
b)初期値の選び方に大きく依存すること
であって、乱雑(ランダム)との間には明確な一線で画されます。
2.ロトカ・ヴォルテラモデル(非線形現象のモデル)
f(x1 +x2 )=f(x1 )+f(x2 )・・・・・a)
f(cx)=cf(x)・・・・・・・・・・・・・・b)
を満足するとき、関数fは線形であるといいます。a)の重ね合わせ(加法性)、b)の比例関係(斉次性)が満足されるならば、c1 ,c2 を任意の定数とする1次結合c1 x1+c2 x2 に対し、
f(c1 x1 +c2 x2 )=c1 f(x1 )+c2 f(x2 )
は自明の理です。
自然界の法則の大部分は微分方程式の形で表現されますが、線形と非線形の違いを簡単にいえば、非線形方程式は未知数の二乗の項を含むこと、線形方程式は一乗の項しか含まないことです。たとえば、dy/dx=yのように1次の項しかない微分方程式は解の重ね合わせが成り立つ、すなわち、解の和もその解となるので線形、dy/dx=y−y2
のように2次以上の高次項(y2 など)や交差項(xyなど)を含む微分方程式は解の重ね合わせの原理が成り立たないので非線形です。
xをある生態系におけるウサギの個体数、これをエサとするキツネの個体数をyとします。それらの変化は被食者と捕食者の生存闘争モデルとして有名なロトカ・ヴォルテラ(Lotka-Volterra)の微分方程式(→【補】)
dx/dt=ax−cxy
dy/dt=−by+cxy (a,b,c>0)
で表されます。この式は、キツネがいなければウサギは微分方程式dx/dt=axにしたがって無制限に増え、ウサギがいなければキツネは微分方程式dy/dt=−byにしたがって死滅していくと仮定し、生物種の相互作用の項をcxyとしてモデル化したものです。すなわち、個体群間の相互作用を表す交差項xyを含む非線形モデルです。
餌食となるウサギが不足すればキツネの数は減少するが、一方、ウサギの個体数はキツネの減少のせいで増加が可能になる→ウサギの個体数がかなり増加するとキツネの個体数も増加が可能となる→キツネが大量に増えてウサギの個体数は減少するという時間経過をとることが予想されます。
非線形項を含む3元の微分方程式の解は「カオス」と呼ばれる非常に複雑な挙動を示すことは次項で述べますが、ロトカ・ヴォルテラモデルは交差項xyを含む2元の微分方程式であって、被食者と捕食者の変化は周期的、つまりある時間がたつと初めの状態に戻る非線形現象になります。
【問】ロトカ・ヴォルテラの式で競争関係にある2種類の個体群は、平衡点のあたりで増減を繰り返す周期解をなすことを証明せよ。
3.ローレンツモデル(3変数の力学系)
生態系のロトカ・ヴォルテラ方程式は2変数の力学系と考えることができますが、変数の数が3より大きい力学系に拡張することは容易なことです。地球の表面には10km程度の空気の層があり、そこでの対流は気象現象という複雑な変化を生じます。気象現象のひとつの数学モデルが、1963年、アメリカの気象学者ローレンツにより提出された対流・乱流モデル(天気予報のモデル)です。ローレンツは、天候をシミュレートするために流体の運動を簡単な3個変数を含む非線形微分方程式系(一種の三体問題)にモデル化し、非線形項を含む3次元の微分方程式の解がパラメータのある値を境に対流から乱流へと非常に複雑な挙動(カオス)を示すということを明らかにしました。
その研究中、ローレンツは、コンピュータを使って最初の計算のときはある数値を0.506127と入力したのですが、検算のときには0.506で打ち切ってしまいました。2本のシミュレーシュンカーブは最初のうち似通った振る舞いをしましたが、時間の経過とともに似ても似つかない結果になってしまいました。初期値はたった5000分の1程度の誤差です。すなわち、ローレンツ方程式による気象計算はパラメータの初期条件に敏感に依存し、小数点以下の数字を四捨五入するかしないかでその後の天候の移り変わりがまったく異なり、解の振る舞いは本質的にクジ運的・確率論的であることから、ローレンツはこれをバタフライ効果−−−1匹の蝶が羽ばたいたことで明日の天気が変わる可能性があること−−−と呼んでいます。
天文学と気象学は、どちらも私たちの頭上の世界を扱っている点では共通ですが、天文学上の現象は何世紀にもわたって予測できるのに対し、皮肉なことに、明日の天気を正確に予報することですら非常に困難なのです。
パラメータの値をほんの少しずらした力学系の定性的性質を調べる方法を摂動法といいますが、特定のパラメータの場合のローレンツ系の解軌道を描くと、3次元空間に蝶の羽根を思わせるような8の字状の非常に複雑な往復運動をし、定常状態に達することはありません。この解の軌跡はストレンジアトラクタ(奇妙な引き込み領域:アトラクタとはプロットする点がある不動の対象に引き寄せられていくときの対象を指す)と名付けられています。
カオスには周期性がないので有限の空間に無限の軌道を描き続けることになり、これを数学らしく言い換えるとローレンツの3次元微分方程式の解はt→∞で有界ではあるが周期的でないということになります。
気象現象のように、カオスは一見秩序的な振る舞いをしない予測不可能な振る舞いをするランダム現象のようですが、実は決定論的な方程式によって記述されていて、その解は初期値により完全に決定されているものです。言い換えれば、複数の相互作用をもっているために非常に複雑でいかなる予測も許さない無秩序に見える現象で、ランダムネスを真似た決定論的システムであるがゆえに予測不可能なものと言い換えてもよい現象です。
変な挙動を示す場合には、その系は例外なく非線形方程式に支配されていて、初期条件のわずかな違いに敏感に反応します。線形微分方程式に相互作用を表す非線形項を一つだけつけ加えた非線形微分方程式でも数学的には解けないことが証明されていて、コンピュータによって数値解が求められます。非線形方程式の解き方の研究は最近急速に進んでいますが、一般の非線形方程式の系統的な解き方はまだ知られていません。おそらく、今後もありえないことでしょう。ただし、非線形性は応用上重要な役割を演じており、カオスに対しては状況に応じてそれに最適な規則を取りだすことさえできればうまく対応できると考えられていて、すでに種々の応用範囲も創案されつつあります。
4.フラクタル構造の解明
フラクタルとは有限の空間に無限の集合がたたみこまれたもので、ロシアのマトリョウシカ人形のように相似形が入れ子構造になっていて、拡大すると自己相似パターンが認められるものを指します。いくらでも小さいスケールで自分自身を再現するパターン、いたるところで微分不可能な連続曲線といったほうがわかりやすいかもしれません。
カオスの軌道を拡大するとそこには拡大前と類似の自己相似パターンが認められることから、カオスとフラクタルは密接に関連しています。
フラクタル構造の代表例が、ガラスのひび割れ、雪の結晶、金平糖の角の造形成長パターンなどです。フラクタル構造を解明することによって、たとえば、木のような構造をもつ気管支の形態と機能の生物学的発達が説明できたり、また、銀河は宇宙上に一様に生ずるのではなく、むしろクラスターとして存在していますが、宇宙のフラクタル構造の解明がその起源の理解に導いてくれます。
長い間、物の形は自然科学の対象とはなりえませんでした。それは自然の形が定量化できなかったからにほかなりませんが、しかし、誰もがそのパターン形成のメカニズムを知りたいと考えてきました。わが国では数多くの随筆を残している文化人としても高名な「天災は忘れた頃にやって来る」の物理学者、寺田寅彦を中心とした研究グループが形態形成にはそれぞれの原因があると考えて形因論を展開し、その先駆的な研究に携わっています。
寺田寅彦はX線結晶学に関して世界に誇れるような仕事をしているのですが、日常身辺の現象に対しても科学的な考察を施し、芸術と科学の一体化を図っています。彼の考えは「金平糖の研究」などによく現れていて、氷の割れ方や川の流れ方など一見でたらめな形への関心を示し、今日でいうゆらぎやパターン形成など非線形性現象の草分け的存在になっています。なお、夏目漱石の「我が輩は猫である」の寒月先生は彼がモデルとされています。
パターンの形成過程に潜む法則性については彼が育成した研究者、例えば、電気火花やガラスのひび割れパターンを平田森三が、雪片の幾何学(雪の六角結晶像)については中谷宇吉郎が研究を進めました。中谷宇吉郎は「雪は空からの手紙である」という有名な言葉を残していますが、これは雪の結晶を見るとどのような気象条件のところを通過してきたか判断できることを述べたものと思われます。
ところで、中谷宇吉郎が雪の結晶は天からの手紙という言葉を残してからすでに半世紀の年月が経過していますが、天からの手紙は解読されたといえるでしょうか。科学者たちは今やっと雪片のパターンに含まれるメッセージを解読し、どのようにして雪片が成育するかの理論を構築し始めたばかりです。水の分子が凝集した雪の結晶化現象はあまりにも複雑な挙動を示し、幾多の撹乱因子も重要な役割を果たしていて、毎回毎回、二度と再現できないような形が現れます。この問題についてのわれわれの理解はようやくその糸口をつかんだばかりで、内容についてはまったくの未解決問題、すなわちほとんど何もわかっていないというのが現状であるといわざるを得ません。
5.3体問題(カオスの発端)
エピローグになって、はじめてプロローグの話をするのも変な話ですが、カオスの発端となった3体問題を取り上げるのはスジというものでしょう。
ニュートンは逆2乗則にしたがう引力が、宇宙のどの場所においても、どんな2つの物体の間にも例外なく存在するはずだという、実に大きな知的飛躍を試みて大成功をおさめ、ニュートン以来の古典力学は解析力学という形で一応の完成をみました。もちろん、現在の科学はニュートン力学だけでは不十分で、光の速度に近いような非常に速い物体、原子とか量子とか非常に小さい物体の運動法則は、もはやニュートン力学ではうまく説明できません。そこで、アインシュタインの相対性理論という新しい力学が出現したのです。しかし、運動する速度があまり大きくない物体の運動、たとえば、人工衛星の運動ではニュートン力学は実にうまくあい、相対性理論を使う必要はまずありません。
天体力学において、2つの物体まではニュートン力学によって解析的な計算を行うことができ、互いに引力を及ぼしあっている二つの物体は楕円、放物線、双曲線のうちのいずれかの軌道になることが証明されています。例えば、地球から打ち上げた人工衛星の初速が秒速7.9km(第1宇宙速度)のとき円、それ以上で秒速11.2km(第2宇宙速度)以下のとき地球を焦点とする楕円、秒速11.2kmのとき放物線、それより速いときは双曲線を描くといった具合です。放物線軌道、双曲線軌道になると地球の重力圏を脱出し、もう地球に戻ってくることはありません。これらの曲線は円錐を異なる平面で切ることで得られる一群の曲線、すなわち円錐曲線で、天文学において重要な役割を果たすことになり、力学と幾何学の間には美しい調和が存在していることになります。
ニュートンは2つの天体の間の運動方程式(微分方程式)を積分することによって解き、安定な周期解となることを導き出しました。この解がケプラーの法則です。次に、3つの天体間の運動方程式、すなわち3体問題(例えば、地球と太陽と木星しかない宇宙で、これら3つの星の運行を決める)に関心が移ってくるのは当然のことでしょう。ところが、天体の数が3つになると複雑でお手上げになることをご存じでしょうか。
ニュートンの後継者たちは、物体が3つ以上ある系についても運動方程式を積分して解くことを試みたのですが、結局、積分不能で行き詰まってしまいました。3体問題の運動方程式を書くのは容易ですが、それを解くのは非常に難しく、方程式を正確に解く公式をどうしても見つけられなかったのです。2体問題は可積分であるのに対し、3体問題の技術的な困難は、ニュートンから2世紀以上経てもなお完全な答えは見つからなかったのですが、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ポアンカレは3体問題を積分法で解くことは不可能であることを証明しています。
3体問題は可積分でないという不存在証明が微分方程式論など数学に与えた影響は大きなものがあります。数学は数学内部から影響で進展するとともに、物理学、天文学、力学の強い外部的影響のもとで、関連しながら発展してきましたが、ヒルベルトは、ポアンカレを議長とする1900年の国際数学者会議で「数学の諸問題」という講演を行っています。ヒルベルトのあげた23の問題は数学のほとんど全分野にわたっていて、彼自身の研究と密接に関連しています。そのなかで、数学の発展をもたらした問題の例として、最速降下線の問題、フェルマーの問題、三体問題、正多面体の問題、代数関数論におけるヤコビの逆問題をあげていますが、フェルマーの問題がまったく純粋な思考の産物であるのに対して、三体問題は天文学上の必要性から生じたもので好対照をなしています。
6.太陽系のなかのカオス
二体問題の運動方程式はニュートンによって解かれ、その解はよく知られたケプラーの法則になります。ケプラーの法則では、すべての惑星はどれも太陽を1つの焦点とする同心楕円上を運行し、地球は永久にその楕円軌道を保ちながら太陽の周りを回り続ける周期軌道をとります。このように、二体の系においては軌道が安定するのですが、その系にもう一つ惑星をつけ加えると地球はもはや時計仕掛けのように正確で不変な軌道を保つことができず、カオス的にゆらぎ、ゆがめられてしまいます。3体問題は可積分でないばかりかカオスをも生ずるのです。
この問題は天体がそれ以上になるとさらに難しくなります。実際の惑星の運動は、太陽と惑星との二体問題ではなく、他の惑星の重力の影響も絡み合った多体問題になります。太陽系は太陽と9つの惑星が月や小惑星、彗星を伴って運動している大家族・大惑星系であり、その相互作用はかなり複雑となってしまうのです。
1887年頃、最後の万能数学者と呼ばれたフランスの数学者ポアンカレは「すべての惑星は現在の軌道とほとんど同じ軌道上を今後も運動し続けるのだろうか。それとも、太陽系外に飛び去ってしまったり、太陽に衝突する惑星もあるのだろうか。」という太陽系の安定性について研究していました。ポアンカレによってスタートした力学系の研究から、多体問題の運動方程式を解くことは極めて難しいことが知られていて、周期的なものだけでなくで、不規則で予測できないもの−−−たとえば有界ではあるが周期的でない軌道や無限軌道−−−が現れることが証明されています。したがって、実際の惑星の運動はケプラーの法則が厳密には成立しないため、非常に複雑な運動になることがわかっていて、3つというごく少数の物体を記述する微分方程式を解くことさえ非常にむずかしく、その軌道計算は簡単には解けないのです。
それに対するポアンカレの考え方は微分方程式の定量的な厳密解を求めることをあきらめ、微分方程式の解の大域的性質を幾何学的に研究すること、すなわち、解があるかないか、周期的かどうか、構造安定かどうかだけの定性的性質を調べるという位相幾何学的なものでした。現在、式の形でうまく解けなかった3体問題の微分方程式を数値的に解き、それをアニメーションの形で見ることができるようになりましたが、それでもまだ完全な解答には到達しておらず、近似的な結論ですが、「太陽系は安定か」という問いに対しては、大体周期的になる配置と惑星がさまよう出すような配置とが紙一重の差で混ざり合っているという答えが与えられています。
力学系の理論はもともと太陽系の運動を研究するところから出発したのですが、天文学に限らず、素粒子物理学の世界でも事情は同じで、素粒子の数が3つ以上になるとやはり解析的な計算は困難になり、コンピュータを使った近似計算に頼ることになります。しかし、さらに複雑な系ではコンピュータ処理にも適用限界があり、間違った相互作用仮説に基づいて解析すると当然のことながら誤った結論を導くことになるので注意が必要です。場合によってはまったく間違った結果を導く可能性があり、相互作用をどう仮定し、多体問題をどう処理したかによって、いろいろな方程式が提唱されているというのが現状です。
7.まとめ
ニュートン力学は「ある時刻での宇宙のあらゆる情報が与えられれば未来はすべて計算できる。」、「世界全体を複雑で巨大な時計仕掛けとみなし、この仕組みを完全に知れば今から世の終わりまですべて見通せるはずである。」という決定論的思想・古典力学的自然観を生み出しました。しかし、実際には三つの天体の運動でさえ誰も予見できないのです。
19世紀後半のフランスの数学者ポアンカレは力学系理論の創始者・先駆者として名を知られ、その業績は数学や物理にコミットし深くて広いものがあります。ポアンカレは太陽系の運動に関する研究に関連してトポロジーを開発するとともに、もっとも単純な3体問題ですら厳密解が存在せず、力学系の理論は複雑極まりない軌道が現れる病理的(パソロジカル)な性質をもつことを証明しています。
ポアンカレは太陽系の安定性に関する議論の中で解の安定性神話の崩壊ともいうべき複雑な現象<カオス>を指摘しましたが、太陽系のカオスはとても小さくあたかも解は安定で、コンピュータもなかった当時は目に見える形では示せなかったためほとんど注意を払われることはありませんでした。19世紀の電子計算機がなかった時代に、米国のニューカムは海王星までの8個の惑星系の安定性を調べるのための八元連立一次方程式の固有値問題を解くのに10年以上かかったといわれていますから、カオス現象を垣間みていたポアンカレは「心眼」でそれを見ていたということになります。
ポアンカレによって、簡単な決定論的方程式に従う対象でも未来予測が不可能なことがあることが指摘されたことにより、決定論的プロセスと非決定論的プロセスとの境目はなくなり、決定論と非決定論という二分法は意味を失い、もはや成立しないものになりました。
この事実は決定論的自然観に変革をもたらすものであり、新たに誕生した非決定論的自然観の中からハイゼンベルクの不確定性原理や物質本体の確率論的解釈をもとにした量子力学的自然観が登場します。ニュートン力学の不満な点を克服するのが統計力学や量子力学であり、これがやがて新しい突破口にもなっていくのですが、今日では、ニュートン的な考え方では捉えきれない非線形現象、カオス現象、フラクタルな現象などがさまざまな分野で発見されており、非線形現象を解析する数学の確立と進展が要請されています。決定論は神話に過ぎず、原則的に自然はカオティックであるのです。
【補】マンデルブロー集合とジュリア集合
関数f(z)=z2 +kにおいて、zとkが複素数のとき、ロジスティックモデルと同様の問題はガウス平面上の複雑で美しい集合になります。
z0 =0,zn+1 =zn2+kで定義される数列が無限に発散しないような複素数kの集合がマンデルブロー集合と呼ばれ、最近流行のフラクタル図形を与えてくれます。マンデルブロー集合ではz0
を固定しkを変化させていますが、逆に、kを固定してz0
を変えたものがジュリア集合です。
非線形方程式f(x)=0の解の近似値をもとめるニュートンの方法:xn+1
=xn −f(xn )/f’(xn
)では、初期値x0 によって、収束、振動、発散しますが、この手続きは関数xn+1
=xn −f(xn )/f’(xn
)のジュリア集合を研究することと非常に似ています。ジュリアは入力zとして複素数を使ったときに、発散しない条件のもとではこの反復関数が驚くべき結果を生むことに気づいた数学者の一人です。ジュリア集合の図の驚くべき美しさと複雑さは最近のコンピュータ・グラフィックスの進歩に伴って詳しくわかってきました。また、4元数は、複素数の拡張であり、1843年、ハミルトンが発見して以来、3次元運動の力学系を記述するために使われてきて、スペースシャトルの制御でも利用されています。4元数に対しても、ジュリア集合f(q)=q2
+kを表示できる方法が開発されています。マンデルブロー集合やジュリア集合を描くためのプログラムは、深谷茂樹「フラクタル・グラフィックス」(山海堂)などを参照して下さい。
【補】数学者ヴォルテラ
ヴォルテラは第1次世界大戦中、何トンもの爆弾を雨霰のごとく投下した兵器としての飛行船ツェッペリンの開発に取り組んでいて、可燃性の水素の代わりに不燃性のヘリウムの使用を提案した人ですが、戦後は平和的な研究に興味を転換し、被食者と捕食者の間の相互作用の数学モデルを考え出しました。また、ロトカは化学的な反応比に関連して、ヴォルテラとは独立にこの形の方程式に到達しています。
国際数学者会議において、4回も全体講演者に選ばれたのは、現在までのところ、ヴォルテラただ1人です。1900年に催されたパリ国際数学者会議において、ヴォルテラは19世紀の数学を「関数論の世紀」と特徴づけていて、複素関数論の大まかな流れを計算時代(オイラー/アーベル/ヤコビ)→理論時代(コーシー/リーマン/ワイエルシュトラス)→応用時代と分類しています。20世紀の数学の特徴付けを、このような簡明な表現で与えることができるとすれば「代数化の世紀」ということになるのでしょうか。