■行列不等式(その5)

 コラム「シンク関数の数学的諸性質(その5)」ではシンク関数の積分不等式

  1/π∫(0,∞)|sin(x)/x|^kdx≦1/√(2k)  (等号はk=2のときに限る)

を検証した.

 ところで,積分不等式というとシュワルツの不等式などがあげられるが,ボールは関数を扱ったより一般的な不等式(Prekopa-Leindlerの不等式)を用いて,ブルン・ミンコフスキーの不等式の別の形を導いている.

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【1】シュワルツの不等式

[1]2乗可積分な関数f,gに対して,以下の不等式が成立する.

  (∫f^2∫g^2)^(1/2)≧∫fg

(証明)

  ∫(tf−g)^2dx=t^2∫f^2−2t∫fg+∫g^2≧0

 したがって,tを変数とする2次式の判別式

  D=(∫fg)^2−(∫f^2∫g^2)≦0

 等号はg=cf   (c:定数)のとき

[2]Δをm次対称行列,行列の固有値をλ1,・・・,λmとする.f,gを2乗可積分な関数とすると,

  |∫(Δf,g)|=|∫(f,Δg)|≦max|λi|(∫f^2∫g^2)^(1/2)

  |∫(Δf,g)|=|∫(f,Δg)|≦max|Δij|(∫f^2∫g^2)^(1/2)

(証明)

 正の対称行列は適当な座標の回転(ユニタリ変換)により,対角行列(対角要素以外はすべて0の行列)で表現可能である.このとき,

  〈f,g〉:=(Δf,g)=(f,Δg)=ΣΔijfigj

の値は不変であるから,変換後の座標で計算すると

  |(Δf,g)|=|(f,Δg)|≦Σ|λi||f||g|

|λi|≦max|λi|を適用すると,[1]より

  ∫|(Δf,g)|=∫|(f,Δg)|≦max|λi|(∫f^2∫g^2)^(1/2)

が成り立つ.

 また,これにより

  |∫(Δf,g)|=|∫(f,Δg)|≦max|Δij|(∫f^2∫g^2)^(1/2)

は自明である.

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【2】ヘルダーの不等式

 p>1,1/p+1/q=2のとき,以下の不等式が成立する.

  (∫f^p)^1/p(∫g^q)^1/q≧∫fg

 とくに,p+q=2とすれば,シュワルツの不等式となる.

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【3】ミンコフスキーの不等式

 p>1のとき

  (∫(f+g)^p)^1/p≦(∫f^p)^1/p+(∫g^p)^1/p

 p<1のとき

  (∫(f+g)^p)^1/p≧(∫f^p)^1/p+(∫g^p)^1/p

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【4】ヴィルティンガーの不等式

 周期2π,平均が0の周期関数fに対して,以下の不等式が成立する.

   ∫(0,2π)f’^2≧∫(0,2π)f^2

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【5】ブルン・ミンコフスキーの不等式

 一般のn次元図形に対してもミンコフスキー和の不等式

  |A+B|^1/n≧|A|^1/n+|B|^1/n

が成立する(平面図形の場合はn=2).等号成立はAとBは相似の位置にあるか,またはAはBの平行移動であるときである.

 また,2つの凸図形K0,K1が与えられたとき,K0からK1への連続変形

  Kt=(1−t)K0+tK1   (0≦t≦1)

においては

  |Kt|^1/n≧(1−t)|K0|^1/n+t|K1|^1/n

が成り立つ.

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【6】Prekopa-Leindlerの不等式

 f,g,hが非負な可測な関数で,すべてのx,yに対して

  h((1−t)x+ty)≧f(x)^1-tg(y)^t   (0≦t≦1)

を満たすとき,

  ∫h≧(∫f)^1-t(∫g)^t

が成り立つ.

 f,g,hをそれぞれA,B,(1−t)A+tBの特性関数とすると

  ∫h≧(1−t)(∫f)+t(∫g)≧(∫f)^1-t(∫g)^t

から

  vol((1−t)A+tB)=vol(A)^1-t×vol(B)^t

が得られる.

 これはブルン・ミンコフスキーの不等式

  |Kt|^1/n≧(1−t)|K0|^1/n+t|K1|^1/n

の別の形(dimension free form of Brunn-Minkowski)である.Prekopa-Leindlerの不等式の利点は次元が出てこないことであるが,ボールの不等式のいいところも次元によらず評価されていることにある.

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【7】ガウス測度の集中

 格子上のランダムウォークについて

(1)nステップの後の1次元酔歩が原点からの距離が√nのオーダーであること

(2)nステップの後のd次元酔歩も原点からの距離が√nのオーダーであること

が示されましたが,これは拡散現象では一般的にいえることであることがわかります.

 格子上のランダムウォークは,ブラウン運動などの拡散モデルとしてよく知られていますが,格子のモデルはブラウン運動の離散化とみなすことができるので,局所的にみると離散的過程であっても,大域的にみると連続空間に分布した連続的なn次元ガウス分布とみることができます.

 n次元ガウス分布にしたがってランダムに選んだ点の原点からの距離は期待値√nの周りに鋭く集中していますから,半径√nの球面Sn-1上の一様分布からランダムに点を選ぶことに類似しています.球面Sn-1の半分以上を占める任意の部分集合A,すなわち,

  P(A)≧1/2

に対してA周りの測度集中を考えます.AtをAへのユークリッド距離がt以下の点x(<Sn-1)の集合とするとき,Atである確率については

  P(A)≧1/2

  P(At)≧1−exp(ーt^2/2)

が成り立つことが知られています.

 この不等式には次元nが現れないのですが,それは半径√nの球面Sn-1に対する状況と非常によく似ていることから理解されます.

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