■病理形態学原論
わたしは商売柄「がん細胞はどのような形をしているのか?」という質問をよく受ける.即座に「14面体」と答えることにしているのだが,これは決してあてずっぽうとか予想・予言の類ではない.ザクロ,ハチの巣,石鹸の泡などのように,空間がある立体(多面体)によって分割される空間分割は,生物と無生物を問わず,自然界に広く見られる現象であるが,空間分割における多面体の面数は14面,面の形は五角形がもっとも多いことが知られているからである.
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【1】形の構築学
構築模型の例として,六花という異名をもつ雪がなぜ六角形をしているのだろうかという問題を考えてみよう.ケプラーが雪の結晶はなぜ六角形であるのかと考えたのは1611年のことであった.六角形は蜂の巣など現実世界で非常によく見られる形である.そして,ケプラーの考えた雪片の構成原理は六角充填の効率性と関連しているというものであった.ケプラーといえば,惑星の運行法則で有名であるが,天文サイズばかりでなく,ミクロな世界にまで注目し「神のなせる業」を見いだそうとしていたのである.
分子が実在のものとして認識されるようになった今日的な知識からすると,水分子の結晶構造が六角を基本とするからというのがひとつの内因になっていることは間違いない.そして,形に内在する原理を初めて見知ったひとはその形の美しさにまず驚くとともに,やがてナゼ?という疑問をもつに違いない.不思議さに魅せられたならばすでに「形の構築学」の問題領域である.
多細胞からなる生体の構築の原理も然りである.多細胞からなる生体の構築が遺伝情報とはまったく別の原理に基づいてどうしてこのような形にならざるを得ないか,ある原理からどの程度理論的に誘導できるかという点に対しては,これまでほとんど手のつけようのなかった問題領域である.「形の構築学」の答えは完全には与えられていないのである.
諏訪紀夫「病理形態学原論」岩波書店(1981年)は,そのような問題領域に対して,独自の視点から企画された著書である.あまり知られていない一冊ではあるが,科学者の目で自然を洞察し,詩人の心をもってペンを走らせたと思われる良書であって,今日でも若い学徒たちへの入門書として極めて高い価値をもっている.そこで本稿では形態学研究の入門編として,当該著書から
[1]14面体による空間分割
[2]安定な空間分割
[3]5角形面をもつ空間分割
の3つのテーマを取り上げ,その科学的根拠について述べていくことにしたい.これから説明することは当該著書に負うところが大きいが,諏訪先生の研究の受け売りにならぬよう,今日的な知識で補完していることを申し添えておきたい.
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【2】空間分割と14面体
空間分割の話にはいる前に,平面分割の幾何学的性質を調べてみよう.レンガのブロック積みを考える.3つのレンガが1点で出会うように平面を敷き詰めると,すべてのレンガは周りの6つのレンガに接することがわかる.お城の石垣でもタマネギの細胞でもこのような原則が成り立っていて,このことから平面充填図形の基本形は6角形(honeycomb structure)であるといえる.6角形の1組の対辺を退化させると4角形になるが,それは6角形から2次的に派生したものと考えることができるだろう.
次に,空間分割のブロックモデルを考える.1段目を敷き詰めたあと,2段目も1段目と同じように敷き詰めるが,1段目のレンガのすべての頂点を2段目のレンガで覆うようにずらして積み重ねると,1段目のレンガの上には4つのレンガが載ることになる.3段目も同様に行うと同じ段に6,上の段に4,下の段にも4で合計14のレンガに接することになる.このことからレンガは元々14面体であって,それが普通のレンガの形に圧縮されたものと考えることができる.
実際の観察結果では面の数は一義的には決まらず,統計的にしか扱えないのであるが,面の数fはほぼ14をピークとする分布を示すことが認められている.たとえば,植物細胞についての観察結果では全体の74%が12〜16面であり,56%が13〜15面(平均13.96面)という値が得られている.また,金属ガラスの構造で最も多い面の数はf=14(〜35%),ついでf=15(〜25%)とf=13(〜20%)が続く.
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【3】フェドロフの平行多面体
面の数は14面であることはわかったが,面の形はどうなるのだろうか? 以下v,e,fをそれぞれ頂点,辺,面の数とする.空間充填多面体の基本形は14面体であるとはいってもf=14という条件を満たす多面体には膨大な種類がある.しかし,幸いなことにここで考えるべき空間充填多面体はフェドロフの平行多面体に限定することができる.
平行多面体とは辺が平行(したがって平行四辺形面,平行六辺形面に限られる),面が平行,そして平行移動するだけで3次元空間を埋めつくすことのできる単独の多面体である.平行多面体には立方体,六角柱,菱形十二面体,長菱形十二面体,切頂八面体の5種類しかない.これら5種類の図形(フェドロフの平行多面体)は3次元格子の幾何学的分類であって,5種類の正多面体(プラトン立体)ほどよく知られていないが,少なくとも同じ程度に重要であると考えられる.このうち14面多面体は切頂八面体だけであることに着目していただきたい.切頂八面体以外の4つの多面体は切頂八面体の辺を点に縮めることによって得られるので,切頂八面体は「原始的平行多面体」と呼ばれ,ほかの4つはすべて切頂八面体を基本形とし,それから遷移した図形であると考えることができる.
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【4】安定な空間分割
ここではまず正多角形による平面分割の問題を掲げる.平面充填形が正三角形,正方形,正六角形の3種類に限ることは昔からよく知られているが,このうち正方形のは碁盤,正六角形のは蜂の巣などでおなじみであろう.しかし,正三角形と正方形による平面分割は頂点だけで接している多角形があるので,ボロノイ分割に対して安定とはいえない.点のわずかな動きによって,ボロノイ分割が激変してしまうからである.したがって,ボロノイ分割の意味で安定なものは六角形による平面充填だけということになる.
それでは3次元ではどうだろうか? 1点に4個の多面体が会し,1本の線の周りに3個の多面体が合するというのが空間分割の局所条件である.多数のピンポン玉を型に詰め込んでおいて,それをぎゅっとつぶすという過程を考えてみても空間は多面体によって分割される.その際にも1点に4個の多面体が会し,1本の線の周りに3個の多面体が合する.逆にいえば,1本の辺は3個の多面体に共有され,1個の頂点は4個の多面体に共有される.これは生物であろうと無生物であろうとに関わりなく,すべて構造物について例外なく通用する物理学的な過程である.
空間分割の局所条件は,1つの細胞のある方向の移動を他の3つの細胞が支持して止めるというメカニズムの表れと理解することができる.すなわち,このことは安定な力学的平衡が得られるための条件であることは直観的にも明らかであろう.そこで,平行多面体の場合について空間分割の局所条件を安定な空間分割という観点から考えてみることにしたい.
立方体は単独で空間全体を格子状に埋めつくすことができる.このことはこれ以上説明するまでもないだろう.立方格子状配置,すなわち角砂糖の箱の封を切ったときに見えるパターンでは1頂点に集まる多面体の数は8個になり,空間分割の局所条件は満足されない.立方格子を作るような形の積み上げでは1つの細胞の格子線方向の移動は他の1つの細胞が支持して止めるので,ある方向に力を加えた場合に全体が変形する可能性をもっていて,力学的に不安定なのである.
立方体以外の単一多面体による空間分割(空間充填体)としては,菱形十二面体や切頂八面体がよく知られている.両者はしばしば対比され,どちらも単独で空間充填可能な立体図形であるが,菱形十二面体が面心立方格子のボロノイ図であるのに対して,切頂八面体は体心立方格子のボロノイ図となっている.
菱形十二面体の頂点には3価の頂点と4価の頂点の2種類ある.3価の頂点の周りには4つの立体が出会い安定であるが,4価の頂点の周りには6つの立体が出会うため不安定となる.六角柱,長菱形十二面体の場合も同様に考えることができる.
切頂八面体はすべての頂点に3つの辺が集まる単純多面体である.そのため,切頂八面体が空間を合同な部分に分割する際,どの頂点でも4つの切頂八面体が出会うようになっていて,安定な空間充填多面体となる(3D honeycomb structure).すなわち,1点に4個の多面体が会してボロノイ分割に対して安定なものは切頂八面体だけなのであるが,立方体や菱形十二面体は切頂八面体の辺を点に縮めることによって得られるので,頂点や辺だけで接している多面体を生じるというわけである.
ここで14面体が得られる理由についてもう一度考えてみると,14面体は安定な空間分割(熱力学の第2法則?)から必然的に決定されるのであって,図形の性質というよりは容れ物(空間)の性質といってもよいであろう.
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【5】5角形面をもつ空間分割
金属ガラスの構造で最も多い面の数はf=14(〜35%),ついでf=15(〜25%)とf=13(〜20%),面の形ではp=5(〜40%),次がp=6(〜30%),p=4(〜20%)と続く.面の数の平均値はおよそf=13.6,面あたりの辺の数の平均値はおよそp=5.12であるという.
空間分割では面は多かれ少なかれ曲面となるのが通例であるから,多面体は面が曲面であっても辺が曲線であってもかまわないという前提をおいて考えてみよう.分割された空間から1個の多面体を分離して考えてみると,1個の頂点に3本の辺が集まり,1辺は2個の頂点を結ぶから2e=3v.また,オイラーの多面体定理v−e+f=2により,
v=2(f−2),e=3(f−2)
つまり,面の数fが与えられれば頂点の数vと辺の数eは一義に決まり,頂点の数は必ず偶数になることがわかる.そこで,f=14なる多面体について調べてみると
v=2(f−2)=24,e=3(f−2)=36
つぎに,面が何角形になるかを求めてみると,これはもちろん1通りではないが,1本の辺は2個の面によって共有されることを考慮し,各頂点に平均してp角形がq面が会するとすると,pf=2e,qv=2eより,その平均辺数pと平均会合面数qは
p=2e/f=5.14・・・,q=2e/v=3
を得ることができる.このことから,14面体の面のかたちについては,必然的に辺数5を中心とする分布をなすことが示唆される.このことは,経験的に5角形の頻度が最も高い(pentagon-enriched space division)という観察結果に一致しているのである.
[a]ケルビンの14面体(4^66^8)
[b]ウィリアムズの14面体(4^25^86^4)
[c]ウィア・フェランの極小曲面(5^12+5^126^2)
[d]クラスレート水和物(5^12+5^126^4,5^12+4^35^66^3+5^126^8)
このような例からも,等積空間充填多面体では5角形の頻度が最も高いと事実を窺い知ることができるだろう.それに対して,切頂八面体を含むケルビンの14面体はまったく5角形面をもたない.14面体の面のかたちについては,オイラーの多面体定理より必然的に辺数5を中心とする分布をなすことが計算されるのだが,どうして5角形の頻度が高くなるのだろうか? 理由はシンプルであると考えられる.すべての面が六角形であるような多面体は存在しない.蜂の巣状六角形タイル貼りに五角形タイルを1つ入れるとその部分が盛り上がった曲面となる.五角形タイルの数を増やしていって12枚になったところで閉じた多面体となる.すなわち,6角形面を5角形面に変換することは平面構造から球面構造への変換に繋がる.表面積は小さく体積は大きくというわけであるが,真空中ではともかく,水中の空間分割では丸くなることが重要な物理的要請になっていると考えられる.
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