■プラトンの立体(その2)

 プラトンより少し後の,アルキメデルより前の古代ギリシャにおいて,ユークリッドはピタゴラスなどの仕事を集め,整理して「原論」を書いた(紀元前4世紀から3世紀).

 4次元以上の正多胞体を初めて深く研究した数学者は,19世紀,スイスのシュレーフリをいわれている.シュレーフリは結晶群の研究者でもあった.

 また,ヒントンは,19世紀終わりから20世紀初めにかけて,ケルビンと同じころのイギリスの数学者である(1853-1907).

  ヒントン(宮川雅訳)「科学的ロマンス集」国書刊行会

を読むと,モーリー,ハミルトン,ケイリーの仕事に関する純粋な数学論文も著したが,彼の主要な関心は4次元空間であり,4次元についての最初の著作「第4の次元とが何か」が発表されたのは1880年,ヒントンが27才のときのことだったとある.

 テッサラクト(4次元立方体)は彼の造語であり,ペンネームでもあった.お雇い外国人数学者として日本(横浜山手)に滞在していたという記録も残されている.また,ヒントンは4次元空間の1種類だけの多胞体による空間充填図形として,3次元の六角柱と切頂八面体を組み合わせた30胞体を提案していたとのことである.

 ヒントンは異端の神秘主義的傾向ゆえ悪名が高かったが,コクセターは13才の頃にヒントンの著作に出会い「第4の次元とは何か」を繰り返し読んで,超空間への思考を培ったという.

 シュレーフリにせよヒントンにせよ,4次元以上の空間次元の図形を考えるまで,ユークリッドから2000年以上かかったことになる.

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