■マスコミよさらば

 私は地方の病院に勤務する一介の病理医ですが,本職とはほとんど関係ない数理科学をなりわいにしています.その意味では極めて病理学的な病理医であろうかと思います.

 毎週木曜日に私の職場を訪ねてくる生物研究者K氏や1月に1度実習に来る医学生たちと科学談義になります.その際,しばしば研究する理由は何かと問われますが,決まって口ごもってしまいます.

[1]役に立つから→そのように堂々と主張できればいいのですが,No

[2]美しいから→違和感を覚えるので,No

[3]重要であるから→これもNoです.一番しっくりくる答えは

[4]よくわからないから→Yes

 私は研究費をまったく使わないで(独創を巡らすことによって)論文を書いているため,ほとんど責任感を感じないで済む,ある意味C調(無責任)人間ですが,膨大な研究費を使う研究者は研究業績の査定がなされるので,あまりのんびりとやっているわけにもいきません.

 ところで,科学論文には間違ったものがいくらでもあるといったら驚かれるかもしれませんが,これはいわば功を争うあまりの勇み足であり,日本でも科学研究分野でのガセネタやスキャンダルがないわけではありません.科学者はこれまで科学研究上の誤りに対して,科学者同士で相互批判しあうことによって排除してきたのですが,近年は自浄努力が少し揺らいできたようです.

 私はライフサイエンス(生命科学)の分野に属する研究者ですが,生命科学者の現状を考える上で,ひとつのキーとなるのはその数の多さです.今日,生命科学に集中しているほどの科学者がひとつの分野に集中したことは人類史上かつてないことでした.どうして生命科学にこれだけの数の科学者が集中したのかは,生命科学の発展と近代の医療分化のありかたとが関係していると思われますが,ひとつの分野に科学者が集中すると必然的に激しい競争が展開されることになります.

 各研究者のサバイバルをかけた生存競争は,生産性の向上のみならずモラルの低下にも繋がりますから,まったくうその報告文を書く科学者も出現するし,ネイチャー誌などファッショナブルな科学雑誌になればなるほど虚偽報告の頻度も高くなるという始末です.一度,誤りの集積と化した生命科学はもう一度立ち直ることができるのでしょうか? 大袈裟かもしれませんが,生命科学はその人気とはうらはらに,とても危険な状態だと思い心配でなりません.

===================================

 R研,S細胞の件でひとこと.S細胞類似の細胞は日本国内だけでも5〜6種類聞いたことがある.地元仙台にもあるくらいだから,その存在を信じている研究者は少なくないはずである.

 誤解を覚悟でいえば

「ネイチャー誌」=「女性週刊誌」(真実はどれくらいあるのか?)

 私はネイチャー誌論文を何篇も書いて,鳴り物入りで国立大学教授になったのに,数年後に辞めさせられた研究者を何人も知っている.ネイチャー誌に対する誤評価があると思われる.

「ガセネタ」=「対共産圏向け論文」(偽物であることに意味がある)

「マスコミ」=「C調機関」

 TVはもとより,新聞記者だってかなりあやしい.持ち上げておいてから地面にたたきつけることに何の責任も感じないのだろうか(そういえば名刺に植木等と印刷されていた気がする.一方,研究者側にも膨大な研究費を獲得すること(大金を動かすこと)だけに興味があり,それに見合った成果をまったくださない強者がいることも確かである).

===================================