■研究者の責任(その3:高次元準正多胞体の計量公式)

 オイラーの多面体公式(v−e+f=2)を学ぶシーンでは,まず,多面体の頂点数,辺数,面数を数え上げることになる.実際にやってみると,中学生あるいは高校生であっても「あれ,この辺,まえに数えたっけ?」ということになり,準正多面体くらいになると誤答が続出する.その結果,なかなか正解にはたどり着けないのである.・・・数学のありふれた授業風景である.

 ところで,3次元では実際に数えることもできるが,4次元以上ともなるとみることも数えることもできなくなる.ではどうするか? このことを知っているひとはたとえいたにしても少ないであろうし,すべての高次元多胞体について知っている人となるとなおさらである.

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【1】忘れ去られた論文(あやうく忘れ去られるところであった論文)

 3次元準正多面体については古くから知られていたが,4次元以上の準正多胞体については,19世紀中頃,シュレーフリが一部言及したことに始まる.その後,コクセターが詳しく研究したが,5次元以上の準正多胞体についてはコクセターの研究のごく一部に理論的な記述がみられるものの,具体的な研究はこれまで皆無に近かった.そのため,計量(k次元面数fkや体積)が知られている準正多胞体はほとんど存在しない.

 特殊なクラスについては,ミンコフスキーが原始的平行多面体として取り上げた2(2^n−1)胞体などがあるが,私の知る限り,

  石井源久「多次元半正多胞体のソリッドモデリングに関する研究」

が具体的で本格的な図形研究の最初のものであろう.

 石井論文はこれまで4次元正多胞体までしか研究されなかった多面体論を5次元以上の準正多胞体まで拡張し,さらに5次元以上の準正多胞体を実際に描くことをを試みている.最も斬新な点はその表示法がソリッドモデルであることである.

 それまでのワイヤーフレームモデルは図形を網目として素通しで見るものであるから,複雑な手順を必要としない最も簡単な表示法であった.その反面,表示された図形はリアリティーに欠けるものになってしまう.

 石井源久さんによって描かれた高次元準正多面体のCGをひとつみてほしい.われわれ3次元人は所詮高次元図形を見ることはできないけれど,ソリッドモデルはリアリティーの高い図形を供給してくれるので,見る人のイマジネーションをかき立て,多くのインスピレーションを生み出すことができる.つまり,ソリッドモデルは高次元図形の世界の風景を一変させてくれるのである.

 私は「多次元半正多胞体のソリッドモデリングに対する研究」を2年ほど前にご本人から謹呈して頂いたのであるが,その考察はすばらしいの一言につきる.このような立派な研究が行われていたことをまったく知らなかったことを恥じ入るばかりであった.

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【2】多面体は遺伝子をもっている

 計量(k次元面数fkや体積)をコンピュータを使った総当たり的な手法で求めると,計算量の膨大さから6次元くらいまでが限界である.それが如何に難しい問題であるかわかるだろう.

 しかしながら,一般的な公式が存在するか,または,適切な解の有限集合からすべての解を導くプロセスが存在するはずであることは確信できる.

 そこで,手計算でもできるように方針を変更する.これから答えを記すが,多くの読者にとって(無論私にとっても)かなり意外なものであった.

[1]多面体に遺伝子を導入する.

 DNAは4つの塩基(A・C・G・T)をもっていて,たとえば,

  TGTGTGAACCCCTTGCCAAA・・・

のように並んでいる.あるものはアミノ酸と対応し,あるものは翻訳の開始と停止をコードする.

 無生物である多面体にもDNAを導入する.それはワイソフ情報と呼ばれる0/1からなるn桁の数字の並びである.この情報をDNAのように解読できれば多面体の面数・体積公式が得られるに違いない・・・.

[2]遺伝子コードを解読する.

 面数数え上げ・体積計算のアルゴリズムが存在するに違いない.しかし,言うは易く,実際の作業となると困難を極めることになった.最後には成功したが,その考え方をここに記すにはページが狭すぎる.

[3]数え上げアルゴリズムを鑑賞する.

 完成したあとからながめてみると,小学生が解いたとしてもおかしくない初等的な方法を素朴に高次元に敷衍しただけになっていることが実におもしろい.

 たとえば,切頂八面体の頂点数,辺数,面数を3通りの方法で数え上げることができれば,高次元の多面体の場合もうまく行くのである.結局うわべの難しさに怖じ気づいていただけなのである.

 ともあれ,高次元準正多胞体の基本計量がいざできあがってみると,かくも簡単な計量がなぜこれまで知られていなかったのか不思議でならないのだ.真理とは案外そういうものなのかもしれない.

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