■研究者の責任(その2)
日本の大学ほど安定した恒久的な教授職という地位はなく,ある人達にとってはそれが人生の目的でさえあったりします.そして,その流れのままに講義ノートを作ったり,試験問題を考えたり採点したり,ゼミを開いたり,学位論文の審査をしたり,・・・.それはよい教師ではあっても研究者としては極めて危険な状態であり,純粋な研究者の生活からは滑り落ちてしまうのですが,何人かの優秀な院生を指導していれば,それで科学と携わっていると考えられなくもありません.
私の経験では,どちらかといえば,名馬よりも名伯楽のほうが教授たるにふさわしいと思えるのですが,ともあれ,優れた名馬は多かれど名伯楽は少なく,素質をもちながらも陰に隠れて不当に低く評価されている,あるいは正当な評価を妨げられた逸材がその才能を発揮することなく埋もれてしまっている姿はしばしばみうけられました.
今年は,
[1]まったく評価されることなく,あやうく忘れ去られるところであった論文の復権を果たすこと→(その3)
[2]学問そのものの魅力に惹かれ,純粋な気持ちで仕事にあたっているおもちゃやさんの取り組みを慰労すること→(その4)
を学会報告しようと決めています.ささやかながら私の研究者としての責任です.
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