■飽和炭化水素の構造異性体数

 今回のテーマは飽和炭化水素の構造異性体の総数を求めるというものである.実は急性扁桃腺炎による発熱のため1週間以上入院していたため,構造異性体数については十分には調べられなかったところもあるのだが,この問題は「未解決問題」であるということなのでひとまず調べたこと,考えたことを掲載してみることにした.まず最初に高校の化学の授業を思い出してもらいたい.

===================================

【1】はしがき

 炭化水素の中で単結合のみで構成されている飽和炭化水素(アルカン,パラフィン系)は分子式CkH2k+2をもつ.炭素原子Cの原子値は4,水素原子Hの原子値は1である.

    H       H H       H H H

    |       | |       | | |

  H−C−H   H−C−C−H   H−C−C−C−H

    |       | |       | | |

    H       H H       H H H

メタン,エタン,プロパンのCを・(頂点),C−C結合を−(辺)で表すことにすると,それぞれ

    ・       ・−・       ・−・−・

のようにグラフで表現できる.

 ブタン,ペンタン,ヘキサンは

  ・−・−・−・  ・−・−・−・−・   ・−・−・−・−・−・

となるが,それぞれに構造異性体があり,

(k=4)

    ・

  ・−・−・

(k=5)

      ・       ・

      |       |

  ・−・−・−・   ・−・−・

              |

              ・

(k=6)

        ・        ・        ・

        |        |        |

  ・−・−・−・−・  ・−・−・−・−・  ・−・−・−・

                          |

                          ・

    ・ ・

    | |

  ・−・−・−・

 すなわち,

  位数  :1,2,3,4,5,6,・・・,k,・・・

  異性体数:1,1,1,2,3,5,・・・,f(k),・・・

となる.

 ところが,異性体数f(k)の一般的なkに対する数え上げ公式はないという話を聞いて驚かされた.その数を完全に決定することは簡単ではないにしてもそれなりの漸近評価を与えることはできるだろうと思ったのだが,訊ねてみたところ,どれくらいのオーダーで増えるのかという漸近公式もわからないという.今回のコラムではこの辺の事情について考えてみることにした.

===================================

【2】木グラフ

 グラフとは点(頂点v)とそれらを結ぶ線(辺e)とからできている1次元図形のことであるが,そのうち,閉路を含まない連結グラフのことを木(グラフ)と呼ぶ.

 炭素の原子値は4であるが,そのような制限を取り除けば,

    ・

    |

  ・−・−・

   / \

  ・   ・

も可能となる.

 これも木グラフであるから,同型でない木グラフの総数をg(k)とおくと

  位数  :1,2,3,4,5,6,・・・,k,・・・

  g(k):1,1,1,2,3,6,・・・,g(k),・・・

となる.ともあれ,制限のついた飽和炭化水素の構造異性体数f(k)よりも木グラフの総数g(k)の数え上げの方がより一般的な問題であると考えられる.そこでf(k)を求める代わりにg(k)を求めてみることにする.

1857年,ケーリーは知り合いの化学者からの依頼でCkH2k+2の構造異性体の数を数えようとしていたときに多くの「木グラフ」の性質を発見した.木の性質のひとつとして,木の頂点数をv,辺数をeとすると

  v=e+1

が成り立つが,これはオイラーの定理:v−e+f=1においてf=0としたものである.すなわち,連結でありかつ閉路を含まないという必要十分条件を満たしていて,飽和炭化水素の場合,v=3k+2であるからe=3k+1で与えられるという意味にほかならない.

 位数kに対して同等でない木はいくつあるのか?・・・これがケーリーの考えた問題であり,同等でない木の総数を与える公式(ケーリーの公式)が知られている.ケーリーの公式とは「位数kの完全グラフのすべての異なる全域木の総数はk^(k-2)で与えられる」というものである.

  位数k      :1,2,3, 4,  5,   6,k

  同等でない木の総数:1,1,3,16,125,1296,k^(k-2)

[補]位数kのグラフでどの2点も隣接しているとき完全グラフという.正k角形+すべての対角線をイメージすればよく,v=k,e=kC2である.

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 このように同等でない木の総数はきれいで簡単な式で表現できる.ところが残念なことに位数kの同形でない木の総数g(k)を与える公式は知られていないという.

  位数k      :1,2,3, 4,  5,   6,・・・

  同等でない木の総数:1,1,3,16,125,1296,・・・

  同型でない木の総数:1,1,1, 2,  3,   6,・・・

そこでせめて下界・上界だけでも求めておきたいと思う.

 位数kの同等でない木はk^(k-2)個ある.たとえばk=4では各頂点にA,B,C,Dとラベルを付けた場合,同等でない木は16種類あるというわけである.もし頂点にラベルがなければブタンとイソブタンのように同型の木は2種類あるわけであるから,同型でない木グラフの個数はこれよりもかなり少ない.

 同型になるものは高々k!個である(上の例では4!個の同等でない木が存在するが同型なグラフは2個だけであり,数えすぎであるが・・・).したがって,同値類の総数は

  k^(k-2)/k!

以上になるので,k頂点の木グラフで同型でないものの総数もこの値以上になる.

 下界の漸近挙動を調べるために,スターリングの公式

  k!〜(2π)^(1/2)k^(k+1/2)exp(−k)

を用いると

  k^(k-2)/k!〜(2π)^(-1/2)k^(-2-1/2)exp(k)

となって,kが大きいときはほぼ指数関数的exp(k)に増加することが理解される.

 なお,k>1に対して,不等式

  e(k/e)^k≦k!≦ek(k/e)^k

が成り立つから

  k^(k-2)/k!≧exp(k−1)/k^3

となって,下界は少なくともexp(k−1)/k^3である.

 また,上界については,同型でないk頂点の木グラフは高々4^kしかないことが証明できて,以上のことをまとめると

  exp(k−1)/k^3≦g(k)≦4^k

となることがわかるのである.

===================================

【3】あとがき

 ここでは木グラフの場合も含んで一般のグラフについて考えることにする.すなわち閉路を含んでもよいし連結でなくてもよいものとする.

 v=kの場合,異なるグラフの総数は2^(kC2)であるが,同形でないグラフの個数はこれよりもかなり少ない.たとえばk=3のときは8個のグラフがあるが,同型でないものは4つしかない.k=4の同型でないグラフの個数は11個である.

  位数k        :1,2,3, 4,・・・

  同等でないグラフの総数:1,2,8,64,・・・

  同型でないグラフの総数:1,2,4,11,・・・

 前節と同様の議論により,同値類の総数は

  2^(kC2)/k!

以上になるので,k頂点のグラフで同型でないものの総数もこの値以上になる.

  log(2^(kC2)/k!)=kC2−logk!

              ≧k^2/2−k/2−klogk

              =k^2/2(1−1/k−2logk/k)

kが大きいときlog(2^(kC2)/k!)はk^2/2とほぼ同じ振る舞いをすることがわかる(この相対誤差はk→∞のとき0に収束する).すなわち,k頂点の同型でないグラフの総数はexp(k^2)のオーダーで増加し,たとえば2^kよりもずっと大きいことがわかる.また,2^(kC2)に較べそれほどゆっくり増加するわけでもないこともわかるだろう.

 これは漸近評価であるが,グラフの正確で実用的な数え上げに関しては,ポリアが化学者から高分子の異性体がいくつあるかを求めることを依頼されて,有名なポリアの数え上げ理論を発見している.ここではポリアの定理の詳細については記さないが,置換群によってもたらされる同値類の個数(バーンサイドの定理)に基づいて数え上げを行うものである.→[補]

 群の概念は,代数方程式の解の置換の研究として誕生した歴史をもつが,今日では自然科学の多くの分野に応用され,たとえば,化学における分子構造やタンパク質やDNAの配列の決定に関しても,群論が重要な役割を果たしていることはご存知であろう.

===================================

[補]正多面体群に対する置換群的アプローチ

 SO(3)はR^3の回転全体のなす群である.正多面体の回転を考えると,

  (1)頂点と原点を通る軸を中心とした2πk/q回転

  (2)辺の中心と原点を通る軸を中心としたπ回転

  (3)面の重心と原点を通る軸を中心とした2πk/p回転

の3つが可能な回転軸である.

 これらの回転によって,正4面体(位数12)では4つの頂点の偶置換を引き起こすので4次交代群A4と同型,正8面体(位数24)では対面する面は4組あり,これらの組の置換を引き起こすので4次対称群S4と同型,正20面体(位数60)では30個の辺を5組に分ける偶置換として作用するので5次交代群A5と同型になることがわかる.

 SO(3)の有限部分群A4,S4,A5はR^3の5種類の正多面体と密接な関係があり,総称して「正多面体群」と呼ばれている.正多面体の回転群は3次の特殊直交群SO(3)の有限部分群である.

 SO(3)にはこのほかに2種類の有限部分群がある.一つは巡回群,もうひとつは正2面体群であり,これらでSO(3)の有限部分群をつくすことが知られている.つくすというのは,共役を除いてただ一通り存在するという意味である.正2面体群とA4,S4,A5とを併せて(広義の)正多面体群と呼ぶこともある.

 以上より,SO(3)の有限合同変換群は,

  (1)巡回群(Cn:位数n)

  (2)正2面体群(D2n:位数2n)

  (3)4次交代群(A4:位数12)←→正4面体群と同型

  (4)4次対称群(S4:位数24)←→正6(8)面体群と同型

  (5)5次交代群(A5:位数60)←→正12(20)面体群と同型

のいずれかである.

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 このような幾何学的・直観的にアプローチした結果だけを見ると,SO(3)の有限部分群の分類問題は容易に解けたように見えるかもしれない.ところが,それとは裏腹に,群論的な分類方法はかなり複雑である.ここでは正攻法すなわち群論的に考えることにする.

 群Gの元の個数は|G|と書かれ,Gの位数と呼ばれる.シローの定理により,群Gの位数|G|を割るすべての素数pに対するシローp部分群が複雑に絡み合って群G全体の構造が決まってくる.

 ここで,証明を相当部分端折ることになるのだが,置換群的アプローチによって,

  1+2/|G|=1/|G1|+1/|G2|+1/|G3|

が得られる.G1,G2,G3はGの部分群であり,固定化群と呼ばれる.また,|G1|≧|G2|≧|G3|としても一般性を失わない.

 こうして得られた|G1|,|G2|,|G3|,|G|を一覧表にすると,

      |G1|  |G2|  |G3|  |G|

  D2n   n     2    2    2n

  A4    3     3    2    12

  S4    4     3    2    24

  A5    5     3    2    60

になる.

 少し補足しておきたい.D2n型部分群は正2面体群である.前述したように,巡回群は正2面体群の部分群となっている.4文字1,2,3,4の置換全体のなす群が4次対称群S4で,その位数は4!=24である.S4は2つの生成元a,bによって生成され,基本関係式は

  a^3=b^4=(ab)^2=1

4次交代群A4はS4中の偶置換(偶数個の互換の積)全体からなる部分群で,位数は24/2=12,基本関係式は

  a^3=b^3=(ab)^2=1

また,5次交代群A5の位数は,5次対称群の位数が5!=120であるから,120/2=60,基本関係式は

  a^3=b^5=(ab)^2=1

となる.

 A4,S4,A5の3つの群は,R^3の5種類の正多面体と密接な関係にあり,S4は正6面体(正8面体:中心に関して点対称)を変えぬ運動の集合,A4は正4面体(点対称性はもたないが,面対称性をもっている)を変えぬ運動の集合,A5は正12面体(正20面体:中心に関して点対称)を変えぬ運動の集合であって,総括して正多面体群と呼ばれている.

===================================