■飽和炭化水素の構造異性体数(その3)
昨夕中国より帰国.農村が豊かになったと実感した反面,都会の金満ぶりには失望.中国はもう一度ガラガラポンしなければならないのかも・・・.今回のテーマは飽和炭化水素の構造異性体の総数を求めるというものである.
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【1】はしがき
まず最初に高校の化学の授業を思い出してもらいたい.炭化水素の中で単結合のみで構成されている飽和炭化水素(アルカン,パラフィン系)は分子式CkH2k+2をもつ.炭素原子Cの原子値は4,水素原子Hの原子値は1である.
H H H H H H
| | | | | |
H−C−H H−C−C−H H−C−C−C−H
| | | | | |
H H H H H H
メタン,エタン,プロパンのCを・(頂点),C−C結合を−(辺)で表すことにすると,それぞれ
・ ・−・ ・−・−・
のようにグラフで表現できる.
ブタン,ペンタン,ヘキサンは
・−・−・−・ ・−・−・−・−・ ・−・−・−・−・−・
となるが,それぞれに構造異性体があり,
(k=4)
・
|
・−・−・
(k=5)
・ ・
| |
・−・−・−・ ・−・−・
|
・
(k=6)
・ ・ ・
| | |
・−・−・−・−・ ・−・−・−・−・ ・−・−・−・
|
・
・ ・
| |
・−・−・−・
すなわち,
位数 :1,2,3,4,5,6,7, 8, 9,10, 11, 12, 13,・・・,k,・・・
異性体数:1,1,1,2,3,5,9,18,35,75,159,357,799,・・・,f(k),・・・
となる.
ところが,異性体数f(k)の一般的なkに対する数え上げ公式はないという話を聞いて驚かされた.その数を完全に決定することは簡単ではないにしてもそれなりの漸近評価を与えることはできるだろうと思ったのだが,訊ねてみたところ,どれくらいのオーダーで増えるのかという漸近公式もわからないという.今回のコラムではこの辺の事情について考えてみることにした.
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【2】木グラフ
グラフとは点(頂点v)とそれらを結ぶ線(辺e)とからできている1次元図形のことであるが,そのうち,閉路を含まない連結グラフのことを木(グラフ)と呼ぶ.
炭素の原子値は4であるが,そのような制限を取り除けば,
・
|
・−・−・
/ \
・ ・
も可能となる.
これも木グラフであるから,同型でない木グラフの総数をg(k)とおくと
位数 :1,2,3,4,5,6, 7, 8, 9, 10, 11,12, 13,・・・,k,・・・
g(k):1,1,1,2,3,6,11,23,47,106,235,551,1301,・・・,g(k),・・・
となる.ともあれ,制限のついた飽和炭化水素の構造異性体数f(k)よりも木グラフの総数g(k)の数え上げの方がより一般的な問題であると考えられる.そこでf(k)を求める代わりにg(k)を求めてみることにする.
1857年,ケーリーは知り合いの化学者からの依頼でCkH2k+2の構造異性体の数を数えようとしていたときに多くの「木グラフ」の性質を発見した.木の性質のひとつとして,木の頂点数をv,辺数をeとすると
v=e+1
が成り立つが,これはオイラーの定理:v−e+f=1においてf=0としたものである.すなわち,連結でありかつ閉路を含まないという必要十分条件を満たしていて,飽和炭化水素の場合,v=3k+2であるからe=3k+1で与えられるという意味にほかならない.
位数kに対して同等でない木はいくつあるのか?・・・これがケーリーの考えた問題であり,同等でない木の総数を与える公式(ケーリーの公式)が知られている.ケーリーの公式とは「位数kの完全グラフのすべての異なる全域木の総数はk^(k-2)で与えられる」というものである.
位数k :1,2,3, 4, 5, 6,k
同等でない木の総数:1,1,3,16,125,1296,k^(k-2)
[補]位数kのグラフでどの2点も隣接しているとき完全グラフという.正k角形+すべての対角線をイメージすればよく,v=k,e=kC2である.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
このように同等でない木の総数はきれいで簡単な式で表現できる.ところが残念なことに位数kの同形でない木の総数g(k)を与える公式は知られていないという.
位数k :1,2,3, 4, 5, 6,・・・
同等でない木の総数:1,1,3,16,125,1296,・・・
同型でない木の総数:1,1,1, 2, 3, 6,・・・
そこでせめて下界・上界だけでも求めておきたいと思う.
位数kの同等でない木はk^(k-2)個ある.たとえばk=4では各頂点にA,B,C,Dとラベルを付けた場合,同等でない木は16種類あるというわけである.もし頂点にラベルがなければブタンとイソブタンのように同型の木は2種類あるわけであるから,同型でない木グラフの個数はこれよりもかなり少ない.
同型になるものは高々k!個である(上の例では4!個の同等でない木が存在するが同型なグラフは2個だけであり,数えすぎであるが・・・).したがって,同値類の総数は
k^(k-2)/k!
以上になるので,k頂点の木グラフで同型でないものの総数もこの値以上になる.
下界の漸近挙動を調べるために,スターリングの公式
k!〜(2π)^(1/2)k^(k+1/2)exp(−k)
を用いると
k^(k-2)/k!〜(2π)^(-1/2)k^(-2-1/2)exp(k)
となって,kが大きいときはほぼ指数関数的exp(k)に増加することが理解される.
なお,k>1に対して,不等式
e(k/e)^k≦k!≦ek(k/e)^k
が成り立つから
k^(k-2)/k!≧exp(k−1)/k^3
となって,下界は少なくともexp(k−1)/k^3である.
また,上界については,同型でないk頂点の木グラフは高々4^kしかないことが証明できて,以上のことをまとめると
exp(k−1)/k^3≦g(k)≦4^k
となることがわかるのである.
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【3】あとがき
ここでは木グラフの場合も含んで一般のグラフについて考えることにする.すなわち閉路を含んでもよいし連結でなくてもよいものとする.
v=kの場合,異なるグラフの総数は2^(kC2)であるが,同形でないグラフの個数はこれよりもかなり少ない.たとえばk=3のときは8個のグラフがあるが,同型でないものは4つしかない.k=4の同型でないグラフの個数は11個である.
位数k :1,2,3, 4,・・・
同等でないグラフの総数:1,2,8,64,・・・
同型でないグラフの総数:1,2,4,11,・・・
前節と同様の議論により,同値類の総数は
2^(kC2)/k!
以上になるので,k頂点のグラフで同型でないものの総数もこの値以上になる.
log(2^(kC2)/k!)=kC2−logk!
≧k^2/2−k/2−klogk
=k^2/2(1−1/k−2logk/k)
kが大きいときlog(2^(kC2)/k!)はk^2/2とほぼ同じ振る舞いをすることがわかる(この相対誤差はk→∞のとき0に収束する).すなわち,k頂点の同型でないグラフの総数はexp(k^2)のオーダーで増加し,たとえば2^kよりもずっと大きいことがわかる.また,2^(kC2)に較べそれほどゆっくり増加するわけでもないこともわかるだろう.
これは漸近評価であるが,グラフの正確で実用的な数え上げに関しては,ポリアが化学者から高分子の異性体がいくつあるかを求めることを依頼されて,有名なポリアの数え上げ理論を発見している.ここではポリアの定理の詳細については記さないが,置換群によってもたらされる同値類の個数(バーンサイドの定理)に基づいて数え上げを行うものである.
群の概念は,代数方程式の解の置換の研究として誕生した歴史をもつが,今日では自然科学の多くの分野に応用され,たとえば,化学における分子構造やタンパク質やDNAの配列の決定に関しても,群論が重要な役割を果たしていることはご存知であろう.
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