前回のコラムの最後で,ガウスの整数やアイゼンスタインの整数についての補足説明を加えた.ガウスの数体Q(i)の場合でいうと,a,bを整数として
a+bi
で表される複素数が「ガウスの整数」である.ガウスの整数は和と積の演算に関して閉じている→「ガウスの整数環」.
また,すべてのガウス整数を約す整数が「単数」で,
±1,±i
の4個の単数がある.ガウスの数体では(単数を除いて)素因数分解の一意性が成立する.
それに対して,Q(√−5)では
6=2・3=(1+√−5)(1−√−5)
のように,素数の積に2通りに表されるような状況を生じてしまうのである.(2,3は素数であるし,1+√−5,1−√−5はいずれも
a+b√−5
のなかには±1と±それ自身以外の約数をもたないので「素数」である.)
それでは,どういう負の数−dを使った数体系Q(√−d)で,素因数分解は一意となるのであろうか?
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【1】ベイカー・スタークの定理
この答えは既に知られていて,次の9つの虚2次体Q(√d)
−d=1,2,3,7,11,19,43,67,163
に限られるというものです.このコラムをご覧の読者であれば,最初の2つ以外では半整数a,bを使って,a+b√−dを作る必要があることはおわかりでしょう(=1(mod4)).
ずいぶん以前からこの9個の数は知られていたのですが,10番目の数が存在するかもしれない・・・というまどろっこしい状態が続いていました.水金地火木土天海冥のさらに遠方に10番目の惑星が存在するかもしれないという問題はつい最近「超冥王星」が発見されて解決しましたが,この10番目の数が実際に存在するかどうかを解明するために長い歳月が費やされました.
その経緯について触れておきたいのですが,1932年,ハイルブロンとリンフットが10番目のdがあるとすれば,それは10^11よりも大きくなることを示しました.また,1952年,ヘーグナーが9個ですべてだという証明を発表しましたが,彼は高校の教師であり研究者として部外者であったため,この証明は懐疑的に受け取られていたようです.
そして,1966年,アメリカのスタークとイギリスのベイカーが独立に世界中を納得させる証明を与えました.それは不正確であるとして無視されたヘーグナーの証明の誤りを払拭するものでもありました.また,1968年,ドイリングはヘーグナーの証明を修正することに成功しましたが,既にそのときはベイカー,スタークに先を越されていて遅きに失した状況にありました.
[補]1952年,ヘーグナーは1世紀以上も未解決だったガウスによる予想を証明しているのですが,その証明を標準的な手法で書かなかったため,長らく間違ったものとみなされていました.ところが,1966年,ベーカーとスタークがこの問題を解いたのを契機に,ヘーグナーの証明がはじめて注意深く吟味され,その証明が本質的には正しいことが明らかになりました.これでヘーグナーに対する批評が公正でないことが明らかになったのですが,残念ながら,ヘーグナーは1965年に亡くなっており,自らの名誉回復をその目で見ることはできませんでした.現在,9個の数
−d=1,2,3,7,11,19,43,67,163
はヘーグナー数と呼ばれています.
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[補]類数
類数とはすべての数体に付随した不変量(自然数)であって,たとえば,有理数体Qは類数1をもち,ガウスの数体Q(i)も類数1をもつ.類数1をもつというのは,Q(√d)のすべてのイデアルが単項であること,すなわち,2次体Kのすべての代数的整数が,Kの素数の積として表され,その表現が単数(1の約数となる整数)を無視して,一意であることを指している.
ついでながら述べておくが,類数1の9個の虚2次体の完全なリストの2年後に類数2のリストが続いた.h=2なる虚2次体Q(√d)は,
−d=5,6,10,13,15,22,35,37,51,58,91,115,123,187,235,267,403,427
の18個ある(ベイカー,スターク,ワインバーガー).
Q(√−5)の類数は2である.類数1をもつ数体はQと類似した数論的性質をもつのであるが,大きな類数をもつ数体はQとかなりかけ離れた性質をもっているというわけである.
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【2】9個の数の不思議な性質
この9個の数
−d=1,2,3,7,11,19,43,67,163
はとても面白い性質をもっています.
「因数分解の算法(その7)」「因数分解の算法(その8)」では,オイラーの有名な素数生成式
n^2+n+41
を紹介しましたが,この公式はn=0のとき素数41,n=1で素数43,n=2で素数47を与えます.このようにしてnが0から39までのどのnをとってもオイラーの公式はすべて素数を与えます.
41,43,47,53,61,71,83,97,113,131,
151,173,197,223,251,281,313,347,
383,421,461,503,547,593,641,691,
743,797,853,911,971,1033,1097,1163,
1231,1301,1373,1447,1523,1601
オイラーの公式はn=40で1681=41^2となって破綻しますが,1000万以下のnに対して47.5%の確率で素数を生成します.
2次方程式
x^2+x+41=0
の解は
x=1/2(−1±√−163)
であり,虚2次体Q(√−163)の理論と深く関係しているのですが,この不思議な性質も類数1に関するラビノヴィッチの定理から説明されます.
同様に,1変数の2次多項式
n^2+n+17
も高い確率で素数を生成しますが,d=−67=1(mod4)の場合を考えると,q=17ですから,虚2次体Q(√−67)と関係しているというわけです.
n^2+n+41(0≦n≦39なるすべてのnについて素数となる)
←→ Q(√−163)
でしたが,以下同様に
n^2+n+17(0≦n≦15) ←→ Q(√−67)
n^2+n+11(0≦n≦9) ←→ Q(√−43)
n^2+n+5(0≦n≦3) ←→ Q(√−19)
n^2+n+3(0≦n≦1) ←→ Q(√−11)
n^2+n+2(0≦n≦0) ←→ Q(√−7)
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もうひとつの注目すべき事実は
x=exp(π√d)
が数値的にとても整数に近くなりうるというものです.
exp(π√43)=884736743.999777・・・
exp(π√67)=147197952743.99999866・・・
exp(π√163)=262537412640768743.99999999999925007・・・
これは決して偶然の一致ではありません.xに対しては
x−744+196884/x−21493760/x^2+・・・
がぴったり整数になることがわかっています.これらの係数は重さ0のモジュラー関数においてq→−1/xとしたものです→[補].
xが大きいほど後半の項は小さな値となるので,x自身は極めて整数(実は立方数)に近い数になるというわけです.
exp(π√43)=960^3+744−ε
exp(π√67)=5280^3+744−ε
exp(π√163)=640320^3+744−ε
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[補]重さ0の保型形式とムーンシャイン予想
SL(2,Z)群上,最も単純な(基本的・古典的)保型形式は重さkのアイゼンシュタイン級数
Ek=1/2Σ1/(mz+n)^k
m,nは互いに素,kは整数4,6,8,・・・(4以上の偶数)
です.すなわち,アイゼンシュタイン級数は変換公式
Ek(az+b/cz+d)=(cz+d)^kEk(z)
c,dは互いに素
を満たすというわけです.
保型性の定義から
Ek(z+1)=Ek(z)
Ek(-1/z)=z^kEk(z)
はすぐわかりますが,前者は周期性,後者は双対性と理解することができます.
Ek(z+1)=Ek(z) (周期性)
Ek(-1/z)=z^kEk(z) (双対性)
この保型性の定義は周期性f(x+1)=f(x)を含むので,任意の保型形式はq=exp(2πiz)とするフーリエ展開のもち,
E4(z)=1+240Σσ3(n)q^n
E6(z)=1−504Σσ5(n)q^n
E8(z)=1+480Σσ7(n)q^n
・・・・・・・・・・・・・・・・
σk(n)はnの正の約数のk乗和
ベルヌーイ数を用いると
Ek(z)=1−2k/BkΣσk-1(n)q^n
また,ζ(1-k)=−Bk/kにより
Ek(z)=1−2/ζ(1-k)Σσk-1(n)q^n
とも表されます.これらはすべてのσk(n)を教えてくれる母関数であり,それが保型性を示しているという事実が,モジュラー関数は深淵といわれる所以です.
アイゼンシュタイン級数を用いると
Δ(z)=η(z)^24=qΠ(1-q^n)^24
=q-24q^2+252q^3-1472q^4+5483q^5+・・・
は
Δ(z)=1/1732(E4(z)^3-E6(z)^2)
と表されます.
19世紀の後半,デデキントとクラインは独立に重さ0の保型関数
j(az+b/cz+d)=j(z)
を構成しました.j(z)は最も簡単でよく知られているSL(2,Z)不変な保型関数で,q=exp(2πiz)とおくと,
j(z)=E4(z)^3/Δ(z)
=1/q+744+196884q+21493760q^2+864299970q^3+・・・
と展開されます.
ところで,1973年,イギリスのケンブリッジ大学で誕生し,コンウェイによりモンスターと命名・愛称された散在型有限単純群モンスターを線形群の中に埋め込むとすると,最低でも196883次の行列GL(196883,R)が必要になります.
このモンスターの既約表現の次数dnと係数cnを小さい方から数個あげると
d0=1
d1=196883 c1=196884
d2=21296876 c2=21493760
d3=842609326 c3=864299970
となるのですが,j関数のq展開に現れる係数196884とモンスター群の既約表現の最小次数196883がほとんど等しいことに注目すると,q,q^2,q^3等の係数は
c1=d0+d1
c2=d0+d1+d2
c3=2d0+2d1+d2+d3
のようにモンスターの既約表現の簡単な線形結合となっていることを見いだされました.これは単なる偶然の一致なのでしょうか?
ムーンシャイン予想の出発点の出発点であるマッカイ・トンプソン予想,コンウェイ・ノートン予想には,このような不思議な事実がたくさん収集されています.しかし,後にボーチャーズが,現代物理学の弦理論にその原点をもつヴィラソロ代数(頂点作用素代数)を用いることによって,これは単なる偶然の一致ではなく,そこに何か真実が隠されていることをつきとめます.
ボーチャーズはその功績によりフィールズ賞を受賞するのですが,さらに,ボーチャーズは一般化されたカッツ・ムーディー・リー代数を導入して,マクドナルド恒等式を導いた論法を適用することにより,分母公式は
J(p)−J(q)=p^(ー1)Π(1−p^mq^n)^c(mn)
となることを示しました.この等式は19世紀のデデキントのイータ関数の変形のようでもあり,ヤコビの3重積公式
Σq^(m^2)y^m=Π(1−q^2n)(1+yq^(2n-1))(1−yq^(2n-1))
にも結びついています.
これにより,ムーンシャイン予想の一応の解決となったわけですが,ムーンシャイン予想は保型関数論のように古典的なものでもあり,また,物理学の弦理論のように新しいものでもあったというわけです.
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【3】類体論
2次体における素数の分解
Q(i),Q(√−2),Q(√2),Q(√−3),Q(√3)
はいずれも類数が1であって,これらの体の整数環は一意分解整域となります.したがって,素数は素イデアルの積としてただ1通りに表されます.
それに対して,Q(√−5)やQ(√−6)は類数が2であり,Z(√−5)やZ(√−6)は一意分解とは限らないことを意味しています.
6=2・3=(1+√−5)(1−√−5)
類数1では,p=x^2+y^2,p=x^2+2y^2,・・・の形に書ける素数の場合,Q(√−1)やQ(√−2)においてpが完全分解するための必要十分条件
Q(√−1) ←→ 1(mod4)
Q(√−2) ←→ 1,3(mod8)
がそのままだったのに対して,類数2では,p=x^2+5y^2,p=x^2+6y^2,・・・の形に書ける素数に次のような現象が起こります.
p≠2,5でない素数とするとき
「pが20で割ると1または9余る素数ならば,p=x^2+5y^2」
p≠2,3でない素数とするとき
「pが24で割ると1または7余る素数ならば,p=x^2+6y^2」
すなわち,Q(√−5)において,pが完全分解するための必要十分条件
1,3,7,9(mod20)
Q(√−6)において,pが完全分解するための必要十分条件
1,5,7,11(mod20)
に較べて少しずれが生じてしまうのです.
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