■備忘録(李白)
阪本ひろむ氏より「今、李白全詩集に挑戦中。李白は文、辞賦ものこしているが、なぜ日本人は詩にのみ興味を示すのか?」というメールあり.しばらくして,下記のメールが届いた.本人の許可を得て転載.
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李白全詩集(全三巻)のうち、第一巻読了。ただし、訓読で理解できたものは解説等を読み飛ばした。
第二巻の目次を見てうんざりしたのは、送別の詩ばかりで一冊になっていること。この中には心から送別を惜しんで賦したものも多いのだろうが、義理で読んだものも相当あるはずだ。
近体詩(絶句、律詩、排律)は確かに読みやすい。しかしこれらは科挙の試験科目となっていた。よって時代がたつに従って、形骸化していく。李白の詩の中にも形骸化したものが散見される。
陶淵明(六朝時代)は(文を含めて)200首程度。李白の詩は1000首、杜甫は1500首程度。しかし、時代が進むにつれ、1人何万首も読むようになってくる。
芸術性という点では昔のほうがよい。時代とともに詩に取り組む姿勢が真剣で無くなったからだろうか? 紙の値段が時代とともに安くなったのも、時代が進むにつれ、多作になった理由かもしれない。 (阪本ひろむ)
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