第2次世界大戦後の日本が、日本再建の鍵とした産業分野は、自動車や電子技術、それに原子力も含まれると思われるが、これらの重要性を早くから認識し、日本の未来をそこに託した技術者たちが実在した。戦後のなにもない、設備も十分でない環境にもかかわらず、世界に誇れる製品を次から次に生み出したその技術者たちにあらためて敬意を表するとともに、そのような歴史なくして、今日の日本の繁栄は享受できなかったであろうということを私は決して忘れない。
私は自分のことを技術屋と思っているし、これからの生涯も名もなき一職人であろう(パソロジカルパソロジスト?)。そのため、度を過ぎた力みと思い入れがあるかもしれないが、
1)彼らは戦争に負けてなんとか日本を再建しなきゃいかんという強い意志と実行力のある連中だった。
2)技術者ゆえにもともと寡黙で決して自己宣伝しないし、出世とか派閥などはまったく眼中にない。
3)立身出世なんか全然考えず、おもしろいことがあるとなりふり構わず、どんどんそっちに行っちゃう。
そんなふうだったに違いないと好き勝手に空想している。実際、革新的なアイデアをもっている人は独創的で平均からはずれているがゆえに、変わり者あるいは一種のマッドサイエンティストとみなされることが往々にしてあるからである。しかし、出世街道から離れて独自に研究を続けてきた彼らの技術開発の成果は、自動車やエレクトロニクスなどの製品を通じて、戦後の日本に命を与えた。そして、いまやこれらのキーテクノロジーは日本のお家芸となっているのである。
ところが、戦後半世紀以上経た1997年は、これらの中核産業に大きな翳りのさした1年であった。動燃の度重なる放射能漏れ事故にあきれはてた方、あるいは日本のエネルギー問題について真剣に心配された方もさぞかし多かろうと思うが、起きてほしくないときほど事故はよく起こる。いわゆる、マーフィーの法則である。ミスが許されない作業では極限の心理状態に追い込まれるから、それ故の失策であろうが、これで日本の原子力技術開発は向後10年以上停滞するであろう。大きな失策であった。
一方、エレクトロニクスの花形、コンピュータ産業においても、日本はもう主導権をもちえないであろう。何から何まで完全に海外のコンペティタの製品に押さえ込まれていて、CPUはペンティアムとかパワーPC、OSはUNIXとかウィンドウズNTである。日本は独創的なCPUとかOSをつくるわけでもなく、光ディスクとか周辺機器で飯を食う以外にない。どう巻き返すべきか? ペシミスティックに考えると見通しは暗いが、光ディスクとかそのドライブ装置は世界中が日本製であるから、巻き返しのチャンスがないわけではない。
日本の研究者は海外の論文をわずかに拡張したり、これまでの論文をリアレンジして論文の数を増やすことばかり考えていて、そのためオリジナリティがないとか、アメリカのまねばかりやってきたといわれる。現実に、ある人たちにとっては論文をたくさん書いて大学教授になることが人生の目的でさえあり得る。自分で考え、自分と直結したものしか論文にしないというような純粋な科学との携わり方もあろうが、そのような研究者は滑り落ちてしまうのも事実である。
このような具合だから、日本人はオリジナリティに乏しいとよくいわれるけれども、オプティミスティックに考えると、ディベロップメントして売ることが得意という意味だし、それに、いいものを安く売るのはなにより大切なことだ。将来のニーズをよく踏まえた上で、産業界・教育界は今こそ次代を担うパワーのある人材を発掘・育成しなければ、日本主導への巻き返しはますます困難となろう。
資料で知るだけなので正確かどうかは分からないが、第1次大戦後のポーランドは、第2次大戦後の日本以上に壊滅的な状況だったようである。そのような状況下、数学に限っていうと、数学基礎論・関数解析・実解析などの分野で多くの数学者を輩出し、数学史上<ポーランド学派>と呼ばれる開花期を形成した時期がある。この成功は民族的な数学センスの良さにも拠るだろうが、よそに負けない学問をするとしたら、紙と鉛筆しか要らない数学以外になかったのであろう。いずれにせよ独立間もない国をもり立てようという気概があったに違いない。
かつて、わが国でも国土の肥やしとなり花を咲かせるものが欲しけりゃ自分で物を作るしかないという状況だったのであろうし、日本は物を作る人間に対する尊敬を失わない国であったはずだ。現在の日本は気概にあふれていた戦後の復興期からはずいぶん様変わりしてしまったが、金融破綻も顕在化し、日本経済(錬金術をもった日本株式会社の意)の不倒不沈神話が崩壊した今となっては、現行の日本というシステムはもう一度つぶれなければいけないのかもしれない。