■陶淵明・桃花源記

 またしても、陶淵明の作品の中に「蚕」という字を発見した・・・(阪本ひろむ)

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 「桃花源記 并に詩」の中に

  春蚕長糸を収め 秋熟 王税なし

の二句があった。

 なお、「桃花源記」は、陶淵明集の中では、「詩」ではなく「文」に分類されている。中国詩人選集の「陶淵明」には、「桃花源詩 ならびに序」として採録されているのだが、実際は「桃花源記 并に詩」が正しいそうだ。

 前に述べた「雑詩」の「春蚕」も、比喩的につかったものだし、「桃花源記」もフィクションの世界のものなのだ。

 そもそも陶淵明の生まれた所が柴桑県であるし、「桑」という字は陶淵明の作品に頻出する。養蚕は、中国で発明されたものであり、蚕は人間によって品種改良されたものである。蚕は人間の世話なしでは生きていくことができないそうだ。蚕は自分で桑の葉に吸い付いいることができないので、桑畑に放しておくと、地面に落ちて死んでしまうそうだ。一種の「家畜」なのだそうである。

 豚は猪を家畜化したものだが、蚕の原産種は滅んだそうである。ついでにいうと、中国で「猪」とはブタの事を指す。日本のイノシシは「野猪」という。最近は、世界各国で干支の切手が発行される。日本以外の国は亥年にはブタのデザインの切手が発行される。

 人間によって品種改良され、人間の世話なしには繁殖できない生物の一つにトウモロコシがある。これはアメリカ原住民が、ある植物を品種改良したものだそうだ。植物は実がなったら地面に落ちたることにより繁殖するものである。しかし、トウモロコシは実が熟しても地面に落ちない。人間にとっては、実が落ちない方が収穫に都合がいいわけだ。これも原産種は滅んでしまったらしい。

 あるテレビ番組で、類似した植物が存在しないことを理由に、トウモロコシは宇宙人が持ってきた地球外植物だといっていた。これには大笑いしてしまった。

 陶淵明の話に戻る。陶淵明と桑とは切っても切れない関係にあるのだが、彼自身は養蚕と紡績にどの程度関わっていただろう。桑を植えて育てるのは農業であるが、蚕を育てるのは「牧畜業」? 紡績は「軽工業」であり、農業と異なる技術を要する。彼の時代に、これらの作業はどこまで分業化されていただろうか? その様なことを想像するのもおもしろいものである。こうなってくると一種の中国農業史、中国産業史の研究分野である。

 さらに、陶淵明は菊を愛でたが、彼が歌った菊は、どのような種類のものだったろうか。たいていの人は観賞用の大きな菊を連想するだろう。しかし、実際はもっと素朴な小さな原生の菊だったのではなかろうか。

 杜甫にも菊をあつかった詩があったが、それもどのような菊だっただろう。彼は人生の大半を旅人としておくったので、あまり観賞用の菊を見る機会はなかったのではなかろうか?

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