■田園の居に帰る6(歸田園居其六)

歸田園居其六

陶淵明

種苗存東皋 苗を種(う)うるは東皋(とうこう)に在り

苗生滿阡陌 苗は生じて阡陌(せんはく)に満つ

雖有荷鋤倦 鋤を荷(にな)うに倦むと雖も

濁酒聊自適 濁酒聊か自ずから適う

日暮巾柴車 日暮 巾柴(きんし)の車

路暗光已夕 路暗くして光已に夕べなり

帰人望煙火 帰人 煙火を望み

稚子候簷隙 稚子 簷(ひさし)の隙(すき)をうかがう

問君亦何爲 君に問う また何を為すやと

百年會有役 百年 役有るに会す

但願桑麻成 但願わくは 桑麻(そうま)成り

蠶月得紡績 蚕月(さんげつ) 紡績を得るを

素心正如此 素心まさにかくのごとし

開徑望三益 径を開きて三益(さんえき)を望む

苗を東の沢に植え

苗はあぜ道に満ちている

鋤を担うのにあきてきたが

濁り酒は丁度よい具合に熟成した

日暮に柴を覆う車があり

路は暗くなり、まさに夕べとなった

家に帰る人は夕餉の支度の煙を見、

幼子はひさしの隙から外をうかがっている

「あなたはなぜそのような事をしているのか」とおっしゃるか?

これ(農耕)が一生涯かけての仕事なのだ

ただ願うことは桑と麻がなって

養蚕をする月(陰暦四月)に生糸ができることだ

私の願いはただそれだけだ

路を開いて三益の友(正しい人、誠実な人、見聞のひろい人)をまつとしよう

===================================

以上、原文は、旧字、書き下し文は新字、現代仮名遣いである。

この詩は、日本の「陶淵明全集」(岩波文庫版)、陶淵明集全釈(明治書院)を探しても見つけることはできない。

それもそのはずで、これは中国(および日本)で、偽作と断定されているからである。

偽作とされる根拠は、似たような作品が、「陶淵明を模した作」として、「文選」に収録されているとかいうことだということだが、解説の文が微妙なのでよく理解できない。(陶淵明箋注 袁行霈 中華書局など)

私(阪本ひろむ)が気になったのは、

但願桑麻成 但願わくは 桑麻(そうま)成り

蠶月得紡績 蚕月(さんげつ) 紡績を得るを

の二句である。

陶淵明の作品に、桑と麻は頻出するが、養蚕に関する記述はほかに見られない。

陶淵明集は全十巻のうち、後半三巻が偽作、さらに詩三首が偽作と断定されている。

だが、「少年老いやすく学なりがたし」(日本では、朱子の作と信じられている)に比べると、この詩はよくできているとおもう。偽作と断った上で、全集等に収録してもいいのではないか?   (阪本ひろむ)

===================================

 陶淵明の作品をよみ,彼が「帰去来の辞」を賦した年齢(四十半ば)をとうに過ぎていることに気がついた.彼が県令の役職を辞したのは,決して自ら隠棲を望んだからではない・・・その心境と自分の心境と重なるものありと感じておられる読者は少なくないのではなかろうか.   (佐藤郁郎)

===================================