■量子論の確立と理論力学の確立(誕生の類似性)

 量子論の確立におけるバルマーとボーアの業績は,理論力学の確立過程におけるケプラーとニュートンのそれと類似していることは興味深い.そのためにはまず,ケプラーの物理学を少し語る必要があるだろう.

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【1】ケプラーの法則

 ギリシア時代の天文学では,惑星は地球の周りを等速円運動すると考えられていました.神の創造した世界は完全な調和の世界であり,完全なる図形である円こそが神の世界にふさわしいとされたのです.したがって,当時の常識としては,「幾何学における神聖な作図とは定規とコンパスという基本的な2つの道具だけしか使わないものであって,直線と円の世界から外れるものは不純である.したがって,神秘的であるべきすべての天体の運動は円とその組み合わせによって支配される」という思想があり,惑星は地球の位置とは少しずれた中心の円の上を運動する(離心円)とか,その円軌道上を小さく円を描きながら動く(周転円)とか工夫して惑星の運動を説明しようとしましたため,非常に複雑なものとなってしまいました.天動説を否定して地動説を唱えたコペルニクスでさえも,太陽を中心に離心円と周転円を組み合わせることで惑星運動の原理を説明しています.

 パラダイムシフト(発想法の転換)が必要であったのですが,ケプラーはこの思想の壁を破って「惑星は楕円軌道を描き,太陽はそのひとつの焦点にある」に到達したのです.答えを知っている私たちから見れば常識のように思っている法則なのですが,それまで支配的であった見方・考え方を克服して確立されたもので,必ず何らかの美しい法則がこの宇宙を支配しているという強烈な思い入れ(狂信?)がケプラーの法則の発見へとつながったわけです.科学思想の背景をふまえながら,ケプラーが法則を発見するに至る道筋を振り返ってみることにしましょう.

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 天文学者ケプラーはティコ・ブラーエが資料として残してくれた20年にわたる膨大で精確無比な天文観測記録を試行錯誤的に数値計算し,25年も費やして火星の軌道を執拗に模索しました.ケプラーは後年,この苦心談を「マルス(火星)との悪戦苦闘」と表現しています.

 しかし,その結果は,「惑星の軌道は太陽を中心とする円軌道である」とするコペルニクスの地動説に反するものでした.そこで,彼は円軌道という前提に疑問をいだき,これに合う理論を求めてケプラーの法則に到達します(1609年).

<第1法則>惑星は太陽を焦点のひとつとする楕円軌道上を動く.

<第2法則>面積速度は一定である(角運動量保存則).

<第3法則>公転周期の2乗は平均距離の3乗に比例する.

すなわち,惑星の軌道は完全無欠な円ではなく楕円であり,太陽はその一つの焦点の位置にあるとすることによって矛盾が解決されることを導き出したのです.

 コペルニクスの地動説(heliocentric theory:太陽中心体系)はそれまで宇宙の中心と信じられてきた地球(geocentric theory)を一つの惑星と考え,地球中心のモデルを捨て去り太陽中心体系を確立することによって,地球を自己中心的な位置から解放しました.そして,ケプラーが円の呪縛すなわち完全な等速円運動に固執するコペルニクス・ドグマを断ち切ったのです.

 惑星の軌道は完全な円ではなく離心率のごく小さな楕円を描き(不等速楕円運動),太陽はその楕円の1つの焦点の位置にあるわけですが,偏心率の大きな楕円を描く惑星が火星だったというわけです.

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【2】ニュートンと重力の謎

 ケプラーの法則の発見は天文学の歴史の中における輝かしい発見であるばかりでなく,ニュートンやライプニッツによりほとんど同時に開拓された微分積分学という数学の革新的方法によって,この法則の背後にある本質的な自然界の法則,すなわち,ニュートンの万有引力の法則の発見(「自然哲学の数学的原理:プリンキピア」1687年)へと統合され,帰結していくという歴史をたどることになりました.

 ニュートンの業績は,ケプラーによる惑星の運動法則とガリレオによる落体の運動法則から天上と地上の運動を統一させた力学を作り上げ,リンゴが落ちるのと地球が太陽のまわりを周回するのが同じ力の遠隔作用<万有引力>によることを確立したこと,さらに,そのための方法として微分積分学を体系づけたことにあります.ガリレオの放物線とケプラーの楕円は物理現象の記述に円と直線以外の円錐曲線が使われた科学史上初の出来事になっていて,外見の違う現象が統一原理で結ばれる1つの実例になりました.これらの結果を基礎としてニュートンはすばらしい重力理論を作り上げたことになるのですが,ケプラーやガリレオなしにニュートンの成果は生まれ得なかったであろうと思われます.天空と地上の二つのことが,二人の一種の分業によって高い水準まで達したのですが,それがニュートンによって統合されたのです.

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 ニュートンの仕事は,物理現象の知識を数学を用いて獲得することに成功した例であり,ニュートンの法則を使えばケプラーの法則を導くことができます.逆に,数学が物理現象を探し求める助けとなった顕著な例として,海王星の存在を純粋に理論的に予言した事実をあげることができます.

 1820年頃,天王星の運動に不可解な偏差が観察されました.ニュートンの万有引力の理論から,天王星の運動の乱れは未知の惑星の引力によるものと予想されていましたが,一種の逆問題によって未知の惑星の質量と軌道が導かれました.天王星のずれから,未知の惑星の位置を予測したのはフランスのルヴェリエとイギリスのアダムスです.その惑星は海王星と名付けられたが,海王星は当時の望遠鏡でやっと見えるほどであり,位置の予測がなければ発見することはできなかったと思われます.

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【3】アインシュタインと重力の謎

 ニュートン力学の示すところでは,一つの原因が一つの結果を生み,もし初期条件さえわかれば宇宙空間・未来永劫にわたっての結果も予測可能という決定論的思想を生み出しました.ニュートン力学成立以降の約200年間,それは疑われることがありませんでしたが,今世紀になり確率論的自然観に基づいた統計熱力学や量子力学などの新しい大きな波が押し寄せ,現代の科学や自然観を形成してきたことはご承知のとおりです.20世紀の物理理論でもっとも革命的なものは,「量子論」と「相対性理論」といえましょう.

 「量子論」も「相対性理論」もある極限の性質としてニュートン力学を含んでいます.プランク定数をゼロとしてよい極限で量子論はニュートン力学になるし,光速度に比べて遅い速度の極限では特殊相対性理論はニュートン力学に,また,一般相対性理論は重力を無視した極限で特殊相対性理論になります.このように,より進んだ理論が旧来の理論をひとつの極限として含むという考えは,それ以後の新理論を構築する上での参考になっています.

 重力の謎はニュートンにより終止符が打たれたかに思えましたが,そのとき新しい問題はすでに始まっていたのです.惑星の運動,潮汐現象,自転軸の歳差運動などの数学的な公式の解明の一方で,万有引力の原因たる生成・維持・伝播機構など重力の物理的本質についてはなお未解決の難問になっていて,なぜ万有引力が誘導されるかということは全く神秘につつまれたままであったのです.ニュートンの「万有引力の法則」は天体力学の基礎をなし,人工衛星の軌道の決定のような事柄においては今日でもまだその役割を果たしているのですが,今世紀の初めにアインシュタインの「一般相対性理論」(1916年)に置き換えられることになりました.

 アインシュタインは重力をニュートンが理解したように離れたところから作用する力というのではなく場の性質と考えました.すなわち,重力場では物質が存在するとそのまわりの時間・空間が曲がると考えて,重力現象が時空の曲率に比例すると仮定し,非ユークリッド幾何学を用いて重力場の性質を説明しています.ニュートンは宇宙空間が3次元ユークリッド空間であると想定していたのに対し,アインシュタインは重力場の強さが空間の歪みに依存することを説明するために,コペルニクスが宇宙の中心としての地球の位置を否定したようにユークリッド空間が幾何学において果たしていた中心的役割を排除し,空間が変化する曲率をもつリーマン幾何学(楕円幾何学)に重力の解明への道筋を見いだしたのです.

 自然をより正確に記述するために新しい数学を開発しなければならない場合もあります.ニュートンが自ら発見した物理法則を表現するために,微分積分を開発したのは有名ですが,アインシュタインは重力場の新しい理論を打ち立てるために,それまで単なる数学的試みと考えられていたリーマン幾何学を発掘したのです.したがって,アインシュタインの一般相対性理論(物質は空間の曲がりを決め,空間の曲がりが物質の運動を決めるという理論)は重力に関する幾何学的理論であり,楕円幾何が正しい限りにおいて正しいものになります.一見,非ユークリッド幾何学は常識外れのようですが,この方法が現実的で応用力があるというのは何とも不思議なところです.

 また,重力場の方程式は,宇宙は無限であるというより有限だが境界がない世界であることを意味しています.これらの着想はまさにコペルニクス的大転回であり,これまで考えられた宇宙モデルの中でもっとも偉大な概念といってもいいでしょう.アインシュタインの重力方程式では,ニュートン力学では記述することができない重力理論,例えば,重力波の伝播なども予測されていて,ニュートンを超える重力理論はこの方程式にまとめられています.一般相対性理論の完成後,アインシュタインはそれを拡張した統一場理論へと進むことになりました.アインシュタインにとって,ニュートンの理論はその第1近似に過ぎなかったのです.

 一般相対論はアインシュタインにとって最終結果であると思われました.なぜなら,これによって重力と時空が統一されたからです.ところが,宇宙の起源に関するアインシュタインの静的模型は,フリードマンがアインシュタイン方程式が不安定であることを示し,ハッブルが宇宙の膨張を示したことによって早急に破棄されることになりました.理論は破棄されるためにあること,アインシュタインの相対性理論はまさにそれを示しています.

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【4】誕生の類似性

 バルマーは放電管の中の水素原子のスペクトル線から,ケプラーは火星の軌道測定から得られた数値データを導き出した.ケプラーのそれは惑星は円軌道ではなく楕円軌道を描きながら太陽の周りを回っているという惑星運動の法則である.ケプラーもバルマーも自分が発見した法則がみごとに調和的だと感じていたが,その法則が成立する理由は理解できなかった.

 そして,ニュートンが力学の原理からケプラーの法則を根拠づけたように,ボーアもまた量子論からバルマーの公式の解釈を導き出した.ボーアはニュートンやアインシュタインに並び称されるにふさわしい卓越した人物といえるだろう.

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