■メビウス関数とディリクレ級数(その45)

 ヒルベルトは,リーマンのゼータ関数ζ(s)の零点がランダム・エルミート行列の固有値のように分布していると推測し,1915年頃,ポリアとともにゼータ関数の零点をスペクトルとして解釈できないだろうかと提案した.

 とはいえ,そのような数学的証拠が実際になければそれは理論上のことに過ぎない.そして,1956年,ゼータ関数の零点スペクトルはセルバーグ・ゼータ関数の発見ではじめて実際に関係づけられることとなった.ヒルベルトとポリアの提案が予想の枠をこえて現実味を帯びてきたのである.

 このとき開花したS型ゼータ(セルバーグ・ゼータ)は20世紀数学の最大の発見という人もいるほどであるが,リーマン・ゼータのようなA型のゼータ関数をS型ゼータ関数として表すことによりリーマン予想を解決しようという哲学が「ゼータ統一理論」である.

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 一方,コンピュータの発達により数値解析の研究が進み,モンゴメリーやオドリズコの数値計算によって,ゼータ関数とランダム行列理論との関連が見いだされた.

 ゼータ関数の複素零点は

  ζ(1/2+i14.134725・・・)=0

  ζ(1/2+i21.022040・・・)=0

  ζ(1/2+i25.010856・・・)=0

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と続く.

 ここで,リーマン仮説が成り立っていることを仮定し,ゼータ関数のj番目の零点を

  1/2+igj

と書くことにすると,ゼータ関数の零点の密度は実軸からの距離とともに対数的に増加するので,その平均間隔によって正規化

  gj~=(gjloggj)/2π

すると

  gj~〜j

すなわち,隣り合う零点の間隔は平均1となる.

 ベル研究所のオドリズコは正規化された零点の間隔について詳細な数値計算を行い,隣り合った二つのgj~の差に関する度数分布図の結果がGUEとほぼ完璧に一致することを示した.

 

 また,モンゴメリーは正規化された零点のペアに関する相関を調べ,ダイソンはそれがランダムなユニタリ行列の固有値の相関関係

  1−(sinπΔE/πΔE)^2

と同じものであることに気づいた.

 このような零点の分布は偶然とは考えにくく,零点虚部はある未知のエルミート演算子の固有値である可能性が強いと考えられた(モンゴメリー・オドリズコ予想).

 零点の間隔分布がGUEのスペクトル統計に一致することが精密な数値計算により予想されたのだが,このようにランダム・エルミート行列の隣り合う固有値の間隔分布を行列の次数を無限大にして考えた理論曲線と一致したことは,数論研究者にとって衝撃的な結果であった.

 これらのことにより,ゼータ関数の零点分布がランダム行列理論で得られる関数で表されることは予想されていたのだが,近年,ルドニックとサルナックはこれを部分的に証明したという.

 このようにゼータ関数の零点を作用素のスペクトルと関連づけて解釈しようとする数論の新しい動きを総称して「数論的量子カオス」と呼ばれる.素数を周期軌道,零点を固有値と読み変えることによって,ゼータ関数が仮想的な量子系を表現していると考えることができるというのである.

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