■高次元結晶の世界(その37)
漱石の「夢十夜」は,数学的真理はあらかじめ存在しており,発明されるのではなく,発見されるのだという喩え話によく引き合いに出されるものである.
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運慶は護国寺の山門で仁王を刻んでいるのだが,わいわいいっている見物人の評判には委細頓着なしに鑿と鎚を動かしている.鑿と鎚の使い方がいかにも無造作であった.
この態度を眺めていたひとりの若い男が「あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない.あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを鑿と鎚の力で掘り出すのみだ.まるで土の中からを石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」といった.
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自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した.はたしてそうなら誰にでもできることだと思い出した.それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家に帰った.
「自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫(ほ)り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片(かた)っ端(ぱし)から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋(うま)っていないものだと悟った。それで運慶が今日(きょう)まで生きている理由もほぼ解った。」
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