■結晶と相転移(その38)

 (その34)以降のテーマは,身近な素材である食塩(NaCl)を取り上げて,基本的な物理定数であるマーデルング定数を求めようというものである.この無限級数の計算は,マーデルングによって約80年ほど前に行われたものである.

 たいていの物性をテーマとする物理の本には,この無限級数が収束するのはさも当然のごとく書かれてあるが,みるとやるでは大違い.実際に計算してみると,この級数は一筋縄ではゆかない厄介者であった.

 1次元の場合,すなわち,

  U=-e^2/R*2[1-1/2+1/3-1/4+・・・]=-e^2/R*2log2

とは違って,2次元・3次元では解析的な解は得られそうにないが,数値的には求められるであろうと気楽に考えていた.ところが,この無限級数の場合,距離の近いものから足し合わせるという(馬鹿正直な)正攻法では振動が激しく,一向に収束しないのである.

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 もう一度,問題点を洗いなおし,対応策を考えてみた.1次元で解析的に得られた無限級数が,2次元・3次元で級数が大きな困難を示した原因としては,まず,

1)クーロン力は長距離力なので,最近接イオン間だけではなく,かなり離れたイオン間にも力が働いているため,非常に長距離にわたって計算する必要があるのでは? と考えられた.

 しかし,この計算は,物理の多体問題と本質的には同じであり,多体問題を2体問題で近似することの誤差を考えると,遠くのイオンとの間でのポテンシャルの計算は不要な気がする.

 つぎに,

2)級数の和の順番に問題があるのでは? と考えた.結晶の球対称性を考慮して計算しているが,級数の項を正負の項からの寄与が互いにほぼ打ち消すように並べ替えないと,級数は収束しないのかもしれない.

 もし順番を入れ替えて収束するとしたら,その計算自体があやしいともいえるが,念のため,第n近接を求める方法を改め,結晶を層状のイオン群に分割して,着目するイオンへの第n層の寄与を順次加えることにより,マーデルング定数を計算することにした.

 正方格子の第1層とは着目するNa+イオンを取り囲む8個のイオン(4個のCl-,4個のNa+)であり,第2層は16個のイオン(8個のCl-,8個のNa+)を指す.第n層は,

  (2n+1)^2−(2n−1)^2=8n

個のイオンを含んでいる.同様に,立方格子の場合,第n層は,

  (2n+1)^3−(2n−1)^3=24n^2+2

個のイオンを含んでいる(第1層には14個のCl-,12個のNa+).

 このようにして足し合わせの順番を変更しただけであるが,計算はみごとに収束した.結局,距離の近いものから足し合わせるという先入観にとらわれてしまった形になり,これがピットホールに陥った原因であったが,順番を入れ替えると収束する理由について,科学的な説明を与えてみたい.

 正方格子の第1層は8個のイオン(4個のCl-,4個のNa+)であり,第2層は16個のイオン(8個のCl-,8個のNa+)を含む.また,立方格子の第1層には26個のイオン(14個のCl-,12個のNa+)が含まれている.したがって,層ごとに電気的にほぼ中性なイオン群に分割されることになる.中性イオン群からの寄与を順次加えていけば,正負の項からの寄与が互いに打ち消され,結果的に振動が抑えられて,マーデルング定数を計算できるのではなかろうか? これが,順番をかえることの意味であると考えられた.

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