■固有値の漸近分布と等スペクトル問題

【4】固有値の漸近分布

 

 ここでは,固有値を小さい順に並べたn番目の固有値λnが,nとともにどのように大きくなるのか,固有値の漸近分布について考えてみることにします.

  N(λ)=#{n|λn≦λ}

すなわち,λ以下の固有値λnの個数の分布関数に着目すると,

  π2(m2/a2+n2/b2)≦λ,m≧1,n≧1

したがって,λ→∞のとき,

  (1/√λ)^2N(λ)→(楕円の面積)

であり,楕円に含まれる格子点の個数となることが理解されます.ここに現れたような格子点数の計算は,一般に「数の幾何学」と呼ばれ,ミンコフスキーに始まるものです.

 

 同様にして,d次元の超直方体ではその(超)体積をVdとして,

  Nd(λ) 〜 cdVdλ^(d/2)   (λ→∞)

が成り立つことが理解されます.固有値の数の増大のしかたは,次元とともに指数関数的に増大するのですが,(2次元)曲面では

  N(λ) 〜 cλ

したがって,固有値はλのほぼ比例して存在することになります.

 

 ここで,c=cdは次元dのみに依存する定数ですが,

  cd=(2π)^(-d)π^(d/2)/Γ(d/2+1)

すなわち,λ→∞のとき,

  Nd(λ) 〜 (2π)^(-d)π^(d/2)/Γ(d/2+1)Vdλ^(d/2)

で表されるというのが,ワイルの公式の特別な場合です.

 

 なお,半径1のd次元超球の体積は,

  vd=π^(d/2)/(d/2)!=π^(d/2)/Γ(d/2+1)

で与えられますから,ワイルの公式は

  Nd(λ) 〜 (2π)^(-d)vdVdλ^(d/2) 〜 Cλ^(d/2)

と書くこともできます.

 

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【5】太鼓の形を聴きとれるか? (等スペクトル問題)

 

  Δf=λf

の固有値

  λ1≦λ2≦λ3≦・・・

が固有振動数を与え,対応する固有関数

  φ1,φ2,φ3,・・・

がそれぞれの固有振動数で振動する膜の変位の様子を与えてくれます.

 

 ワイルの定理とは,いわば「太鼓の音を聴けばその面積がわかる」というものですが,ここでは,歴史背景に思いを馳せてみましょう.1910年代,ワイルは太鼓の音からその面積を推定することが可能であることを証明しました(ワイルの法則).

 

 また,1930年代には音から周の長さも決定できることが示されました.

  Nd(λ) 〜 cdVdλ^(d/2)−cd-1/4Ad-1/4λ^((d-1)/2)

ここで,Ad-1はd次元多様体Vdの表面積を表します.

 

 面積や周長だけから正確に定義できる図形は円だけなので,円形の太鼓ならば音からその大きさを決定できることが解ったわけですが,しかし,面積も周長も等しいが形の異なる太鼓が,同じ音をもっているなどということがあり得るだろうか?という一般的な疑問には答えることができませんでした.

 

 1960年代になると,カッツは「ドラムの形は聴き分けられるか?」

  M. Kac, Can one hear the shape of a drum?, Amer. Math. Monthly, 73(1966),1-23

という論文を発表しました.カッツの問題とは,漸近挙動

  Nd(λ) 〜 cdVdλ^(d/2)

をもっと詳しく調べれば,太鼓の形についての幾何学的情報がすべて得られないだろうか?という問いかけです.カッツが提出した等スペクトル問題は,数学論文としてはめずらしく魅力的なタイトルがものをいって,大きな注目を集めこの問題を解こうという研究を大きく促すきっかけとなりました.等スペクトル問題は逆問題の特殊な例になっていて,この論文のタイトルが逆問題の有名な標語(スローガン)になったというわけです.

 

 カッツの論文により「太鼓の音から,その面積,周の長さ,穴の数が聴きとれる」ことが示されたのですが,これらの成果にもかかわらず,境界の形が円であるのか楕円であるのか,四角形か多角形かなのか,面の正確な形が推測できるかというさらに一般的な疑問には答えられませんでした.これが,マッキーンやシンガーなどの人々を触発し,その後の研究が展開する契機となりました.

 

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