■藤原松三郎(その2)

【2】卵形線研究

 藤原はゲッチンゲン留学中卵形線に大きな興味を抱き,以後卵形線研究は東北大学数学教室の輝かしい業績が生まれることとなった.内転形(凸多角形の各辺に接しながらそのなかで1回転できる卵形線)は,凸多角形が正方形の場合は定幅曲線に他ならず,定幅曲線の概念の拡張になっている.

 フルヴィッツはフーリエ級数論を応用して「デルトイドの平行曲線が定幅曲線(平行な支持線間の距離が一定な卵形線)である」,「アステロイドの平行曲線は正三角形の内転形である」ことを証明した.この論文から刺激をうけた藤原は一般的な凸多角形の内転形をフーリエ級数論を応用して解析的に研究した.

[1]同じ凸多角形のすべての内転形の周長は等しい

[2]正n角形の内転形は少なくとも2(n−1)個の頂点をもつ

などはその業績の一例である.

 また,正n角形の内転形で面積最小のものをAn,接点と正n角形の頂点との距離が最小のものをBnとすると,藤原はA3,B3はともに藤原・掛谷の2角形(半径が正三角形の高さに等しい2つの円弧で囲まれたレンズ型図形)であることを証明した.A4,B4がともにルーローの三角形であることはそれぞれブラシュケ,藤原が証明している.卵形線論ではブラシュケ(ハンブルグ大学)と東北大学が研究の二大中心をなしていた観がある.

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【3】東北数学雑誌(東北ジャーナル・マス)

 明治44年,独創的な研究だけを掲載する日本最初の数学専門雑誌が刊行された.林鶴一,藤原松三郎らの私費をもって出版された東北数学雑誌は非常に大きな成功をおさめた.大学の刊行物という制約を受けず門戸を広く解放したため,東北大学数学教室に留まらず国際的にも名声が上がり,日本の数学の発展のため大きなプラスとなったのである.

 のちに東北大学の刊行物に移管されることになったが,東北数学雑誌に発表された論文としては先に述べた掛谷の定理,同じく掛谷の連立積分方程式の解の存在に関する研究,卵形線論,関孝和が行列式を論じていたことを発見した林の和算史の研究,シュバレーによるシュバレー群の研究など多々ある.

 関のほうがライプニッツよりも早く,しかも3次・4次・5次の行列式の展開法則さえ論ぜられていたのであるが,林のこの発見は日本のために大いに気を吐いたもので,諸外国の数学界に大きなセンセーションを巻き起こした.東北数学雑誌が研究者達の強い刺激になったことは確かである.

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