■鉄の神様(その2)

[1]我が国の工業発展の基礎を築き、鉄の神様と呼ばれた冶金物理学開発者

 本多光太郎教授は、KS鋼開発で我が国の研究水準の高さを初めて世界に知らしめました。当時の我が国は、技術的には後進国であり、ほとんどの人々は貧しい生活を送っていました。本多先生は、欧米の進んだ文化を積極的に受け入れ、それを飛躍的に改良して、生活を豊かにし、真に独立国家を形成するという高邁な思想を持った新しいタイプの研究者でした。若者は、本多先生に憧れ、夜を徹して研究に没頭しました。

 この思想は、今でも東北大学の研究第一主義として、脈々と生き続けています。我が国の工業発展の基礎を築いた重要な研究者の一人が東北にいたことは、我々の誇りとするところであります。

[2]今ガ大切

 本多先生は、多くの書を残されました。その中でも、特に有名なのが、「今ガ大切」です。常に、自然物と対峙しながら、従来の研究成果を理解しつつ、将来を見据えた研究を遂行する。しかし、何と言っても、地道に、毎日、毎日の繰り返しを大事にしてこそ、研究成果の充実が得られる。と言っておられる訳です。

今ガ大切:本多先生の数多くの書の中でも特に有名で、御自身の研究姿勢と若い研究者に対する激励が滲み出た傑作です。レプリカは、生協で購入できます。

[3]鉄の神様

 本多先生の重要な仕事は物質の磁性に関するものです。磁石は、昔は慈石と呼ばれ、鉄を引き付ける不思議な物質という程度の認識でした。方位磁針がほぼ唯一の実用価値であったため、強力な磁力を追求する研究はなされていませんでした。ところが、ファラデーによる電磁誘導の発見により、モーターやトランスをはじめとして、今では、極めて広く重要な応用分野のある実用材料となりました。つまり、電磁石です。永久磁石の流れも、それに対応して急激に変わりました。そこに我が国から、当時最強のKS鋼を送り出したのが本多先生です。その成果は、学会での反響のみならず、我が国の存在そのものを世界に知らしめたのです。

 本多先生の研究に住友家が多大の寄付をした背景には、軍艦を作るための鉄材の国内生産を可能とするための研究開発支援という認識がありました。既に、米国では、鉄鋼業が盛んであり、ピッツバーグは煤で真っ黒となり、自動車が町中を走り回り、ゴールデンゲートブリッジのような巨大な構築物さえも実

現していました。我が国では、欧米に追い付き追い越せが至上命令であった訳です。こうして、現在の本四連絡橋や青函トンネル等の超巨大建造物の基礎は、本多先生に始まると言えるのです。

 また、日本で自動車工業が可能かどうかを本多先生に聞きに来た、という記録があります。「我が国でも薄板が作れる」という本多先生の回答を頼りに、今日に至るまで、鉄鋼業・自動車産業が基幹産業として発展して来たのです。まさに、鉄の神様の名前が躍如としている逸話です。

[4]生い立ち

 1870年、愛知県碧海新堀村(現在岡崎市新堀町)の農家に生まれました。1897年に東京大学理学部物理学科を卒業しています。通常の優秀な物理学者が若い時代に高度な研究成果をあげるというのとは違っていて、若い中は集中して勉学に励んではおらず、どうも晩生であったようです。

 しかし、その後、1907年から11年までヨーロッパに留学、1911年には東北大学教授、1922年には東北大学金属材料研究所(金研と略称で呼ばれ、諸外国でもKinkenは、そのまま通じる。ちょうど、サシミやツナミの様に。)を設立して所長、1931年には東北大学総長、という具合にヘリコプターの垂直発進とでも表現すべき躍進ぶりを示しています。

 ただし、本多記念館の先生の机上には、今でも当時のノートが、そのままにおいてあり、所長となってからも、管理職のみをしていたということではなく、研究者として常に多くの海外の論文を熱心に勉強されていたことが分かります。

 本多先生は、磁性の研究から出発し、鉄鋼一般の開発研究に携わりました。当時、世界的に見ても、鉄鋼研究は、工業的な観点から実用的な改良がなされているレベルであり、物理学に基づいた「見通しの利く研究」へと導いた功績は大きく、当時、我が国からの投稿は皆無に近かった独英米の著名な学術雑誌に数十編もの論文を発表しています。もちろん、本学研究所連合の出版物であったScience Report, RITU (Research Institutes of Tohoku University) には、当時の重要な研究成果を多数掲載していました。このことは、欧米の教科書にも、なかなか入手しにくいが貴重な資料である、と紹介されているほ

どです。

川添良幸:元・東北大学金属材料研究所・教授

現・東北大学未来科学技術共同研究センター・シニアリサーチフェロー

(愛称である)金研は,我が国金属材料研究発祥の地として、見学に訪れる人も多い。

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