■鉄の神様(その1)

 名物先生「本多 光太郎 先生」

 本多先生は、鉄の神様と呼ばれています。住友家から多大の寄付をいただいて、今の東北大学金属材料研究所(発足時は臨時理化学研究所第二部、以下、愛称である金研)の基礎を作られました。彼の業績の第一に挙げられる強い永久磁石であるKS鋼は、寄付をいただいた住友吉左右衛門のイニシャルそのものです。現代の何々寄附講座という名称の最初の例とも言えるのです。

 当時、磁石は南北を指す方位磁針程度の用途しかなかったのですが、本多先生のKS鋼の発明によって事情は一変し、現在の情報化社会を育てた磁気記録媒体の基盤が形成されたのです。金研の発明であるセンダストは、当時、強い磁石ではあるが粉体しか作れないと、役に立たないもののように思われました。しかし、それが後に磁気テープや磁気記録ディスクへの膨大な活用がなされるようになったのです。

 さらに、戦前既に東北金属(現NEC/トーキン)、東洋刃物、東北特殊鋼等の金属関係の企業が仙台に発足したのは、実に本多先生のおかげです。これらは今で言うベンチャー企業であり、さらにその成功例となっているのは驚くべきことです。

 本多先生は、金研所長、東北大学総長となられても、研究者としての努力も継続されていました。自動車の薄板鋼板を作れるか?という質問に、本多先生が我が国でも作れると回答したことから、現代の我が国の自動車産業の隆盛が始まったという話は有名です。当時は軍艦を造れることが独立国家の象徴でし

た。しかし、米国では、既にゴールデンゲートブリッジが建造され、自家用自動車が多数走り回り、鉄鋼は平和利用にも大いに活用されていたのです。基礎研究としての鉄鋼学に止まらず、我が国繁栄の基礎とも言える工業応用にも大いに貢献されたのです。

 昭和12年に第一回文化勲章が本多先生に授与されました。彼のために作られた賞とさえ言えるのです。世界的に見れば遅れていた我が国の産業界を世界一流にまで持って行った功績は極めて大きいのです。

 彼は名言を書として沢山残しています。特に有名なのが「今ガ大切」の書です。物理の知識を使って経験だけを頼りとしていた冶金学を冶金物理学として再構築したとは言っても、やはり、日夜膨大な実験を重ねる必要はあります。東北大学の研究第一主義の鑑としてどころか、我が国理工学研究の基盤として、この言葉は今でも生き続けています。

川添良幸:元・東北大学金属材料研究所・教授

現・東北大学未来科学技術共同研究センター・シニアリサーチフェロー

(愛称である)金研は,我が国金属材料研究発祥の地として、見学に訪れる人も多い。

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