■ワイソフ多胞体研究会(その2)

 4月6日の研究会の折り,秋山仁先生より

「東京理科大学の前身である東京物理学校は1881年に創立され,今年138年目を迎えた.現在,理科大の神楽坂キャンパスにある近代科学資料館の中に理科大学の歴史館を創設する準備を進めている.」

「物理学校が戦後4年制の大学になった時の初代学長が本多光太郎先生である.そこで,本多先生にゆかりのある資料(写真や言葉,色紙など)を集めていろ.もし,何かの資料をご存知でしたら,ご教示賜れれば幸甚である.」と訊ねられた.

 そこで,私が知っていること

「東北大学創立時,阪大の長岡半太郎(原子の太陽系模型で有名)の特命を受けて東北大に派遣されたのが本多光太郎と八木秀治であったこと.それぞれ,現在の金属材料研と通研の設立のきっかけとなっったこと.本多はKS鋼,八木はアンテナを開発.(数学では東大から藤原松三郎や掛谷宗一)」

「したがって、金属材料研究所資料室や東北大学資料館にいけば少なくとも本多の資料は得られるだろう」と答えました.

 また、他にも知っていただきたいことがあり

「本多は私財をなげうって学生寮を設立したことはあまり知られていないエピソードだと思われること」

「それは本多の私邸を改造したものと聞いておりますが,私はその学生寮「昭和舎」で学生時代を過ごしたこと.私の頃は医学部の学生寮として使われておりましたが,設立時は多分そうではなかったはず」

「命名からするとちょうど平成から令和に移り変わるような時代に設立されたのだと思われますが、本多光太郎の扁額も残っていたこと.残念ながら昭和者は不審火で焼失しておりますが,その資料もどこかに残されていると思われること」等々

 4月9日,医学部でがんの遺伝子診断の講義の際に,構内にある昭和舎記念碑に昭和15年本多光太郎寄付とあることを見つけたものの,医学図書分館で検索してみても昭和舎に関する資料は残されていなかった.

 しかし,その数日後,友人が本田光太郎の自筆の扁額「心鐡」の画像ファイルをもっていることが判明.本多光太郎は理科大の初代学長なので,この資料は理科大にとって極めて貴重なお宝資料になってくれると思う.

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