■最近接距離分布(ウィグナー分布)

 
 コラム「ポアソン配置とワイブル分布(雑然か整然か)」では,直線上,平面上または空間中に無作為に配置(ポアソン配置)した点の集団があるとして,ある点からその最も近い点(最近接点:nearest neighbor)に至るまでの距離rの分布を考えた.
 
 距離の分布であるから0≦r<∞である量を扱っていて,この分布はrの値の大きい方に裾をひいた非対称性分布となる.この分布は正規分布にはならないのだが,それではどのような分布に従うのであろうか? ということで,今回のコラムでは,再度,分布の導出を試みるが,最近,原山・中村「量子カオス」培風館のなかに,エネルギー準位の最近接間隔分布(ウィグナー分布)という解説をみつけた.両者は同じものなのか,はたまた,似て非なるものかというのが今回のテーマである.
 
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【1】ワイブル分布(ポアソン分布の最近接距離分布)
 
 最初に,直線上・平面上・空間中のランダム点配置の最近接距離分布を求めてみることにするが,どれでも同様の議論になるので,平面上の分布について導出を試みたい.
 
 平面上にポアソン配置した点の集団があるとする.この点の密度をδとすると,面積sの図形の中に落ちる点の数の期待値λは
  λ=sδ
で与えられる.仮定により,面積sの図形の中に落ちる点の数xは,平均λ=sδのポアソン分布に従う(あるいは近似できる)から,
  B(x)=(sδ)^x/x!exp(-sδ)   x=0,1,2,・・・
と書くことができる.
 
 さて,任意の1点をとったとき,最近接点に至るまでの距離をr,そしてrとr+drの間に落ちる確率をp(r)drとし,この確率を求めてみよう.このとき,2つの条件:
  1)ある点から半径rの円内には全く他の点が存在しない
  2)ある点を中心として半径rとr+drの円で区切られた微小な環状面積に少なくとも1個の点が存在する
を満足させる必要がある.
 
 条件1)からはs=πr2,x=0とおいて,
  B(0)=exp(-πδr2)
条件2)からはs=2πrdrとおいて,この面積中に1個も落ちない確率B(0)を1から引けばよいから,
  1−B(0)=1−exp(-2πδrdr)〜2πδrdr
条件1)2)とも満たす確率は両者の積で与えられるから,
  p(r)dr=2πδrexp(-πδr2)dr
となる.
 
 ここで,β^2=1/πδとおけば
  p(r)=2/β^2rexp(-(r/β)^2)
すなわち,レイリー分布が得られる.この分布はワイブル分布:
  f(x)=α/β(x/β)^(α-1)exp(-(x/β)^α)
で,形状母数をα=2とおいた場合に相当する.
 
 次に,距離rの平均値rmは
  ∫(0,∞)rp(r)dr=Γ(3/2)/√πδ=1/2√δ
より,最近接点の平均距離は点の密度の平方根に逆比例するという簡潔な結果を得る.この結果は直感的にも納得のいくものであろう.
 以上は,平面上の点の配置の分析であるが,3次元の空間中の点の配置についても同様の議論となるから,3次元空間におけるrの分布は,形状母数3のワイブル分布:
  f(x)=3/β(x/β)^2exp(-(x/β)^3)
 
 詳細はコラム「ポアソン配置とワイブル分布(雑然か整然か)」に譲るが,任意の次元においても,最近接点間の距離の分布がワイブル分布になることを一般的な形で誘導することができる.
  f(x)=n/β(x/β)^(n-1)exp(-(x/β)^n)
すなわち,形状母数n,尺度母数1/n√vnδのワイブル分布である.
                          
 これより,1次元における最近接点間の距離の分布は指数分布になることがわかるが,指数分布はポアソン分布する事象の空間・時間間隔の分布と解釈することができるのである.
 
 rの分布はワイブル分布であって,もちろん正規分布にはならないことがおわかり頂けたと思うが,ここまでの話をまとめておくことにする.
  1)最近接点間の距離の分布はワイブル分布に従う.
  2)平面上の配置した点の最近接点間の平均距離が最大値をとるときは,点の配置が正三角形の頂点に等間隔に配置するときであり,空間中の点については,点の配置が立方格子の格子線の交角を60°になるようにゆがめたときである.
 
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【2】ウィグナー分布(エネルギー準位の固有値分布)
 
 対称なランダム行列Hを,ユニタリー変換
  H’=WHW~
して,Hの固有値:E1,E2,・・・,Enを確率変数とする同時確率分布関数
  P{Ei}=Cexp{-(E1^2+・・・+En^2)/4a^2}Π(Ej−Ek)^β
を導出する.
 
 Π(Ej−Ek)は差積を表すのだが,簡単のため,n=2の場合を考えてみると,
  P{E1,E2}=Cexp{-(E1^2+E2^2)/4a^2}(E2−E1)^β
 
 2変数E1,E2(>E1)を
  E=E1+E2,S=E2−E1
で置き換えると,ヤコビアンは
  J=d(E1,E2)/d(E,S)=1/2
 
 したがって,
P{E,S}=Cexp{-(E^2+S^2)/8a^2}S^βJ
P{E,S}dEdS=CJexp{-(E^2)/8a^2}dE*S^βexp{-(S^2)/8a^2}dS
 
 よって,準位間隔がSとS+dSの間に落ちる確率は
  P{S}=(定数)S^βexp{-S^2)/8a^2}   (0<S<∞)
これがウィグナー分布と呼ばれる最隣接間隔分布であり,Sが0でないところにピークをもち,隣接する準位の反発を表す関数である.
 
 最隣接間隔分布は,尺度母数aや形状母数βの値によって,
  p(s)=π/2sexp(-π/4s^2)
  p(s)=32/π^2s^2exp(-4/πs^2)
などとなるが,指数関数の引き数は前者も後者も2乗の形s^2であることに注意されたい.
 
 前者はレイリー分布,後者はマクスウェル分布と呼ばれる分布に一致するものである.レイリー分布は英国のレイリー卿が音響工学との関連でこの分布を発見したことに由来し,マクスウェル分布は気体分子の速度分布と関係した物理学上の重要な分布関数になっているのだが,これらは,一般にはχ分布と呼ばれるクラスに属し,n次元正規分布おける原点からのユークリッド距離の確率分布として導きだされるものである.その意味で,レイリー分布・マクスウェル分布は,いわゆる2次元・3次元標的問題の解となる分布である.
 
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自由度   ワイブル分布   χ分布        非心χ分布
 1    指数分布     半正規分布      折り重ね正規分布
 2    レイリー分布   レイリー分布     ライス分布
 3    ワイブル分布   マクスウェル分布   非心χ分布
 
 レイリー分布は形状母数2のワイブル分布であるが,この分布は2つの顔をもっていて,χ分布において自由度2としたものでもある.すなわち,形状母数2のワイブル分布は,特別な性格をもつのである.
 
  1)レイリー分布はワイブル分布の1種であり,ポアソン過程で生成された個々の点の最近接点との距離の分布となっている.
  2)レイリー分布は自由度2のχ分布であり,自由度2のχ2分布は指数分布であるから,レイリー分布は指数分布にしたがう確率変数の平方根の分布と理解することができる.
 
 n次元におけるχ分布の密度関数は
  p(x)=1/(2^(n/2-1)Γ(n/2))σnexp{-r2/2σ2}r^(n-1)
であるが,その導出に関してはコラム「標的問題の解とχ分布」を参照されたい.とくに,自由度1のχ分布は,半正規分布であり,この分布は期待値が0の正規分布をy軸(x=0)で折り返した分布になっている.また,自由度2のχ分布がレイリー分布,自由度3のχ分布がマクスウェル分布と命名されていることは前述したとおりである.
 
 量子系のエネルギー準位間に強い反発が生じると,エネルギー準位の最近接間隔分布はウィグナー分布に一致する.一方,可積分系では準位間の反発がなく,ポアソン分布
  p(s)=exp(-s)
にしたがう.近可積分系のときには,ウィグナー分布とポアソン分布の中間をとるのだが,実際,最隣接間隔分布は中間の分布になることが多いという.
 
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 ここではエネルギー準位の最隣接間隔分布について述べたが,ウィグナー分布は,対称行列の固有値分布に登場する分布である.
 
 n次の対称行列Hの固有値はすべて実数であり,それらを並べて,
  λ1≦λ2≦・・・≦λn
とするとき,n→∞のときの挙動,すなわち,固有値の漸近分布を調べたいのであるが,1958年,ウィグナーは,n→∞のとき
  a√n≦λ≦b√nなる固有値の数/n → ∫(a,b)φ(t)dt
     ここで,φ(t)=1/2πm^2√(4m^2-t^2)
が成り立つことを証明した.
 
 分布関数φをもつ分布を「ウィグナー分布」といい,そのグラフは半円で与えられるからこの定理を「半円則」ともいうのだが,ウィグナーの半円則は近年大いに発展したランダム行列の原型となっている.
 
 ところで,数論における楕円曲線のヴェイユ・ゼータに関する佐藤(幹夫)予想と,対称行列の固有値分布に関するウィグナーの半円則は,一方は物理学,他方は数論に関係していて出所はまったく異なる.にも関わらず,佐藤予想
  偏角が[a,b]となる素数密度 → 2/π∫(a,b)sin^2θdθ
ここで,t=cosθとおけば,
  偏角が[a,b]となる素数密度 → 2/π∫(α,β)√(1-t^2)dt
となるから,これも1種の半円則である.
 
 乱歩の確率論ではレヴィの「逆正弦則」というものもあるが,レイリー分布や1次元酔歩の再帰確率に関する母関数:(1-t^2)^(-1/2),2次元酔歩の母関数は楕円積分:2/πK(t)など,ここに掲げたφ(t)=2/π√(1-t^2)の類似物も登場する.したがって,ウィグナーの半円則とはまったく関係なくもないと思われるのだが,・・・.→コラム「格子上の確率論(その6)」参照.
 
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【3】音響信号の時間・周波数解析法としてのウィグナー分布
 
 今回のコラムを書くにあたって,インターネットで検索してみたところ,ウィグナー分布に関しては,τだけ離れた解析信号s(t)の相関係数を求めて,この相関係数をフーリエ変換した時間と周波数の2次元関数
  W(t,ω)=1/2π∫(-∞,∞)s~(t-τ/2)s(t+τ/2)exp(-iτω)dτ
として紹介しているものが圧倒的であった.
 
 説明によると,ウィグナー分布は,1932年,量子力学の分野で紹介された関数であり,量子論的には位置と運動量の同時確率分布で,不確定性原理に対応する分布であったらしい.本来は信号解析のための道具ではなかったのだが,信号解析の前に大きく立ちはだかっていた不確定性原理の呪縛から逃れるためのフーリエ変換の応用の1つとして,いまでは音響信号の時間・周波数解析に普遍的に用いられているとのことであった.
 
 したがって,固有値問題と関係していることは確かだが,固有値分布の意味で前述したウィグナー分布関数になっているのかどうか疑問である.生兵法は怪我の元,門外漢にとってこれを説明するのは容易ではない.これ以上述べないことにするが,参考図書としてコーエン「時間-周波数解析」朝倉書店を掲げておきたい.
 
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