■ロボットアームとn次元直方体(その1)

 コラム「ロボットアームと6次元楕円体」ではn次元空間における楕円体を扱った.そこではマニピュレータの操作性を楕円体で表現したが,この楕円体ではマニピュレータの能力すべてを表現できているわけではない.
 
 どういうことかというと,この楕円体は関節角速度空間の原点を中心とした半径1の球体のヤコビ行列による速度空間への像であり,この球体がアームの出しうる角速度のすべてではないのであって,実際に出しうる速度空間を考えた場合,可操作性楕円体に外接する多面体になるのである(秋田大学・工学資源学部の佐々木誠先生の談による).
 
 そこで,このシリーズでは3回に分けて,n次元楕円体に外接するn次元直方体を扱うことにした.本題に入る前に,超球と超立方体との相対的関係を理解しておこう.
 
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【1】n次元超立方体
 
 n次元ユークリッド空間において,1辺の長さが1の立方体[-1/2,1/2]^nをn次元単位立方体といいます.その体積は1ですが,もっとも離れた2頂点を結ぶ対角線の長さはn次元ユークリッド空間の距離の定義から
  √(1^2+1^2+・・・+1^2)=√n
となります.したがって,次元nが大きくなると対角線の長さはどんどん大きくなり,身長170cmの人間はおろか,ついには地球でさえ含むことができるようになります.
 
 辺の長さが4の正方形に4つの単位円板を詰めると,4つの円板で囲まれた部分に,第5の小さな円を入れることができます.また,辺の長さが4の立方体の8つのカドに単位球を8個詰めると,中にできる隙間に第9の小さな球を入れることができます.ピタゴラスの定理によって第5の円,第9の球の半径はそれぞれ√2−1,√3−1だとわかります.
 
 これと同じことを4次元以上の空間で行うことができます.もはやイメージすることは不可能ですが,1辺の長さが4の4次元超立方体の16個のカドに16個の単位球を詰めると,中の隙間には半径√4−1=1の4次元超球(すなわち単位球)が入ります.同様に,1辺の長さが4のn次元超立方体の2^n個のカドに単位球を詰めると,中の隙間に半径√n−1のn次元超球が詰められるのです.
 
 しかし,ここの驚きが潜んでいます.たとえば,n=9の場合,中に詰められるn次元超球の半径は√9−1=2であり,この球は外側の立方体の表面に接してしまい,n>9だとはみ出してしまうのです.この驚くべき結論は,日常生活ではありえないだけに面食らってしまいます.
 
 次元とともにはみ出る部分が増えているのですが,球の詰め込みに関するこのはみ出し現象は,モーザーのパラドックスとして知られているものです.この逆説は,人間の直観や勘は3次元までの世界では働きますが,4次元以上の高次元についてはあまり働かないという例として,しばしば引き合いに出されます.
 
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【2】n次元超球
 
 球に相当するn次元の図形を超球と呼びます.n次元単位超球{x1^2+x2^2+・・・+xn^2≦1}の体積をVnとすると,V1=2(直径),V2=π(面積),V3=4π/3(体積)はご存知でしょう.n次元単位球はどんなに次元が高くても,長さが2より大きな線分を含むことはできません.
 
 したがって,n=2,3,4では単位立方体(対角線の長さ√n)は単位球体の中に含まれますが,n≧5でははみ出る部分があり,次元とともにはみ出る部分が増えていきます.単位球体の直径は次元によらず2なのです.
 
 n次元単位超球の体積Vn,その表面積を表面積Sn-1とすると,単位超球の表面積Sn-1はnVn,半径rのn次元球の体積はVnr^n,表面積はnVnr^(n-1)となります.n次元単位超球の体積Vnを求めてみると,
  Vn=π^(n/2)/Γ(n/2+1)
を得ることができます.また,Γ(m+1)=m!より,この結果は,形式的に
  Vn=π^(n/2)/(n/2)!
と書くことができます.
 
 Vn-1がわかれば,Vnは漸化式:
  Vn/Vn-1=Γ(1/2)Γ{(n+1)/2}/Γ(n/2+1)=B(1/2,(n+1)/2)
によって求めることができますが,この計算は面倒ですから,Vn-2との漸化式
  Vn/Vn-2=2π/n
を用いると任意のnに対して
  nが奇数であれば,Vn=2(2π)^((n-1)/2)/n!!
  nが偶数であれば,Vn=(2π)^(n/2)/n!!
とも書けることも理解されます.1次元から6次元までを具体的に書けば,
  Vn=2,π,4π/3,π^2/2,8π^2/15,π^3/6
という具合に,πのべき乗は偶数次元になるたびに1つあがります.
 
 そして,n→∞のとき,
  Vn/Vn-2=2π/n→0
  Sn-1/Sn-3=nVn/(n-2)Vn-2=2π/(n-2)→0
ですから,不思議なことに,単位球面の体積や表面積はn→∞のとき0に収束するのです.
 
 nが整数のとき,実際にVnの値を計算してみると,1次元から14次元までの具体的数字は次の通りです.
 
     n    Vn      n    Vn
     1   2        8   4.06
     2   3.14      9   3.30
     3   4.19      10   2.55
     4   4.93      11   1.88
     5   5.263      12   1.36
     6   5.167      13   0.91
     7   4.72      14   0.60
 
 このように,超球の体積はn=5のとき最大8π^2/15=5.2637・・・となり,以後は次元とともにどんどん減少します.次元を整数に限らなければ5.256次元で最大となり,そのときの体積は5.277・・・となります.幾何学では5,6次元を境にして本質的に様子が変わっていることが少なくないのですが,このことはその原因の一端をほのめかしていると考えられます.
 
 また,このことから,n次元超立方体[-1,1]^n(体積2^n)において,単位超球が占める比率:
  Vn/2^n
は,n=2であればπ/4(79%)であるが,n=5のときは16%に下落し,n=10となると0.25%になることも理解されます.
 
     n   Vn/2^n     n   Vn/2^n
     1   1         6   0.08   
     2   0.79        7   0.04   
     3   0.52        8   0.02   
     4   0.31        9   0.006   
     5   0.16        10   0.0025  
 
 ここで重要なのは,単位超球を超立方体中に置くと,次元が大きくなるにつれて隙間がより大きくなる点です.したがって,高次元において超立方体内に一様分布する標本を考えるとき,低次元の場合とは対照的に,大部分のデータは超球外に位置することになります.
 
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【3】n次元の球と立方体の断面の体積
 
 n次元単位立方体を中心を通るn次元超平面で切ったとき,その切り口の体積(断面積)Vは,
  1≦V≦√2
であることが,ボールによって証明されています(1986年).
 
 一方,半径rのn次元超球の体積はVnr^nですから,体積を1とするrの値はVn^(-1/n)で与えられます.また,n次元超球の中心を通る超平面による切り口は(n−1)次元超球であり,その体積はVn-1r^(n-1)で表されますから,体積が1の超球の切り口の体積は
  Vn-1・Vn^(1/n-1)
となります.
 
 ここで,
  An=Vn-1・Vn^(1/n-1)
とおくと,n→∞のとき,
  An → √e=1.6487・・・
に収束することが確かめられます.→コラム「高次元の球と立方体の断面積」参照
 
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【4】n次元の球と立方体の投影面積比
 
 次に,n次元単位超球に外接するn次元超立方体[-1,1]^n(体積2^n)を2次元平面上に直投影した際の面積比について考えてみましょう.
 
 半径1の円に外接する1辺の長さが2の正方形を2次元に投影すると,楕円に外接する平行四辺形となります.したがって,投影方向に関わらず,その面積比はπ:4です.
 
 また,半径1の球に外接する1辺の長さが2の立方体を平面に投影すると,楕円体に外接する平行六面体となりますが,面積比が最大となるのは,2次元同様,影の形が円に外接する正方形となるときで,その面積比は
  π:4
です.
 
 一方,面積比が最小となるのは1本の対角線が投影平面に垂直,もう1本の対角線が投影平面と平行になるときで,そのとき,立方体は対角線の長さが2√3の正6角形の形に投影され,この正6角形は半径√3の円に内接しますから,その面積は
  3^2sin(π/3)=9/2
球はその等方性により投影面積はπですから,両者の比は
  π:9/2
になります.
 
 2次元・3次元での問題は,4次元の場合あるいは考察をもっと高次元化していくこともできます.n次元立方体を2次元平面に直投影すると,半径√nの円に内接する正2n角形となりますから,その最小投影面積比は
  π:n^2sin(π/n)
で与えられます.
 
 n→∞のとき,
  sin(π/n)→π/n
ですから,投影面積比の最小値は
  π:n^2sin(π/n)≒π:nπ=1:n
となることもわかります.
 
n   π/n^2sin(π/n)  n   π/n^2sin(π/n)
2   0.785           9   0.113
3   0.403           10   0.102
4   0.278           11   0.092
5   0.214           12   0.084
6   0.175           13   0.078
7   0.148           14   0.072
8   0.128           15   0.067
 
 結局,求める面積比は
  π:n^2sin(π/n) 〜 π:4
で与えられますが,この上限と下限には大きな差があります.しかし,次元が高くなるにつれて,ある対角線が平面に垂直,別の対角線が平面と平行に投影される確率は大きくなりますから,投影面積比はπ:4よりも,
  π:n^2sin(π/n) 〜 1:n
に近づくことが直観されるところです.積分に自信のある方は,厳密な平均値を求められてみては如何でしょうか.
 
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【5】余白
 
 |ω|≦1をn次元球の表現とすると,それに外接するn次元立方体は|ωi|≦1で表されます.
 
 次元が高くなるほど,n次元立方体に占めるn次元球の割合が減少してくることは本コラムでも再三再四取り上げてきているので,数学的に目新しい話はありません.6次元球の例でいえば,6次元立方体:6次元球=2^6:π^3/6と大きな差があります.それを2次元に投影した場合は約6:1となって差は小さくなりますが,それでも両者の差は埋められません.
 
 ところで,コラム「ロボットアームと6次元楕円体」で紹介した秋田大学・工学資源学部の佐々木誠先生の最近のご研究によれば,楕円の示す操作性が人の運動特性をほぼ表現できているという統計学的適合性が得られたとのことでした.
 
 生体データとの整合性に関するこの結果は,筋・骨格系も含めて人の関節が球体に近い構造で近似できるためと推察されますが,佐々木先生の研究は確率楕円を生体データに適合させることの意味づけを行ったもので,統計学的観点からは,楕円もそれなりの利点をもっているというわけです.
 
 最大操作力方向はともかくとしても,速度空間を論ずる上で,n次元立方体の方が厳密であることは確かであって,その点がロボット工学の観点からみた多面体の強みになっています.一方,生体データとの整合性などを重視するならば,n次元球(楕円体)にも捨てがたいものがあるのです.
 
 まったくの素人・門外漢でありながら,多面体のロボット工学の観点からみた強み,楕円体の生体工学からみた強みを比較してきましたが,以上のことさえ認識しておけば,工学応用上,両者に大差はないものと思われます.最も強調したい点は球と立方体の優劣ではなく,研究対象に合わせて適材適所,両者を使い分けていけばよいということなのです.
 
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