■リー群とリー代数(その1)

 自然界の法則,とりわけ連続性と考えられてきた自然の深層構造については,物質の不連続性(原子),電気の不連続性(電気素量e),エネルギーの不連続性(hν)という自然の秘密・究極構造は長い歴史の中で次第に暴かれてきました.近年,物質の量子化はクォークへと達し,それに伴って電気素量についても1/3eのオーダーの話に至っています.
 
 かなり前のことになるのですが,初めてクォークに関する本を読んだとき,8種類の素粒子を六角形のパターン上に配置した図に眼を奪われた記憶があります.そのときはまったく理解できなかったのですが,それがかの有名な「八道説」のダイアグラムであり,この六角形はA2型のルート系とまったく同じものです.
 
 このような対称性はSU(3)のリー代数として定義されるものです.そしてSU(3)の8次元表現の基底に対応させることによって対称性を論じる方法をゲルマンとネーマンの八道説といいます.1961年,八道説が発表された当時にはまだ発見されていない粒子が空席として残されていたのですが,1964年,Ω-粒子の存在が確認されたことによってダイアグラムの空席は埋められ,予言は見事に的中しました.それ以来,リー群の理論は物理学者とくに素粒子論研究者の不可欠の道具になっています.
 
 物理の世界では,空間の構造の対称性を表すのにリー群がよく使われます.リー群は様々な現象の対称性を記述するための道具といっても差し支えないのですが,現在,リー群・リー代数は,素粒子物理学のゲージ理論,大統一理論において根本的な役割を果たしています.
 
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【1】リー群
 
 実数や複素数,行列は群の例であって,たとえば,R^nはベクトルの加法により可換群となり,行列は乗法のもとで非可換群をなします.n次の正方行列GL(n)の場合について述べると,GL(n)は行列の乗法のもとで群をなすわけであって,n次一般線形群と呼ばれます.
 
 リー群はノルウェーの数学者リーにちなんでこの名前がある特別な群であって,もともとは多様体の無限小近傍の線形近似(連続群)として考えられたものです.たとえば,絶対値1の複素数
  exp(iθ)=cosθ+isinθ
は積を算法としてリー群(パラメータθを連続的に変化させることによって,無限に多くの要素を含んでいる群)となります.その意味で,Xを行列として
  exp(iαX)
の形に書くことができるものがリー群なのです.
 
 ところで,古典型リー群には
  特殊線形群:SL(n)={X|det(X)=1}
  直交群:O(n)={X|X’X=En}
  斜交群:Sp(m)={X|X’JmX=Jm}
    Jm =[0, Em]
       [−Em,0]
などが含まれますが,これらの古典線形群以外の古典線形群をすべて包括するのが単純リー群です.
 
 なお,Sp(m)は四元数と密接な関係があり,
  SU(n,K)=SO(n)・・・K=R(実数)
         =SU(n)・・・K=C(複素数)
         =Sp(n)・・・K=H(四元数)
のような関係になっています.→[補]
 
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【2】リー代数(リー環)
 
 次に,リー代数(リー環とも呼ばれる)を定義してみましょう.元来は多様体の局所構造から大域構造を探るための幾何学的な道具なのですが,ここでは幾何学的にではなく代数的(抽象的)に定義してみます.
 
 その定義はいくつかの条件が満たされていなければならないので,通常の群よりもずっと複雑になりますが,2つの元X,Yに対して,X+Yという和の他に,[X,Y]という演算を
  [X,Y]=XY−YX
と定義し,交換子積(括弧積,ブラケット積)と呼びます.そして,2つの元の交換子積も元となるもの(交換子で閉じたもの)がリー代数です.
 
 この関係は,ハイゼンベルグの行列力学
  qp−pq=ih/2π
を想起させますが,この定義より
  [X,X]=0
  [Y,X]=−[X,Y]
が成立することがわかります.ベクトルの外積(反対称テンソル)
  [a,b]=a×b
をもつベクトル空間R^3はその例で,ベクトルの外積はSO(3)とSU(2)の両方に群に対応するリー代数となっています.
 
 一般に,行列のかけ算は非可換なので
  [X,Y]=XY−YX≠0
ですが,[X,Y]=0となっているとき,可換リー代数といいます.
 
 まとめますと,リー代数とは[,]と書かれる行列交換子が双線形乗法則
  [aX+bY,Z]=a[X,Y]+b[Y,Z]
  [X,aY+bZ]=a[X,Y]+b[X,Z]
という規則を満たすベクトル空間であって,GL(n,R)の場合はn^2次元のベクトル空間となります.また,リー代数では,3項の巡回置換に対して
  [X,[Y,Z]]+[Y,[Z,X]]+[Z,[X,Y]]=0
が成立します.この美しい式は「ヤコビの恒等式」と呼ばれます.
 
 リー代数の交換子積は群の非可換性を無限小において表すものと考えられるのですが,リー群と1対1に対応しそれによりリー群の大域的な構造をほとんど決定してしまうことになります.このリー群とリー環の驚くべき対応がいわゆるリーの理論(リーの定理)と呼ばれるものです.
 
 なお,結合法則が成り立たない数の体系(非結合的な体)としては,八元数,リー代数,ジョルダン代数の3つが代表的です.
 
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 すべてのリー群にはリー代数が付随します.リー群に対応するリー環はドイツ文字の小文字を用いて表されるのが通例となっているようですが,ここでは通常の小文字で代用します.
  [参]佐藤肇「リー代数入門」裳華房
から,古典型リー代数の例を拾い上げてみましょう.
 
 行列Xの対角成分の和をTr(X)で表すと,n次特殊線形群SL(n)に対応するリー環は
  sl(n)={X|Tr(X)=0}
で定義されます.トレースが0という制限は行列式が1という条件からくるものなのですが,自由度を1だけ減らすため,n^2−1次元のリー代数になります.
 
 また,正方行列Jを1つ固定して
  {X|X’J+JX=0}
と定めます.このとき,J=En(単位行列)とおくと,n次直交群に対応するリー環
  o(n)={X|X’+X=0}
は交代行列(X’=−X)全体のなす群で,次元がn(n−1)/2のn次直交リー代数と呼ばれます.
 
 さらに,単位行列をブロック状・反対称に配した行列
  J=[0, Em]
    [−Em,0]
をとると,
  Sp(m)={X|X’J+JX=0}
はm次シンプレクティックリー代数となります.このときの次元はm^2+mとなります.
 
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【3】クリフォード代数
 
 クリフォード代数とは,反対称交換関係
  [Γi,Γj]=ΓiΓj+ΓjΓi=2δij
満たす行列Γの組のことで,δはクロネッカーのデルタです.
  δij=E(i=j)
    =0(i≠j)
 
 交換子積
  [X,Y]=XY−YX
は行列の積の非可換性を図るためのものなのですが,物理学における超対称性変換はリー環をなさないので,2つの超対称変換の非可換性を図るには交換子でなくて,反交換子を使う必要がでてきます.
 
 クリフォード代数の具体例をあげるために,コラム「因数分解の算法(その2)」から以下の部分を再録してみます.
 
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[1]パウリ行列
 
 行列を使うと円に相当するx^2+y^2が因数分解できたわけですから,さらに行列を使って球に相当するx^2+y^2+z^2も分解してみたい・・・.そして実際に,
  x^2+y^2+z^2
の因数分解を可能にするのが「パウリ行列」です.
 
 パウリ行列は
  σx=[0,1]   σy=[0,−i]   σz=[1, 0]
     [1,0]      [i, 0]      [0,−1]
の3組の2×2行列で与えられるのですが,いずれも2乗すると単位行列になります.
  σx^2=E2,σy^2=E2,σz^2=E2
 
 また,行列のかけ算は非可換なのですが,パウリ行列では,
  σxσy=iσz,σyσx=−iσz
のように符号が逆となり,
  σxσy+σyσx=O(ゼロ行列)
  σxσy−σyσx=2iσz
のような関係が成立します.
 
 ここで,行列
  xσx+yσy+zσz=[   z,x−yi]
             [x+yi,  −z]
を考え,この行列を2乗してみます.すると,
  (xσx+yσy+zσz)^2=[x^2+y^2+z^2,0]
                [0,x^2+y^2+z^2]
  =(x^2+y^2+z^2)E
 
 結局,(x^2+y^2+z^2)Eという行列は,(xσx+yσy+zσz)^2に分解できたことになります.4元数を使わないとできなかった因数分解が,行列を利用すると分解できるトリックは,行列の成分として虚数単位を含んでいるうえに,行列自体にも虚数の働きがあり,普通の数にはない機能を2重に使っているからと考えられます.
 
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[2]ディラック行列
 
 パウリの行列において
  x^2+y^2+z^2=r^2
は3次元空間での球に相当するわけですが,歴史的にはパウリが基本粒子のスピンを数学的に表現するために考案したものです.この考えがヒントになって,ディラックが4次元時空における時間の項を加えた
  x^2+y^2+z^2+t^2
を因数分解するために「ディラック行列」を使いました.
 
  αx=[0,0,0,1]  αy=[0, 0,0,−i]
     [0,0,1,0]     [0, 0,i, 0]
     [0,1,0,0]     [0,−i,0, 0]
     [1,0,0,0]     [i, 0,0, 0]
 
  αz=[0, 0,1, 0]  β=[1,0, 0, 0]
     [0, 0,0,−1]    [0,1, 0, 0]
     [1, 0,0, 0]    [0,0,−1, 0]
     [0,−1,0, 0]    [0,0, 0,−1]
 
 これらの4組の2×2行列をディラック行列と呼ぶのですが,前項と同様に,
  xαx+yαy+zαz+tβ
 =[ t,  0,  z, x−yi]
  [ 0,  t, x+yi,−z ]
  [ z, x−yi,−t, 0  ]
  [x+yi,−z ,0,  −t ]
 
  (xαx+yαy+zαz+tβ)^2
 =[x^2+y^2+z^2+t^2,0,0,0]
  [0,x^2+y^2+z^2+t^2,0,0]
  [0,0,x^2+y^2+z^2+t^2,0]
  [0,0,0,x^2+y^2+z^2+t^2]
 =(x^2+y^2+z^2+t^2)E
という関係が確かめられます.これで,(x^2+y^2+z^2+t^2)Eという行列は,(xαx+yαy+zαz+tβ)^2に分解できることがわかりました.
 
 ちなみに,ディラック行列をパウリ行列で表現すると,
  αx=[0,σx]  αy=[0,σy]  αz=[0,σz]
     [σx,0]     [σy,0]     [σz,0]
 
  β=[E2, 0]
    [0,−E2]
 
  xαx+yαy+zαz+tβ=[tE2, xσx+yσy+zσz]
                [xσx+yσy+zσz,−tE2]
と表すことができます.
 
 このことから
  αx^2=E4,αy^2=E4,αz^2=E4,β^2=E4
 
  αxαy+αyαx=O(ゼロ行列)
  αxαy−αyαx=2i[σz,0]
            [0,σz]
 
  αxβ+βαx=O(ゼロ行列)
  αxβ−βαx=2[0,−σx]
          [σx, 0]
と計算されます.ディラック行列がパウリ行列に一工夫加えた様子を窺い知ることができるでしょう.
 
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 ここで述べたように,パウリ行列を
  σ1=[0,1]   σ2=[0,−i]   σ3=[1, 0]
     [1,0]      [i, 0]      [0,−1]
とすると,
  σiσj+σjσi=2δij
すなわち,
  σxσx+σyσy=2E2(ゼロ行列)
  σxσy+σyσx=O(ゼロ行列)
が確かめられます.
 
 パウリ行列に続いて
  γiγj+γjγi=2δij
を満たすγはn=4で実現しますが,それがディラック行列というわけです.
  αxαx+αyαy=E4
  αxαy+αyαx=O(ゼロ行列)
 
 ディラック行列にはいろいろな記法があって,4行4列のγを2行2列のσを使って
  γ0 =[iE2, 0]   γi =[0,σi]
     [0,−iE2]      [σi,0]
と表したもの,γ0=iγ4と置き換えたもの,あるいは
  β=[E2, 0]   αi =[0,  σi]
    [0,−E2]      [−iσi,0]
  β=−iγ0,αi=γ0γi
と定義して,このαiとβの4つで表したもの等々.
 
 ともあれ,
  ξiξj+ξjξi=2δij
なる関係式があれば,ξはクリフォード代数をなすというわけです.
 
 ここで述べたことはパウリ行列の一般化にほかならないのですが,物理学への応用についていえば,2次元複素空間の任意の基底ベクトル(スピノルと呼ばれる)は電子のスピン状態を記述するのに用いられ,また,クリフォード代数としての取り扱いの中から,スピンが半整数のフェルミ粒子,整数スピンをもつボーズ粒子が導かれています.
 
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[補]複素数と行列
 
 平面の回転行列は
  [cosθ,−sinθ]
  [sinθ, cosθ]
の形に書けます.
 
 ある複素数に虚数単位iをかけると
  zi=(x+yi)i=−y+xi
となり,この操作は90°回転に対応することがわかります.そこで,回転行列にθ=π/2を代入すると
  J=[0,−1]
    [1, 0]
となります.
 
 複素数平面でiが果たす役割と行列Jが果たす役割は等しいのですが,実際にこの行列を2乗すると
  J^2=[1,0]=−E
     [0,1]
となって,虚数のもっている性質を備えていることがわかります.
 
 このことを踏まえると,複素数に対応した行列を導入することができます.
  Z=xE+yJ=[x,−y]
          [y, x]
ここで,
  E=[1,0]   J=[0,−1]
    [0,1]     [1, 0]
 
  Z’=xE−yJ=[ x,y]
           [−y,x]
 
  Z・Z’=[x^2+y^2,0]=(x^2+y^2)E
       [0,x^2+y^2]
ですから,(x^2+y^2)Eという行列が(虚数単位iを陽に用いることなしに)行列Zと行列Z’の積に分解できたことになります.
 
 また,オイラーの公式
  exp(iθ)=cosθ+isinθ
を行列で表現すると
  exp(Jθ)=(cosθ)E+(sinθ)J
         =[cosθ,−sinθ]
          [sinθ, cosθ]
となって,確かに回転行列になっていることがわかります.
 
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[補]4元数と行列
 
 積の交換法則が成り立たない代数として「行列」があります.
  E=[1,0]   J=[0,−1]   J^2=−E
    [0,1]     [1, 0]
とおけば,
  A=[a1,−a2]
    [a2, a1]
  A=a1E+a2J
と表されます.
 
  A=a1E+a2J,B=b1E+b2J
の形の行列全体は加法および乗法に関して閉じています.
  A+B=(a1+b1)E+(a2+b2)J
  AB=(a1b1−a2b2)E+(a1b2+a2b1)J
乗法の可換性は成立しません.すなわち,[1]節では行列による表現を利用して複素数を導入したわけですが,類似の方法で4元数を行列の中に実現させる方法もあります.
 
  E=[1,0,0,0]
    [0,1,0,0]
    [0,0,1,0]
    [0,0,0,1]
 
  i=[0,−1,0, 0]  j=[0, 0,−1,0]
    [1, 0,0, 0]    [0, 0, 0,1]
    [0, 0,0,−1]    [1, 0, 0,0]
    [0, 0,1, 0]    [0,−1, 0,0]
 
  k=[0,0, 0,−1]  A=[a1,−a2,−a3,−a4]
    [0,0,−1, 0]    [a2, a1,−a4, a3]
    [0,1, 0, 0]    [a3, a4, a1,−a2]
    [1,0, 0, 0]    [a4,−a3, a2, a1]
とおけば
  A=a1E+a2i+a3j+a4k
と書くことができます.
 
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 SU(2)を3次元球面:S^3と同一視するとき,
  a+bi+cj+dk → [ a+bi c+di]
               [−c+di a−bi]
 
  a=[ a1+a2i,a3+a4i]
    [−a3+a4i,a1−a2i]
  Aa=[ x1’+x2’i,x3’+x4’i]
     [−x3’+x4’i,x1’−x2’i]
とすると,R^4での1次変換は
  x1’=a1x1−a2x2−a3x3−a4x4
  x2’=a2x1+a1x2−a4x3+a3x4
  x3’=a3x1+a4x2+a1x3−a2x4
  x4’=a4x1−a3x2+a4x3+a1x4
となりますから,R^4の標準基底による行列表示は
  A=[a1,−a2,−a3,−a4]
    [a2, a1,−a4, a3]
    [a3, a4, a1,−a2]
    [a4,−a3, a2, a1]
 
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 以上のように,ハミルトンの4元数をSU(2)行列の一部だと考えて,
  a+bi+cj+dk → [ a+bi c+di]
               [−c+di a−bi]
のように,4元数と2×2行列を対応させると,4元数の演算はそのまま行列の演算に移行します.さらに,c=d=0の場合を考えると,複素数も行列とみなせるというわけです.
 
 この体系では,4元数同様,
  i^2=−E,j^2=−E,k^2=−E,
  ij=k,jk=i,ki=j,
  ji=−k,kj=−i,ik=−j
なる性質をもっていて,加法および乗法に関して閉じています.また,乗法の可換性は成立しません.
 
 この体系を用いると,
  (x^2+y^2+z^2)E=−(xi+yj+zk)^2
  (x^2+y^2+z^2+w^2)E=(x+yi+zj+wk)(x−yi−zj−wk)
のように,虚数単位iを陽に用いることなしに2つの行列の積に分解できますが,それでは4元数そのままであって,虚数単位iを使ったパウリ行列やディラック行列よりも面白味に欠けるかもしれません.
 
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