■鉄砲と金平糖

 
 先日,出張の車中の暇つぶしにと戸田盛和先生のエッセイ「おもちゃと金米糖」岩波書店を読んでみたのだが,退屈する間もなく目的地に到着してしまった.
 
 戸田先生は「天災は忘れた頃にやって来る」の物理学者,寺田寅彦の親戚にあたられる方で,寺田寅彦のようにいろいろな分野に興味をもって研究されてきた航跡は,仕事の上でも(そして人生の上でも)豊かで好ましい印象を受けた.
 
 レイリーは音響や熱放射のみならず,窒素密度の精密測定によりアルゴンを発見して,これでノーベル賞を獲得したし,マクスウェルは電磁気学や気体分子運動論でけでなく,コマや色などについて面白い実験を行っている.また,アインシュタインには相対論だけでなく,ブラウン運動や光電効果などきわめて多方面の研究がある.昔の大先生のようにすべてのことに精通することなどできないにちがいないが,だからといって,多くのことに興味をもって悪いはずはない.
 
 とくに,レイリーは理論物理でも実験物理でも輝かしい研究をしていて,寅彦はレイリーを非常に尊敬していたらしい.彼らに共通していえるのは,自然現象に対して生き生きとした興味を終生持ち続けたナチュラリストの一面を備えていた科学者であるという点があげられる.
 
 今回のコラムでは,戸田先生のエッセイの中から「鉄砲」と「金平糖」に関する珠玉の随筆を引用させていただき,私なりに解釈し直して,ここに紹介することにしたい.
 
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【1】鉄砲伝来
 
 種子島に鉄砲が伝来した1543年は,西欧では大航海時代,日本では戦国時代,織田信長の治世前であるから,各地で戦乱が起こっていた頃である.
 
 日本人はすぐにまねをして独自に鉄砲(種子島銃)を作るようになったが,教える人もなかったのに,自分で工夫をして火縄銃を作る,すなわち,できたものを示されれば直ちにまねをして作り出せる日本人の才能は,このときも遺憾なく発揮された.鉄砲の普及はめざましく,この軍需産業はあっという間に日本全土を席巻したのである.
 
 伝来の10年後には鉄砲の大量生産を成し遂げ,32年後の長篠の合戦では,織田信長が3000名の射撃兵を配備するほどだったという.鉄砲によって戦争のやり方は大きく変化し,信長,秀吉,家康は鉄砲を活用して天下統一を成し遂げた.大航海時代であったにもかかわらず,日本が西欧の国々に征服されずにすんだのも,その頃の日本の火力が西欧とそれほど違わなかったためという説がある.
 
 何をいいたいのかというと,このときも,日本は西欧から多くの技術を輸入し,やがて日本人の手でそれに似たものを作り出す特技のおかげで,国土は守られたのである.日本では無から有を生ずるような発見は少ないが,それに対して,欧米人の特技はできそうもないものを作り上げることだろう.
 
 ともあれ,銃の渡来という偶然と,銃を製造する日本人の才能がなかったら,桃山時代・徳川時代はあり得なかったかもしれないし,欧米よりも立派で安価なものを作り上げてきた戦後の日本技術の進展を思うと,もし鉄砲伝来後に鎖国がなかったら,日本は当時,銃器の輸出大国となって経済摩擦を引き起こしていたかもしれないのである.
 
 しかし,幕末の頃ともなれば,西欧の火力が鎖国状態にあった日本を圧倒し,日本は開国しなければならなくなった.以後,日本は西欧技術を積極的に採り入れ,富国強兵へと邁進することになる・・・
 
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【2】金平糖伝来
 
 銃に続いて,ポルトガル人はキリスト教布教に力を入れ,九州を中心に信者を急激に増やした.1563年にはポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが来日した.フロイスはその後長く日本に滞在,「日本史」を著しその中で日本人の礼儀正しさ,清潔好きなどを西欧に紹介している.
 
 宣教師が活躍したのは,秀吉がキリシタン迫害を行うまでのほんの数十年間であったが,その間にわが国に(を)ヨーロッパを(に)認識させ,新しい技術,文化,宗教を伝え,日本近代化の出発点を築いたのだった.
 
 1569年,フロイスは信長に謁見したとき,ろうそくとギヤマンの容器に入った金平糖を献上したといわれている.1569年は金平糖伝来の年といってよいわけであるが,金平糖は砂糖を使った菓子を意味するポルトガル語のconfeitos(コンフェイトス)が訛ったもので,英語のconfectionary(菓子製造所)も同源の単語であるらしい.
 
 金平糖の原料である砂糖は754年(奈良時代)に鑑真が中国から日本に伝えたのが初めであって,室町時代には輸入されたが,1610年には奄美大島や琉球で精糖がおこなわれ,そして徳川時代になって1770年代には白糖が,1796年には氷砂糖も作られるようになった.中国では砂糖はヨーロッパよりも早く作られていたのだが,大航海時代,ヨーロッパでも砂糖は相当貴重品であったということである.
 
 フロイスがもたらした金平糖の角のある形は,日本人の興味を著しく惹いたらしい.新奇なものをみるとすぐにまねをして作り上げ,しかも,オリジナルよりも上等のものに発展させるのは日本人の特技である.しかし,金平糖の角を生やすにはどうしたらいいのか,はじめは見当もつかなかったようで,金平糖の製法を発見するまで何十年もかかっている.
 
 つい最近,NHKで老舗の和菓子屋の金平糖製作の様子が放映されていたが,金平糖の断面はケシの種子を芯として,結晶化がよく進んだ比較的透明の層が取り巻き,その外側に白っぽい角の部分がある.砂糖水をかけながら何日もかかって大きな粒に仕上げるのだが,粒の表面に出っ張ったところが偶然できたとすると,そこは砂糖水が付着しやすく,出っ張った部分はへこんだ部分よりも速く成長する.角の生成過程はこのようになっていると考えられている.
 
 面白いことに金平糖の角の数はほぼ一定していて,20〜30個ぐらいであるという.私は人間の胸膜(肋膜)に金平糖にそっくりの結石ができているのを見たことがあるが,その結石の角も同様にしてできあがったものなのだろうか?
 
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【3】寺田寅彦とフラクタル
 
 金平糖のできる過程はひとつの非線形現象なのですが,金平糖や線香花火については,吉村冬彦,薮柑子のペンネームでも知られる寺田寅彦の随筆があり,寺田寅彦はそのなかで,だれもやらない研究の中にこそ重要な問題のあることを強調しているそうです.
 
 尺度変換によって不変な形として,「フラクタル」という概念があります.フラクタルとは,有限の空間に無限の集合がたたみこまれたもので,ロシアのマトリョウシカ人形のように相似形が入れ子構造になっていて,拡大すると自己相似パターンが認められるものを指します.いくらでも小さいスケールで自分自身を再現するパターン,いたるところで微分不可能な連続曲線といったほうがわかりやすいかもしれません.
 
 フラクタル構造の代表例が,ガラスのひび割れ,線香花火の火花の形,雪の結晶,金平糖の角の造形成長パターンなどです.フラクタル構造を解明することによって,たとえば,木のような構造をもつ気管支の形態と機能の生物学的発達が説明できたり,また,銀河は宇宙上に一様に生ずるのではなく,むしろクラスターとして存在していますが,宇宙のフラクタル構造の解明がその起源の理解に導いてくれます.
 
 長い間,物の形は自然科学の対象とはなりえませんでした.それは自然の形が定量化できなかったからにほかなりませんが,しかし,誰もがそのパターン形成のメカニズムを知りたいと考えてきました.
 
 わが国では数多くの随筆を残している文化人としても高名な「天災は忘れた頃にやって来る」の物理学者,寺田寅彦を中心とした研究グループが形態形成にはそれぞれの原因があると考えて形因論を展開し,その先駆的な研究に携わっています.
 
 寺田寅彦はX線結晶学に関して世界に誇れるような仕事をしているのですが,寅彦の研究歴はX線が回折されるパターンに始まり,その後,日常身辺の現象に対しても科学的な考察を施し,芸術と科学の一体化を図っています.
 
 彼の考えは「金平糖の研究」などによく現れていて,氷の割れ方や川の流れ方など一見でたらめな形への関心を示し,今日でいうゆらぎやパターン形成など非線形性現象の草分け的存在になっています.なお,夏目漱石の「我が輩は猫である」の寒月先生,「三四郎」の野々宮さんは彼がモデルとされています.
 
 パターンの形成過程に潜む法則性については彼が育成した研究者,例えば,電気火花やガラスのひび割れパターン,キリンの斑模様については平田森三が,雪片の幾何学(雪の六角結晶像)については中谷宇吉郎が研究を進めました.中谷宇吉郎は「雪は空からの手紙である」という有名な言葉を残していますが,これは雪の結晶を見るとどのような気象条件のところを通過してきたか判断できることを述べたものと思われます.
 
 私には,寺田寅彦や中谷宇吉郎の時代には,時代精神として,すべての科学者にロマンが共有されていたしたように思えて,妙に懐かしく感じられます.ところで,中谷宇吉郎が雪の結晶は天からの手紙という言葉を残してからすでに半世紀の年月が経過していますが,天からの手紙は解読されたといえるでしょうか.科学者たちは今やっと雪片のパターンに含まれるメッセージを解読し,どのようにして雪片が成育するかの理論を構築し始めたばかりです.
 
 水の分子が凝集した雪の結晶化現象はあまりにも複雑な挙動を示し,幾多の撹乱因子も重要な役割を果たしていて,毎回毎回,二度と再現できないような形が現れます.この問題についてのわれわれの理解はようやくその糸口をつかんだばかりで,内容についてはまったくの未解決問題,すなわちほとんど何もわかっていないというのが現状であるといわざるを得ません.
 
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