■不可能の証明

 与えられた条件を満足する図形を作図するのに用具を定規とコンパスに限るのは古代ギリシャ以来の伝統です。定規とコンパスだけで

a)与えられた角を三等分すること(角の3等分問題)

b)立方体の二倍の体積をもつ立方体の一辺を作図すること(立方体倍積問題)

c)円と等積な正方形を作図すること(円の正方形化問題・円積問題)

これらの3つの問題はギリシャの3大作図問題として有名なものですが、実は19世紀になってから作図不能であることが証明されています。

 また、五次方程式が根の公式を使って解けないこと、自明な命題でなくて定理でありそうに思える平行線公理が他の公理から導けないこと、・・・など一般に不可能の証明は難しいことが多いのですが、これらはすべて19世紀の数学の中で解決されたものばかりです。以上の問題の歴史は二千数百年前にさかのぼりますが、これらの問題が代数方程式論的に不可能であることが示されたのは19世紀に至ってからのわずか百数十年前のことなのです。


1.正多角形の作図問題

 定規とコンパスだけで正3角形、正4角形、正6角形、正8角形が作図できることは簡単にわかりますが、辺の数5,7,9の場合はどうでしょうか。正5角形は古代ギリシャにおいて作図可能であることが発見されました。となれば、次に正7角形・正9角形の作図は?と考えるのは自然な成り行きでしょう。ところが、かのアルキメデスでさえも正7角形・正9角形の作図に成功しなかったといわれています。また、内接正多角形の作図は画家であり建築家であるレオナルド・ダ・ヴィンチの関心を惹きました。しかし、彼でさえ近似的な内接正七角形の作図を正確なものと思っていたようです。

 辺数3,4,5,6,8,10,12,15,16の正多角形は作図できますが、辺数7,9,11,13,14の正多角形は作図できないことから、正17角形もそうであろうと推察されます。ところが、1796年、ガウスは19才のときに正17角形の作図を思いつき、のみならず、nが素数の正n角形について、n=22^m+1が素数の場合に限り定規とコンパスだけで作図可能であることを発見しています。

 正7角形も正9角形も作図できないのに、まさか正17角形が作図できるとはと思うのが普通なのでしょうが、このことを用いると、m=0のとき正3角形、m=1のとき正5角形、m=2のとき正17角形となり、作図可能であることがわかります。当然、ずっと面倒になるでしょうが、正257角形(m=3)、正65537角形(m=4)も作図可能です。

 22^m+1の形の素数をフェルマー素数といいます。フェルマー素数はガウスによって1世紀にわたる眠りから覚まされ、数論と幾何学に新たな美しさを吹き込んだことになります。フェルマーはこの型の数がすべて素数だと勘違いしていて必ず素数を与える式として考え出されたのですが、m=5のときは素数ではなく、現在、m=0,1,2,3,4の5個以外にフェルマー素数はみつかっていません。6番目のフェルマー素数の探索がコンピュータを使ってなされていますが、はたして本当に存在するのでしょうか。

 アルキメデスは円柱とそれに内接する球の体積比が3:2であることを発見した記念に、自分の墓の上に円柱の形をした記念碑をおくように遺言したといわれています。アルキメデスと同じように、ガウスは正17角形を墓石に彫るよう遺言しています。このことはガウス自身がその発見をいかに重視したかを物語っています。数々の大発見をしたガウスですが、19才の青年がアルキメデスをもってしてもできなかった古代ギリシア以来2000年の謎を解いたのですから、まさに驚きとしかいいようがありません。この正17角形の作図は彼を本格的に数学の道に入らせるきっかけとなったといわれています。


2.ギリシャの3大作図不能問題

 正方形の対角線を1辺とする正方形の面積は最初の正方形の2倍であることは明白です。したがって、正方形の2倍の面積の正方形を求める作図問題は簡単に解くことができます。そこで、次なる問題は立方体の2倍の体積をもつ立方体を求めることです。別名デロスの神殿問題と呼ばれるこの問題も簡単に解けるに違いないと思ったのでしょうが、1辺の長さが2倍の立方体の体積はもとの立方体の23 倍の体積、立方体の対角線を1辺とする立方体は33/2 倍の体積になってしまい、簡単には求まりません。

 また、角を2等分したり、特殊な角の3等分問題、たとえば、180°,90°,45°などに対しては角を3等分する問題はまったく簡単に解くことができます。直角の倍角、半角ような特殊な角を3等分するのはわけのないことですから、角の3等分問題では任意の角を3等分する作図法を問題にします。

 無限等比級数

1/3=1/22 +1/24 +1/26 +1/28 +・・・

より、角の2等分を無限回繰り返すことによって角の3等分が可能になることが理解されます。しかし、ここでは有限回の操作だけに限ることにして、また、たまたまある角度に対してとかコンコイドやシッソイドなど特殊な曲線を描くための定規は禁じ手とします(→【補】)。

 正多角形の作図は円周等分問題という幾何学問題ですが、xn −1=0という代数方程式の解と密接な関係にあります。正5角形の作図は黄金比と関連していて、2次方程式:x2 −x−1=0を解く、すなわち(浮T+1)/2を求めることによって可能となりました。ギリシャ人は黄金分割を用いた見事な方法で正五角形の作図に成功したのですが、この方法は二次方程式の幾何学的解法を利用した賢明な方法といえます。

 一方、正7角形、正9角形はそれぞれ3次方程式:x3 +x2 −2x−1=0,x3 −3x+1=0に帰着します。また、立方体倍積問題、角の3等分問題、円の正方形化問題(円積問題)のいずれの幾何学的問題も代数方程式に対応していて、たとえば、倍積問題はx3 −2=0,角の3等分問題はx3 −3x−a=0,円積問題はx2 −π=0に帰着します。

 定規とコンパスで描ける図形は直線と円ですから、その作図は線分の長さの加減乗除と平方根をとる操作に相当します。すなわち、定規(直線)とコンパス(円)による作図は、たとえそれらを繰り返し用いたとしても、+,−,×,÷,浮ネる5つの演算によって得られるものに限られています。

 したがって、正7角形、正9角形の作図や倍積問題のように3次方程式に帰着する作図問題は+−×÷浮フ演算を組み合わせても解けません。角の3等分問題は、aの値によっては定規とコンパスのみで3等分できる角が無数にあると同時に、3等分できない角もまた無数にあることを示しています。モーリーの定理「任意の三角形において、各内角の3等分線の隣同士の交点を結んで得られる三角形は正三角形である。」この驚くべき定理が20世紀にいたるまで発見されなかった理由も、角の3等分問題は解けないことが判明していたところにあるのでしょう。また、円積問題は2次方程式に帰着しますが、父ホがコンパスと定規で作図できたとすると、その平方であるπも同様に作図可能ということになります。しかし、πは超越数ですから父ホも超越数なのです。したがって、父ホは代数方程式の解とはなりえず、円積問題も作図不能となるのです。


3.5次方程式の問題

 ガウスが1799年に証明した代数学の基本定理によって、n次方程式はnがどんな値のときでも、複素数の範囲で根の存在は保証されていますが、ここでは、根の公式(根を係数で表す式)の存在について触れることにします。

 2次方程式は紀元前二千年頃のバビロニアで、3次方程式、4次方程式は16世紀になって(1515年〜1540年ころ)それぞれファンタナ(タルタリアというのはどもる人という意味で彼のニックネームだった)、フェラーリによって肯定的に解かれ、根の公式が求められています。フェラーリは次数4の方程式は2次方程式と3次方程式に帰着させることができ、したがって平方根と立方根によって解けることを発見しました。

 そこで、次の問題は5次方程式:ax5 +bx4 +cx3 +dx2 +ex+f=0の代数的解法、すなわち四則演算+,−,×,÷と根号普C 3普C 4普C・・・によって解を求めることでした。いまからほとんど4世紀も昔の問題です。5次方程式の根の公式に対してはオイラーやラグランジュなど多くの数学者が挑戦したのですが、だれ一人として成功しませんでした。ラグランジュは4次方程式と同様の方法を5次方程式に試みて失敗したのですが、じつはこれには正当な理由があり、そもそも不可能な問題であったのです。

 一般に、n次方程式:

n n +an-1n-1 +・・・+ a1 x+a0 =0

に対してx’=x+an-1 /nan と変換するとxn-1 の項が0である方程式に還元できます。ではもっと低次の項の係数を0にできないか?と考えて、チルンハウスとその弟子たちは、一般の5次方程式をx5 +ax+b=0まで還元しました(チルンハウス変換)。ここで、a=0ならば−bの5乗根としてxは求まるのですが、しかし、さらにa=0にしようとすると、6次方程式を解く必要が生じて、問題がかえって難しくなってしまいます。

 結局、19世紀になってから、5次以上の一般代数方程式は代数的に(四則と累乗根によって)解けないことが、二人の若い数学者、アーベルとガロアによって否定的に解かれ、根の公式は存在しないことが証明されています(→【補】)。肺結核に侵され不幸にして夭折した天才アーベル、そして当時の数学界に受け入れられなかった悲劇の天才ガロアはわずか20才の1832年に決闘にたおれたことはあまりにも有名な悲話になっています。


4.平行線の公理

 ユークリッド自身を含め、人々はギリシャ時代からユークリッド幾何の第5公理、すなわち、「直線lと直線外の点Pがあるとき、点Pを通り直線lと交わらない直線はただ一つしかない」をそれ以外の公理を用いて証明しようしました。この公理は複雑で定理のように見えたため、古来、多くの学者がこれを定理として証明しようと試みたのですが、大変困難でその試みはついに成功しませんでした。平行線に溺れるのは性悪女におぼれるようなもの、身の破滅になるという戒めさえあったほどです。

 19世紀にいたって、この公理を別の公理に置き換えて幾何学が成り立つことが証明されました。すなわち非ユークリッド幾何学の誕生です。「平行線は無数に引ける」を公理として作られた新しい幾何学がガウス、ボヤイ、ロバチェフスキーによる双曲幾何学であり、「平行線は一本も引けない」を公理として作られたのがリーマンの楕円幾何学です。いずれも常識では納得できない内容の異端幾何学とみなされましたが、それでもまだ、平行線公理が他の公理から導けないことがは証明されたわけではありませんでした。

 しかし、これもついに1870年、クラインが非ユークリッド幾何学を使って証明し、ギリシャ以来の大問題についに解答が与えられることになったのです。その不可能性の証明はユークリッド幾何学の世界において非ユークリッド幾何学のモデルを作ることが出来るというところにあり、それが存在しうる以上、ユークリッド幾何学を打ち壊すことなくして、非ユークリッド幾何学を打ち壊すことが出来ないという趣向です。ここで、どの幾何学が真であるかなどと問うことは何も意味を有しません。数理哲学者ゲーデルによれば、どんな公理系に対してもその内部で無矛盾性の証明を行うことはできないからです。したがって、ユークリッド幾何学が無矛盾なら、双曲幾何学も楕円幾何学も無矛盾だということになります。


【補】コンコイド・シッソイド

 ギリシア人は新しい数学曲線を見いだして立方体倍積問題や角の3等分問題などを解決しました。60°,30°,15°など任意の角の場合でも、定規とコンパスというプラトンの束縛から離れて、コンコイドやシッソイドという曲線の性質を用いた適当な道具を使えば作図可能となります。

<ニコメデスのコンコイド>

定点Oと定直線gが与えられているとき、Oを通る任意の直線とgとの交点をQとし、この直線上にQから定距離lの点Pをとると、この点Pの軌跡をコンコイドといいます。

極座標ではr=a/cosθ+b

x,y座標で書けば、x=a+bcosθ,y=atanθ+bsinθ

θを消去すると、4次曲線:

(x2 +y2 )(y−a)2 =b22

(x−a)2 (x2 +y2 )=l22

で表されます。なお、直線に関するコンコイドがニコメデスのコンコイドであって、円の関するコンコイドがリマソンであり、カーディオイドはその特殊な場合となっています。

<ディオクレスのシッソイド>

r=a/cosθ−acosθ

x=asin2 θ,y=asin2 θ・tanθ

θを消去すると3次曲線:x(x2 +y2)=ay2

が得られます。

【補】5次方程式を解く方法

 5次以上の一般代数方程式は代数的に解けないのですが、だからといって数値解法以外に手段がないわけではありません。1860年頃、ブリオスキ、エルミートらは超越関数である楕円関数の5等分値を使って、また、1870年代のクラインの研究は、正20面体を複素球面に内接させ、頂点、各面の中心、各辺の中点の座標の関係(正20面体方程式)を任意の5次方程式に還元させて、一般の5次方程式と特殊な6次方程式を解くのに成功しています。