■ある学会にて(野田山かわらばんに寄せて)

 とある学会で、既成の学説を破る新説なり新理論なりが発表されたときの風景である。

1)一瞬、学会場はどよめきの渦に包まれ騒然となる。しかし、講演者はマイナーな学者であり、しかも、非常に話し下手ときている。したがって、参加者の多くは半信半疑の眼で見ている。予想に反し、賛同者は少ないのである。

2)このような演者は学界の権威主義に押しつぶされまいとする個性豊かな人物であることが多い。そのため、妥協を許さぬきびしさで頑強に自説を守りぬこうとする。いま少し柔軟性があればよいのだが、・・・

3)そして、いささか生臭い討論が始まる。学界の権威主義的な体質はいずことて同じなのであろうが、演者には一流の業績を残し大きな影響力をもっている大御所とその取りまき連中からの集中砲火が浴びせられる。ときには、感情的でなりふり構わぬ論争となることもある。

 多少誇張して書いたが、あながちフィクションでもない。たとえば、遺伝の法則を導いたメンデルは終生報われることがなかった。彼は思い悩み、そしてこうつぶやいた。"Mein Zeit wird schoen kommen!"

 当初、賛同者が少なくほとんど顧みられることがなかったメンデルの遺伝学説は、後年その正しさが認められ受け入れられることになった。死後しばらくしてのことである。もし、彼が生きているうちに賞をもらうことになっていたら、開口一番「賞をくれるのが遅すぎる」というであろう。

 メンデルの嘆きが聞こえてきそうな挫折物語であるが、視点を変えてみると、歴史の裏には、彼に先取権(プライオリティー)を先行された幾人かの学者がいて、彼らの失意と落胆は筆舌につくしがたいものであったことが想像される。理論の歴史は弱肉強食・死屍累々であって、多くの試みの中から少数だけが生き残る宿命なのである。

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 つい最近、私もこれに似た経験をした。ただし、新発見とはいっても、誰でも思いつきそうなもの(コロンブスのタマゴ)であって、これまでたまたま見逃されてきたことを発見したという点、学会場はざわつくどころか、水をうったように静まりかえってしまったという点が、メンデルの場合とは大きく異なっているのだが、・・・。  私の体験談を綴ってみたい。

 現在の数理統計では、データの母集団分布は正規分布であることが暗黙の前提となっている。ところが、実際にデータ解析を行ってみると正規分布しないこともしばしば経験される。一方において、非正規分布に関する理論的な構築は非常に手薄であり、非正規分布に対しても、正規分布に適用される方法が適用限界を無視して無批判に使われているというのが現状である。

 これまで、非正規分布を理論的に正確に扱うことはきわめて困難であるとみなされてきた。すなわち、非正規分布に対しては、アート(技巧)はあってもセオリー(一般的理論)がなく、勘や経験や個々の問題の性質に負っていて、端的にいって決定打はなかった。いまある正規分布至上主義の統計理論が開発された当時は、精度のよい計算法がないため、そこから具体的な見通しを得ることは難しかったからである。

 ところが、コンピュータの出現で事情は一変した。私は最尤法(サイユウホウ)という数学的手段を用いて、その壁に挑むことにした。専門外の人にとって、最尤法という統計用語自体がすでに馴染みが薄いと思われるが、「尤」はモットモの意であり、最尤法は最も尤もらしい推定量をコンピュータを用いて計算する方法だと考えてほしい。

 私はその過程でしばしばつまづき、壁は簡単には崩せそうになく思えた。これは研究者なら誰でも経験することであろう。大抵のアイデアはそこで棚上げになるのだが、幸運にもうまくいく理論を発見できた。執念が実ったところで、それを「最尤法によるアプローチ」という題で学会発表することにした。

 このアプローチにより多くの利点が得られるのだが、短時間の学会発表では、もとより共感は期待できない。非正規分布を扱ううえで直截簡明と思われるこの理論も、発表後直ちに多くの人に支持されるという状況にはなかった。説明が速い拙いということもあったのであろうが、場内がシーンと沈黙してしまったのである。

 気まずい沈黙ののち、まず、わざわざこのような新しい方法を考える必要があるのかという大きな変化が試みられる際には必ず出る意見があった。それに、これまで以上に新しい結果をここから導くことは果たして可能なのかという疑問もあった。

 紙面を借りて回答しておくが、最尤法によるアプローチは、コンピュータを駆使して非正規分布に対する数学的推量の改良と洗練を目指したもので、これまで不可能であった非正規母集団の推測と検定が可能になる。いまだ若く未完成の部分も多いのだが、その適用範囲の広さには測り知れないものがある。旧来のやり方を踏襲している保守的な人々もやがてこの方式を受け入れてくれるものと気長に構え、本人は意外にも楽観視しているのである。

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 何年か前までは病理学なる学問を人一倍こつこつと勉強していた男が、それに飽きたらず、実際のデータ解析を通じてふと思いついた種を育むうちに、数学ことに数理統計に魅せられて、学術雑誌に論文を公表したり、とうとう単行書まで上梓するに至った。がんセンターの研究所に籍を置いてからも、コンピュータ上で実験可能な統計理論の応用ということを日々の研究課題としている。電子メールやホームページを利用したQ&Aにも取り組んでいるが、もちろん、注文に応じて問題解決の手助けをするだけでは物足りない。頭をひねってあれこれの理論をあみだし、具体的な公式を提示し伝えることこそが、自分に課せられた使命であり天職だと考えているこのごろである。