■ダイヤモンドと多面体

 
 たとえば,カメラのレンズを設計することを考えてみよう.カメラは単レンズではなく複合レンズになっているので,収差を求めるためには,何枚ものレンズの中を屈折しながら進んでいく1000〜2000本もの光線を5〜6桁の精度で追跡して計算をしなくてはならない.非球面レンズの場合は曲面の高精度計算が必要となることもあろう.カメラレンズの設計には複雑な計算が大量に必要になり,コンピュータでなければこのような計算は到底困難であろうと思われる.
 
 ダイヤモンドではどうだろうか? ダイヤモンドの4C(カラット,カラー,クラリティー,カット)というのを聞いたことがあるが,カットの仕方によってカラーとクラリティーが違ってくるはずである.光の屈折と反射の具合は,含有されている夾雑金属元素にもよるのであろうが,多面体の形によっても決定されるのである.
 
 このことに関連して,職場の同僚O氏から面白い記事を紹介してもらった.仙台在住の建築家がピンクでもブルーでも思い通りのカラーを出せるカット法を考案したというものである.そんな話は聞いたことがなかったので半信半疑であったが,テレビ,新聞,雑誌等々でたびたび取り上げられているという.
 
 私にはなぜ建築家がという思いと同時に,逆に,建築家でなければこのようなダイヤモンド設計・製造はできまいとも思った.私の知る限り,多面体ましてや3次元多面体のことを研究している数学家は絶無といってよい.時代遅れと見なされるからである.
 
 ところが,3次元多面体のなかに,商売ネタに結びつくようなダイヤの原石が眠っていたのである.今回のコラムではこの記事をはなしの枕にしてみたい.
 
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 ネット検索から得られた情報をまとめると,
 
 1)従来のダイヤモンドのブリリアンカット(58面)は,1919年(大正8年),数学者であるトルコフスキーが数学の代数を駆使して設計したものであるが,1998年,建築家でありトポロジーの研究者である首藤尚丈氏が,86面あるいは114面からなる新しいカット法を考案した.
 
 2)面数が増えた分,精密加工が要求されるが,両者の特性の一番の違いは輝きであるブリリアンシーとシンチレーションにあって,新型カットはブリリアンカットの2倍以上輝く.
 
 ここまでは当たり前であって,研磨で削られる分,カラットを犠牲にせざるを得ないだけ,もったいない気がするが,驚くべき特性は以下の点にある.
 
 3)ブリリアンカットがダイヤに入射した光を直線的に全反射するのに対して,新型カットでは,らせん状に回転して戻る構造をもっている.そのため,その反射角によるプリズム効果を利用して輝く色を自在にコントロールできる.
 
 4)86面のものはグリーン・ブルー・バイオレットに,114面のものはゴールドに輝くが,カットによりピンクやオレンジに輝くダイヤモンドなども作れる.また,サクラやダリアのような花びらの形が浮かび上がったり,十字架文様が現れたりする.
 
 5)緑のダイヤモンドでは,レーザーを利用したガン治療など医学応用の可能性も考えられている.
 
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 日頃,高次元幾何学をかじっている私にとって,一番気になったのは,新型ダイヤカットの商業的価値とか,実用上の可能性とかではなく,「ブリリアントカットは代数学的に考えられたものであるが,新型カットは幾何学的に構成されたものである.」という下りである.
 
 記事で読んだだけなので誤解があるかもしれないのだが,新型ダイヤカットは,カメラレンズのようにコンピュータを使って複雑な計算や数式解析を行ったものではなく,造形はかくあらねばならぬという独自の設計哲学,美意識に基づいていると思われる点である.それは「神聖幾何学」の定説と言い換えることもできるだろう.
 
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 「数秘術」という語がある.多分に神秘的な思想から導かれた数値の間の関連を扱う分野で,7は「幸運数」であるというのも数秘術に由来するものと思われる.しかし,根拠のわからない例も多く,たとえば,1918と1945は「平和の数」であって,大戦が終了する年であるという話を聞いたことがある.その根拠は明確ではなく,しばしば「占数術」とでもいうべき迷信にもなるのだが,科学の歴史を振り返ると,のちに大発見の端緒となった数秘術の例は少なくない.
 
 惑星の周期が平均距離の3/2乗に比例するというケプラーの第3法則,水素のスペクトル線のバルマー系列の公式,惑星の距離に関するボーデの法則などがその例である.
 
 「神聖幾何学」とは数秘術の幾何学版であって,東洋のマンダラや西洋のピラミッドにπ(円周率)やφ(黄金比)が現れるとか,一種の宇宙観を研究する分野である.多くの通俗疑似科学書でも取り上げられる神々のメッセージの刻印(造形神話的なもの)であるが,私はそのような分野を批判するつもりはない.
 
 なぜなら,正多面体は,ピタゴラス学派には神秘的完全性の象徴のように見え,ギリシャの自然哲学者はこれらを5元素と対応させているわけだし,ケプラーの宇宙論において,正多面体は惑星の数や相互の距離を決めるものでもあったからである.→【補】
 
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 ニュートンは1666年,光の分散という大発見,すなわち,太陽光線がガラスのプリズムを通ると屈折率の差によって赤から紫に至るたくさんの成分に分けられることを発見した.太陽光線は一見白色であるが,異なった光の混合物であるということは小学校の理科の教科書にも取り上げられている.ニュートン以前には白色光こそが基本的なものと考えられていたから,そういう意味で,ニュートンの発見は従来の仮説を根底から覆す画期的なものであったと思われる.
 
 ところが,虹には7色あるというニュートンの主張は光学的判断に基づくもの(実験によって客観的に決定されたもの)ではなく,音階理論との間の連想から導かれたもの,すなわち,スペクトルを7つの光帯にわけたのは,ドレミファソラシの7音階に対応するようにということであって,5つの主要な色にあとから藍色と橙色を加えてつじつまを合わせたのである.こうすれば,7つの音に7色の色,これは本当にうまく調和しているように見える.「7色の虹」と呼ばれるが,実際には,5色くらいに見えるという人が多いのではなかろうか?
 
 しかし,ニュートンによるスペクトルの発見当時の科学水準はどうであっただろうかという点を考慮すると,ニュートンの考え(神秘思想)を非科学的なこじつけということはけっして的を射ていないように思われる.ニュートンの時代,科学と神学の分離は完全ではなかったのだが,いかに天才といえども,自分が生きた時代や社会から完全に自由になることなどできるはずがないからである.
 
 現代を基準にするのではなく,彼の生きた時代に視点を置いてその業績を捉えてみると,ニュートンは17世紀のピタゴラス・プラトン主義者といってもよく,世界は数学的なハーモニーに従っていると確信していたケプラー同様,ニュートンもこの世の調和の研究に生涯を捧げたのである.→コラム「ニュートンの光と色の学説(科学と魔術の狭間にて)」参照
 
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 首藤尚丈氏はピラミッドの研究家ということであるが,ピラミッドを研究するきっかけは,ダ・ヴィンチが描いたビトルビス図(裸体が正方形と円を背に立っている美術史を通じて良く知られた画像)で,ピラミッドパワーの構造を幾何学的に解いたところ,シュトーレン多面体が現れたことに始まるという.
 
 シュトーレン多面体とは耳新しい用語であるが,おそらく考案者・首藤氏の名前に由来する造語である.シュトーレン多面体の模型を見ると,いくつかの多面体が頂点で接合されている1種の穴あき多面体となっている.したがって,オイラーの多面体定理
  v−e+f=2
はあてはまらず,その代わりに,
  v−e+f=2n (2^n?)
を満たす3.5次元多面体であると説明されている.
 
 この頂点だけで接合されている非常に不安定そうに見える立体は,地上では不安定であり,無重力場を条件として合成される.このことは雪の結晶が地上では平面(6角形)となるが,宇宙では立体的になることに似ているわけであるが,異才バックミンスター・フラーに因む「フラーレン」(C60:超伝導性を示し,ダイヤモンドより硬い)をもじって,この立体を「シュトーレン」と命名したようだ.→【補】
 
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 首藤氏の定説とは,シュトーレン多面体のことであった.この定説からは科学というよりも魔術的なもの,胡散臭さが感じられなくもないが,私はその真偽はともかくとして,氏の発想,独創性は高く評価したいと思う.
 
 また,驚いたことに,氏にとって新型のダイヤカットは彼の宇宙理論を証明するための必要性から必然的に導き出されたものであって,決して偶然の産物ではないという.
 
 さらに,もう一歩改良を進めて,透明なダイヤの石がもし赤色光のみを反射させることができたらものすごいことである.日本人による発明としては,青色発光ダイオードの発明をも凌ぐ世界的大発明となろう.
 
 私と首藤氏とはまったく面識はないのだが,彼のことを「内心の命令に忠実に,おもしろいことがあるとなりふり構わずどんどんそっちに行っちゃう」というような,こよなく自然科学を愛し,サイエンティストという呼び名がふさわしい研究者だと想像している.今後も独創的なインスピレーションと創造的な活躍を期待する次第である.
 
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【あとがき】
 
 私の友人に後藤邦彦博士(シカゴ・ノースウェスト大学教授)がいる.コラム「偉大なるサイエンティストの流出」で紹介した,通称ドクターGである.日本の大学という研究環境下では,研究の独創性や創造性が評価の対象とされることはほとんどないといってもよいのであるが,逆に,革新的なアイデアをもっている人は独創的で平均からはずれているがゆえに,変わり者あるいは一種のマッドサイエンティストとみなされることが往々にしてある.
 
 研究者としてのドクターGの一行一動に対しては,毀誉褒貶さまざまである.どちらかといえば賞賛よりも批判の方が多いと思われるが,常識的には考えられないことにも取り組む研究者であるから蔑視もされるし,場合によっては屍した後ですら難じられることだってあるかもしれない.ともかく,イカサマ師とも呼ばれペテン師とももくされたドクターGの理論的研究は,国内で認められずなかった代わりに,海外で受け入れられることになった.
 
 わが国では既存の知識を能率よく取り入れできる秀才が尊重される.そのような秀才は既存の知識の基づいて実験計画を立てるので,失敗の可能性は低く,そうなると確実に成果が得られるので,研究は一見活発に見える.このような最も安全確実な道(本や論文の知識に追従した研究)はわが国では高く評価されるのだが,それは平均レベルの向上には役立っても,突出した研究の芽を確実につみとることになる.わが国では実験補助員のような研究者しか育てることはできないといわれているのも,そうした事情があるからなのである.
 
 いうまでもなく,既存の知識から結果を予測しやすい実験ほど面白さは少なく,実験科学の醍醐味は予想外の結果が得られることにある.そこにこそ人知の及ばない真理が発見される可能性があるからである.ドクターGはいわゆる秀才ではなので,一見常識的には考えられないことにも取り組むようにみえるが,自分の思想というものを所有していて,驚くべきことに彼は常識的には成功するはずもない分子動力学的シミュレーション実験の結果を当然のものと確信していたようである.
 
 教科書に書かれていることを鵜呑みにして,考えをやめてしまうのは慢心というものであり,さらにいわせてもらえば,既存の知識を信じて疑わない人は,秀才ではあってもサイエンティストとは云い難いのである.
 
 私は創造性で評価される研究者,たとえば,新しい局面をひらくとか,他の人がやっていないこと,あるいは定説に反するようなこととか,研究者としてやる以上は,そういうことをねらうべきだと思う.そして,他人が見つけたことを後追いするようなことはしない.自分の見つけたことを大事にして,最終的にはひとつの新しい学問体系を構築することをめざしている.
 
 なぜそう決意したかというと,私の場合,自分の知的好奇心を刺激するものでないと長続きしないことがわかっているからである.それがあってこそ,イマジネーションが湧いてくるし,新しいものを見つけようとするエネルギーも湧いてくる.自分の心を打つ,エキサイトするものは何かそれを常に意識することが大事で,知的好奇心,それが私にとって研究の根源である.
 
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【補】ケプラーの宇宙論
 
 ケプラーは惑星運動の法則を発見した天文学者として有名ですが,超がつくほどのピタゴラス・プラトン主義者であり,世界は数学的な調和,幾何学的秩序に従っていると確信していました.彼の初期の著作「宇宙の神秘」では,太陽系の惑星の軌道を無数にある立体の中で明確な法則性をもっている立体(5種類の凸型正多面体)で幾何学的に説明しようとしていたことはよく知られています.
 
 また,「宇宙の神秘」から23年後の「世界の調和」の中で速く回転する天体ほど高い音を発し,その結果,天球全体が一つの音楽を奏ででいると考え,ピタゴラス音階による天球の音楽について一層詳細な論を展開しています.ケプラーの考えを非科学的なこじつけということはやさしく,今日から見れば,真理・正論ではないにしろ,正多面体やピタゴラス音階を宇宙論に導入したケプラーの美しい考え方<宇宙の調和論>には驚かされます.
 
 さらに,ケプラーは「新年の贈り物・六角形の雪の結晶について」のなかで,雪の結晶が正六角形をしているのはなぜかと考え,史上初めて菱形十二面体をみつけました.菱形十二面体(超正六角形)は2次元における正六角形に相当しますから,4次元における雪の結晶の形だと考えることができます.
 
 アーサー・ケストナー(物理学者で小説家)によると,人類史上,全宇宙を総合的に企画構成し世界を統一原理で理解しようとしたのは,プラトンとケプラーだけとのことですが,ケプラーは無意識のうちに4次元に近づいていたことになります.
 
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【補】フラーレン
 
 サッカーのボールは正五角形12個と正六角形20個を張り合わせてできていますが,この準正多面体は正20面体(頂点が12個,正三角形の面が20個ある)の各頂点からのびている5本の辺をそれぞれ1/3の長さの所で切り取り,五角錐をはずした姿であり,切頂二十面体(truncated icosahedron)とも呼ばれます.
 
 石墨(グラファイト)とダイヤモンドにつぐ炭素の第3の形と呼ばれる炭素原子クラスター(フラーレン)のなかでもきわめつけはC60で,この形はサッカーボールにそっくりです.この世界最小のサッカーボールはアメリカの異才バックミンスター・フラーへの親しみを込めて,バッキーボールという愛称でも知られています.C60の化学合成は1989年に成功しましたが,その後,1992年にアルカリ金属を添加すると超伝導体になるなどのおもしろい性質が発見され,C60は目下発展中の話題を提供しています.
 
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