■デルトイドの幾何学(その8・藤原と掛谷)

 (その7)で述べたように,

[1]長さが1である線分を1回転させるのに必要な最小面積の図形は何か.

[2]正三角形に内接しながら回転することができる円以外の図形は何か.

前者は有名な「掛谷の問題」であり,また,後者の解としては「藤原・掛谷の2角形」があげられる.

 明治40年(1907年)仙台に東北帝国大学が設置された.今年は東北大学開学から百年目という節目にあたる.藤原松三郎と掛谷宗一(ともに東北大学)は日本の近代数学の発展時代を作り上げた優れた数学者と評価されている.今回のコラムでは

 [参]「東北大学数学教室の歴史」

をもとに藤原松三郎と掛谷宗一の業績を振り返ってみることにしたい.

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【1】藤原松三郎

 明治14年生.明治44年開学当時の数学科教授.専門は主として解析学であるが,研究は解析学,数論,代数学,幾何学の広汎な範囲にわたり,しかも優れたものが多く海外でも著名であった.

 東北数学雑誌を発行し,東北理科報告にも毎号のように研究を発表,昭和14年頃からは和算の研究でも優れた成果を挙げた.明治政府の方針により急速に衰退の道をたどった和算の研究に全精力を傾注し,本多光太郎総長の後任として推挙されたときも,和算史研究に没頭していて固辞して受けなかった.これに関して掛谷は「こんな面白いことを止めるに忍びなく,私は総長に適しない」と藤原が固辞し続けたと述べている.

 また,純粋数学ではないが,実用数学では日本における歯車の父と呼ばれるようになった成瀬政男(東北大学工学部)に数学的な助言を与え,学問的には低い地位にあった歯車の工学機構を解明して科学の地位まで高めたといわれている.卵形線論の優れた研究者であった藤原は成瀬にとってこのうえないよき助言者であったに違いない.

 学士院会員,二度の理学部長の要職に就き,東北大学の発展に尽くした.昭和17年定年退職.藤原は数学の研究を何よりの楽しみとし,晩年まで変わることがなかったという.昭和21年没.

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【2】掛谷宗一

 明治19年生.明治45年,東北大学助教授に任じられる.大正9年,東京高等師範学校教授に転出したが,東北大学在職中からの積分方程式論の研究で学士院賞(恩賜賞)を授与された.のちに東京大学教授となり,学士院会員にも選ばれた.趣味は将棋で在仙中は土井晩翠と好敵手であった由である.

 「掛谷の問題」については後述することにして,

「anx^n+an-1x^n-1+・・・+a1x+a0=0の係数がすべて正の実数であるとき,その根の絶対値はすべて

  an-1/an,an-2/an-1/,・・・,a1/a2,a0/a1

の最大値と最小値の間にある」は「掛谷の定理」として海外にも有名になり,ランダウによって関数論の問題に応用された.昭和22年逝去.

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【3】卵形線研究

 藤原はゲッチンゲン留学中卵形線に大きな興味を抱き,以後卵形線研究は東北大学数学教室の輝かしい業績が生まれることとなった.内転形(凸多角形の各辺に接しながらそのなかで1回転できる卵形線)は,凸多角形が正方形の場合は定幅曲線に他ならず,定幅曲線の概念の拡張になっている.

 フルヴィッツはフーリエ級数論を応用して「デルトイドの平行曲線が定幅曲線(平行な支持線間の距離が一定な卵形線)である」ことを証明した.この論文から刺激をうけた藤原は一般的な凸多角形の内転形をフーリエ級数論を応用して解析的に研究した.

[1]同じ凸多角形のすべての内転形の周長は等しい

[2]正n角形の内転形は少なくとも2(n−1)個の頂点をもつ

などはその業績の一例である.

 また,正n角形の内転形で面積最小のものをAn,接点と正n角形の頂点との距離が最小のものをBnとすると,藤原はA3,B3はともに藤原・掛谷の2角形(半径が正三角形の高さに等しい2つの円弧で囲まれたレンズ型図形)であることを証明した.A4,B4がともにルーローの三角形であることはそれぞれブラシュケ,藤原が証明している.卵形線論ではブラシュケ(ハンブルグ大学)と東北大学が研究の二大中心をなしていた観がある.

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【4】掛谷の問題

 藤原の論文にある正多角形の内転形の考えは,掛谷に負うところが大きいされるが,卵形線の最大最小問題から自然に生じた問題として掛谷の問題

  「長さが1である線分を1回転させるのに必要な最小面積の図形は何か」

がある(1917年).卵形線という条件の下で藤原はこれが高さ1の正三角形であることを予想し,パルはこの予想が正しいことを証明した(1921年).

 卵形線という制限を外せば,直径3/2の円に内接するデルトイド(面積:π/8)であると予想されたのだが,1928年にベシコビッチがそのような図形で面積がいくらでも小さいものがあることを証明した.彼の示した解答は実に画期的なもので,多くの数学者をあっと驚かせた.掛谷の問題は問題がだれでもわかる単純明快なものでありながら,解析学と深く結びついていて解決には相応な数学の学識と優れた数学的才能を要するものだったのである.

 ところで,多くの数学者を刺激した掛谷の問題はどのようなきっかけで思いつかれたのだろうか.矢野健太郎「ゆかいな数学者たち」(新潮文庫)には,矢野が掛谷に伺ったところ,掛谷が「昔の武士はいつ襲ってくるかもしれない不意の敵に備えて,かわやに入るときでも刀を身から離さなかった.もし襲撃されたら狭いかわやの中で刀を振り回さなければならなくなる.そこで刀を1回転させることのできるかわやの最小体積はどうなるかと考えた」と答えられたという面白いエピソードが記述されている.

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【5】東北数学雑誌(東北ジャーナル・マス)

 明治44年,独創的な研究だけを掲載する日本最初の数学専門雑誌が刊行された.林鶴一,藤原松三郎らの私費をもって出版された東北数学雑誌は非常に大きな成功をおさめた.大学の刊行物という制約を受けず門戸を広く解放したため,東北大学数学教室に留まらず国際的にも名声が上がり,日本の数学の発展のため大きなプラスとなったのである.

 のちに東北大学の刊行物に移管されることになったが,東北数学雑誌に発表された論文としては先に述べた掛谷の定理,同じく掛谷の連立積分方程式の解の存在に関する研究,卵形線論,関孝和が行列式を論じていたことを発見した林の和算史の研究,シュバレーによるシュバレー群の研究など多々ある.

 関のほうがライプニッツよりも早く,しかも3次・4次・5次の行列式の展開法則さえ論ぜられていたのであるが,林のこの発見は日本のために大いに気を吐いたもので,諸外国の数学界に大きなセンセーションを巻き起こした.東北数学雑誌が研究者達の強い刺激になったことは確かである.

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[補]ニュートンとほとんど同じ頃,和算の大家で算聖あるいは和算中興の祖とうたわれる関孝和が生れています(1642年).ライプニッツが行列式の元祖ということになっているのですが,世界で最初に行列式に気がついたのは関孝和で,連立方程式の変数の消去法として行列式の展開を正しく行っています(1683年).

 ヨーロッパではライプニッツがやはり連立一次方程式の解法に関連して行列式の計算を行っているのですが,それは10年後の1693年のことで,孝和自身はライプニッツに先んじて行列式を導入していました.したがって,孝和を行列式の祖とする言は,手前味噌でも贔屓の引き倒しでもありませんし,また,関孝和はベルヌーイ数{Bn}をベルヌーイが見いだす前に見つけていたのです.さらに,和算家の久留島義太もラプラス以前に行列式のラプラス展開を見いだしています.

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[補]1940年ごろ,フランスのデュードンネは有限体上の単純群について分類し,古典群A,B,C,Dに相当する4系列を整理した.それによると,連結な単純代数群は複素単純リー群の場合と同様にAからGの型に分類されていて,SL(n+1)がAn型,SO(2n+1)がBn型,Sp(2n)がCn型,SO(2n)がDn型である.多数の有限単純群を組織的に構成することができるのである.

 これらの無限系列は古典型と呼ばれているが,それ以外に例外型と呼ばれるE6,E7,E8,F4,G2の5種類がある.そして,残り5つの例外群E6,E7,E8,F4,G2に対する一般的構成法を完成させたのが同じくフランスのシュバレーである.

 親日家であるシュバレーのこの研究は日本で進められ,わざわざ「東北群」と命名され「東北ジャーナル(東北数学雑誌)」に発表された(1955年).東北大学数学科は古い由緒ある数学科であって,日本の月沈原(ゲッチンゲン)と呼ぶひともいるほどであるが,現在,東北群という名前は忘れられてシュバレー群と呼ばれている.

 話を円滑に進めるためには,単純群を考えるより簡約群を考えた方が都合がよい(単純群<簡約群).シュバレーはすべての複素簡約リー群から有限群(シュバレー群)が得られることを示したのであるが,その直後に得られたスタインバーグによる変形版を含めて,有限簡約群からリー(Lie)型の有限単純群の無限系列がすべて得られることがわかっている.(鈴木群とリー(Ree)群は有限簡約群ではないが同様に扱うことができる.)そして,1980年代の中頃には,ルスティックによって有限簡約群の既約指標の分類が完成したのである.

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