■ランダム行列(その6)

【1】ランダム行列

 ヒルベルトの推測したランダム・エルミート行列と同種の行列は,後になって,その固有値が核子のエネルギーレベルに対応している原子核物理学の研究によく出てくることがわかった.

 このエネルギーレベルの差として得られる分布が「ウィグナー分布」と呼ばれるものである.ウィグナー分布の詳細については後述することにするが,エネルギースペクトル{En}をエネルギー準位を大きい順に

  En≧En-1≧・・・≧E1

とならべ,その間隔

  ΔE=Ei−Ei

を測定する.そしてE〜E+dEの間におちる個数を

  P(E)dE

とする.

 可積分系では間隔分布P(E)は指数分布

  P(E)〜exp(−aE)

に従う.ポアソン分布に従う変数の間隔分布は指数分布に従うから,量子物理では指数分布とポアソン分布がほとんど同義語のように使われている.

 それに対し,カオス系ではα次のウィグナー分布

  P(E)〜E^αexp(−aE^2)   α=1,2

に従うことが経験的に知られている.

 可積分な古典系を量子化したときに得られるエネルギーの間隔分布が指数分布であり,カオス的な古典系の量子化によって得られるのがウィグナー分布である.言い換えれば,準位間に反発のあるのがウィグナー分布,反発のないのが指数分布ということであって,この2分布の本質的相違は,E→0のとき,ウィグナー分布では縮退の消失を反映して

  P(E)→0

となることである.

 ランダム行列の理論は,原子核物理において各行列成分がランダムになったものとして,ある対称性だけを仮定することによりエネルギーを研究するようになったのが始まりである.そして,原子核準位の統計的記述として生まれたランダム行列の理論が量子カオスの研究へと繋がるのであるが,その統計性に適当な仮定,たとえば,正規分布を仮定する場合が非常に詳しく研究されている.

 α次のウィグナー分布

  P(E)〜E^αexp(−aE^2)   α=1,2

のような分布はランダムな行列要素をもつエルミート行列の固有値の間隔分布に現れることが知られている.

  α=1のとき→GOE(実対称行列)

  α=2のとき→GUE(エルミート行列)

  α=4のとき→GSE

と呼ばれるのだが,それぞれ,Gaussian (Orthogonal,Unitary,Symplectic) Ensembleの略である.

 固有値の統計を調べる上で,相関関数と呼ばれる量が重要な役割を果たすのだが,それによれば,ΔE離れた固有エネルギー対が存在する確率は,α=2の場合,

  C(ΔE)=1−(sinπΔE/πΔE)^2

になる.

 経験的に量子カオス系の固有エネルギーにも同様の相関が見られる.GUEから得られた相関関数がゼータ関数の零点と密接に関係していることがモンゴメリー,サルナックなどによって示された.

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 このように「ランダム行列」はウランなどの巨大原子核の励起状態を調べるために考え出されたものであるが,1960年代初め,量子力学や宇宙論の研究で有名な物理学者ダイソンはランダム行列の研究を行い,分配関数

  Ψn(β)=(1/2π)^n∫(0-2π)・・・∫(0-2π)Π|exp(iθi)−exp(iθj)|^βdθ1・・・dθn

において

  β=1のとき→直交アンサンブル(GOE)

  β=2のとき→ユニタリーアンサンブル(GUE)

  β=4のとき→シンプレクティックアンサンブル(GSE)

と名づけた.βは結合定数で,自由電子の場合はβ=1で与えられる.

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